愛知県瀬戸市の洞地区は「山地の谷が行きづまる所を洞と呼び、瀬戸村東部にある宝泉寺の南方を通称洞と呼んでいた」(Setopedia)ところに由来があるわけですが、狭まる山裾のちょっと上の斜面沿いに「窯垣の小径」はありました。これを辿って、窯垣の小径資料館瀬戸本業窯瀬戸民藝館を覗いた後、戻りは谷筋と言いましょうか、今現在は車通りのある道を通ることに。これを「洞街道」と称しているようで。

 

 

「陶の路 洞街道案内図」なるものも設置されていて、これの真ん中を道を左から右へと歩いていく恰好になります。やはり谷筋らしく沿道には水路があり、そこには本業タイルが嵌め込まれた柵が続いています。

 

 

並ぶ建物もレトロ感に溢れておりますな。中にはやきものの工房もあるようですが、そんな洞街道を進んで行って、上の案内図では右端にあたる三角形を描いたような場所にある施設に到達いたしました。ここが、瀬戸染付工芸館であるということで。

 

当館はやきものの伝統技法である「瀬戸染付」をテーマにした施設です。 ここでは「瀬戸染付」を始めとするやきもの文化の紹介、ろくろや絵付などの作業風景の公開、名品等の企画展展示を行っています。

とまあ、こういう施設であると同館HPにはありますが、そも「染付とは?瀬戸染付とは?」を(やはり同館HPで)参照しておくといたしましょう。

「染付」とは、もともとは染織用語から派生した言葉です。 やきものの分野においては、酸化コバルトを含む顔料(呉須)で磁器の素地に下絵付けしたものを指します。(広義では陶器素地も含む)
瀬戸染付の特徴は山水・花鳥・草花等がより写実的、より繊細に描かれ、その趣は文様中心といった他の産地のものとは異なり、独特の世界を持っていることです。
没骨(もっこつ)技法と呼ばれる、主に付立筆を用いて一気に描く技法が取り入れられ、瀬戸を訪れた南宋風の絵師から絵付けの指導を受け、今日の瀬戸染付の基礎が確立されました。
染付とは一般的には磁器のものを指しますが、瀬戸染付はその前身となった陶胎染付(陶器への染付)も行われており、陶器・陶磁器への染付という独特な味わいに人気があります。

 

敷地内には本館、交流館、古窯館と3つの建物がありまして、「入場無料、どうぞご自由に…」とはあるものの、まずはご挨拶を兼ねて本館を覗いてみることに。一応、受付(?)に顔を覗かせてみますと、ひとしきり染付体験を勧められてしまいましたなあ。なにしろ2階にはかように広い教室があるわけでして。

 

 

勧めてこられたこの方もおそらく作家さんなのでしょうなあ。「絵心がありませんので…」と固辞しますと、「自由に描いていいんですよ」と。確かに周囲に飾られた受講者作と思しき作品の絵柄は何とも自由なものでありましたよ。ですが、「でも、失敗したらそれまででしょうし…」と言えば「いえいえ、消しゴムのようなものがあるんです」とやさしく押してこられる。結局のところ、「こんな細い筆で描くの、無理無理…」と勘弁して(とは大げさながら)もらったのですけれどね(笑)。

 

 

ただ、釉薬と同様なのですけれど、染付の絵具も焼くと色が変わるというのが面白いところでありますなあ。昔々の陶工たちは(おそらく今の陶芸家も、でしょうけれど)さまざまな原材料を用いて、さまざまな配合、焼き加減などの実験?を繰り返し、多様な色彩のバリエーションを生み出してきたのであるなあと、ここでもまた改めて。

 

 

いわば、やきものは錬金術にも似た世界であるなあと思ったりするのでありますよ。ということで、瀬戸染付工芸館の他の建物を覗いてみるというお話を次に機会に。