さて、愛知県瀬戸市の「窯垣の小径」は資料館の先にももそっと続いておりまして。

 

 

 

洒落た体裁に仕立てた壁もあれば、無骨にただただ窯道具を積み上げた壁もあり…。そうこうするうちに(といって束の間また迷いかけましたが)、洞街道とも言われる車通りのある道に下りてきて、ほどなく次なる施設に到着と相成りました。

 

 

瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム[瀬戸民藝館]。その名のとおりに民芸品の数々が展示されている一方で、かつて盛んに瀬戸のやきものを産出した「本業窯」(登窯)がお隣に残されていると。民藝館に入館すると登窯も間近で見られる(入館料の一部は窯の維持管理に充てられるそうな)ようですので、まずは「本業窯」を覗きに入館してみた次第でありますよ。

 

 

 

ちなみにこちらは窯垣の小径資料館の方で見た、洞町地区で見られた窯の往時の姿ですな。巨大な登り窯からもうもうと湧き出る煙とそれに比例した賑わいが町全体を覆っていたことでありましょうね。今でも窯業を営む工房が見られるも、すっかり静かな街並みになっておりますが…。

 

 

 

で、これが現在見られる本業窯の姿。重厚感に溢れた巨大さが感じとれますが、解体・移設を経てここに再構築される以前はさらに巨大であったそうな。

 

 

この登窯は「本業窯」と呼ばれる、江戸時代後期以降の陶器を焼くための大規模な形式です。幅7m、部屋の最も高い部分は2m余り。このミュージアムの裏山(現「洞・窯跡の杜」)にあった13連房の「奥洞窯」が1948年に解体された後、その材を使い、4連房で再構築しました。最盛時には1年4~5回のペースで、1979年まで焚いていました。

4連房でも堂々たる風格ながら、元々は13連房あったとは。「せともの」が用語として一般化するほどの量産体制が偲ばれるところであろうかと。

 

 

窯の中を覗き見れば、太陽光を反射する壁面のてかりが見えますですねえ。「おお、自然釉であるな…」と房の中に入り込んでしげしげと。

 

 

 

多治見や土岐市で見てきた様々な茶陶は作陶技術の粋をつぎ込んで作られたわけですけれど、そうした技術的進歩のある以前には焼き締め陶があって、折々に自然釉がふりかかる。巧まず素朴にできたものでありながら、一期一会的な産物であるところに深みを感じて、心惹かれるものがあるなあと思うところです。

 

かような思いを抱きつつ、ひとしきり窯の周囲を登ったり下りたりした後、お隣にあります瀬戸・ものづくりと暮らしのミュージアム[瀬戸民藝館]を覗きに…というところで、この話は次回にということで。