山梨県北杜市にありますアフリカンアートミュージアムを訪ねたのはちょうど「山の日」が絡んだ連休の頃合いでして、かのミュージアムからほど近いところには清春白樺美術館という、近辺では随一?の観光スポットとなっている施設があるも、徹底して人混みを厭う者としてはパスということに。ま、以前に訪ねたことはありますしね。

 

で、その代わりといってはなんですが、清春白樺美術館の斜向かいにある北杜市郷土資料館を訪ねたのでありました。ちなみに、ちょいと前に訪ねた北杜市考古資料館とは別物になります。広く大同合併した北杜市ですのでいろいろと施設があるのでしょう。

 

 

実はこちらも白樺美術館を訪ねた折に覗いたですが、その後にリニューアルで展示のようすが大幅に変わったようでありまして、すっかり一新されておりましたですよ。北杜市という名前に因んで、「通史の杜(もり)」、「地域の杜」、「産業の杜」と展示コーナーをく分けたのですなあ。

 

 

ただ、歴史の関係は考古資料館の方とかぶるところがありますし、前回訪ねたときに注目した点でもありましたので、今回は「地域の杜」の方、取り分け自然と地形のあたりを重点的に振り返っておこうかと。フロアの中央にはどぉ~んと、立体地形図が置かれてありました。

 

 

写真の向きで言いますと手前側が甲府盆地でして、右手に八ヶ岳、左手に南アルプスに連なる山筋、真ん中が諏訪湖にまで至る谷筋ということに。小淵沢は八ヶ岳から谷筋へと下る斜面上にあるのですな。と、ここで全くもって今さらながら気付かされたことが。

 

南アルプスと八ヶ岳の山間を抜けて甲府盆地を貫流する川は、てっきり諏訪湖に端を発していると思い込んでおりましたが、これがどうやら全く違ったという。なんでも諏訪湖には周囲の山々から流れ下った幾筋かの川が流れ込むものの、諏訪湖から流れ出すのは岡谷ところから出る天竜川だけなのであるそうな。時に、たまりにたまった水の出口がひとつしかないとなれば、そりゃあ、天竜川が「あばれ天竜」と言われるのもむべなるかなではなかろうかと。

 

では、甲府盆地を貫流している川の源は?となれば、八ヶ岳や南アルプスから下る水を集めたものだったわけで。ジオラマを違った方向から見てみれば、なんとはなし得心がいくことになります。

 

 

中央下に八ヶ岳の山塊があり、右手側に見える谷筋が大きくカーブして上の方(つまりは甲府盆地の方)へと下っていくようすが分かります。一方、八ヶ岳のもそっと下の方(北側)では諏訪湖に向かって流れ下るのでして、つまり裾野部分が高まりになっていて、場所によって流れ下る方向を分けている。であればこそ、諏訪湖は裾野よりも低いので、ここを甲府盆地に向けて貫流できる流れの生じようが無いというわけなのですなあ。このことは、八ヶ岳の形成にも思いを馳せることになりますですね。

 

古来、八ヶ岳と富士山の背比べといった伝承はあちこちにあるようで、しばらく前に信州・南牧村の民俗史料館で見かけた昔話を引いておいたことがありますが、かつては実際に富士山より八ヶ岳の方が高かった時期があるようなのでありますよ。

 

 

解説を見ておきましょう。

約25~20万年前、八ヶ岳には古阿弥陀岳という火山が活発に活動していて、現在の富士山のような円錐型の成層火山であったと考えられています。高さは約3400mと推定されています。

そうは言っても「3776mの富士山よりは低いでないの」と思うところながら、富士山もまた昔の姿は今とは異なっていなのですなあ。

対して富士山は、現在の姿(3776m)になったのは約1万年前以降のことで、それ以前は、古富士火山と呼ばれる2700mほどの火山だったようです。

となれば、圧倒的に八ヶ岳の勝ち!かと言えば、八ヶ岳の方でも山容の変化が起きているわけですね。

約20万年前に山体の一部が崩壊し、韮崎岩屑なだれを起こし低くなりました。その後火山活動が続き、現在の姿になったのは約10万年前で、赤岳もほぼ現在の高さ(2899m)と同じになったと考えられています。

ということで、一万年前より以前に遡れば、八ヶ岳(主峰の赤岳)2899m対富士山2700mと、なかなかの接戦を八ヶ岳が制していたとなりましょうか。この接戦具合が人々の記憶に刻まれて背比べ伝承を生んだのか…とも思ってしまうそうになりますが、1万年前となれば縄文時代なわけで、その頃の記憶が果たして残るものであるかどうか。ロマンを感じるところではありますけれど。

 

ところで上の説明に「韮崎岩屑なだれ」というのが出てきますですが、想定される成層火山の上の方が全て崩落したわけで、岩屑流としては「日本列島では最大規模、世界でも有数の規模といわれてい」るのだとか。

 

 

八ヶ岳の裾野の広がりから、あたかもしっぽのように突き出しているのが岩屑流によってできた台地でして、古来「七里岩」と呼ばれていると。現在のこの上を七里岩ラインという道路が走っておりますよ。崖下から見ると、ずうっと屏風が建てまわしてあるように見えるのですね。

 

 

で、北杜市郷土資料館はこの七里岩の台地上に立地している…とは落ちにもならない落ちですが取り敢えず。解説としては、他にも南アルプスのことも瑞牆山系のこともあったのですけれど、今回は八ヶ岳中心で。おそらくまた訪ねることもありましょうしね。