高原列車として知られるJR小海線の清里は山梨県北杜市高根町に、お隣の野辺山は長野県南佐久郡南牧村にあるのですなあ(ちなみに隣接する群馬県にも南牧村がありますので、いささか紛らわしく…)。清里、野辺山それぞれに観光地としてその名は独り立ちしているものと思いますけれど、その実、町や村の名前ではないということでして…。
とまれ、野辺山の駅前にはかつて走っていたSLが静態保存されていたりすますが、そのすぐ向こう側にあるのが南牧村美術民俗資料館なのでありました。行政的に村の中心は野辺山ではないものの、やはり観光拠点であるという位置づけから、資料館はこちらにと言うことでもあろうかと思うところです。せっかく目の前まで来ましたので立ち寄ってみたのでありますよ。
それにしても美術民俗資料館とは、村の美術館兼民俗資料館という意味合いのようですが、「村民の皆様、村に縁のある皆様、作品の発表場所を求める作家の皆様などに展示する」という美術館スペースの方は訪ねた折には展示替えの最中で何もない状態。もっぱら民俗資料館を見てきた次第です。
しかしまあ、いわゆる民俗資料館の類は日本中の市町村に数多存在して、郷土の歴史や自然にまつわる展示を手掛けておりますけれど、この南牧村の施設のなんでもあり加減は文字通りの「ごった煮」感満載でありましたよ。
やおら鉱物標本があるかと思えば動物の剥製も民具もごちゃっと並んでいるのですよねえ。そして展示物に付けられた解説の中で、ここぞ!という押しのポイントは何故か手書きの墨文字で書かれていたりする。この墨文字がかなり個性的で、またまたドラマ『トリック』に登場する鄙びた山村に迷い込んだ(怪しげな)気配を感させるものでしたなあ。
ここに見る字体はまだまだ穏やかな方ですけれど、こんなふうに書かれてあります。
これが日本で最初に南牧村(矢出川遺跡)で発見された細石刃です。カミソリの刃のような小型石器で組み合わせて使いました。
国史跡・矢出川遺跡は「2万~1万4千年前の旧石器遺跡」だそうでして、八ヶ岳周辺には数々の縄文遺跡があることはこれまであちこち見てきたところですけれど、それをさらに遡る旧石器時代からヒトは八ヶ岳のあたりに住まっておったのですなあ。
そして、1953年に日本で初めて発見されたという細石刃(さいせきじん)とはかようなも…ですが、小さすぎていったいこれをどう使ったというのであるか?と。されど、石器時代と侮ってはいけんのですなあ。
細かく砕いて刃先をシャープにしてある細石刃を、何も小さいまま単独で使うのではなくして、動物の骨や角で作った本体に並べて埋め込み、ある程度の大きさのナイフとして使っていたのであると。考えたものですねえ。またナイフの本体にあたる鹿角も、よくまあ、加工したものです(写真の展示物は複製ですが)。
そんな、古い古い時代のヒトの営みを偲ばせる遺物とともに、古くからこの地に伝わる伝承もまた興味を引くところがあろうかと。この地域は取り分け、富士山VS.八ヶ岳のお話に数々のバリエーションがありましょうけれど、南牧村に伝わって、古老が語ったとあるお話はこんなふうだということで。
八ヶ岳と富士山とが大昔背の高さを争ったことがあった。どちらも「おれが高い、いやおれの方が高い」といってなかなかゆずらなかった。そこで山の神が、それならおれが計ってやるといって、富士山の峰から八ヶ岳の頂上へ樋をかけて水を流したら富士山の方へ流れた。それで富士山の方が低くて負けということになた。富士山はおこってその樋で八ヶ岳の頭をめった打ちに打ち横腹をけあげたという。それで八ヶ岳の方が低くなり、あんなに峰がいくつもになってしまったということだ。
富士山の負けず嫌いを笑う話でもあろうところながら、実際にはこうした話を伝承すること自体、おらが方の村自慢、つまり本当ならば八ヶ岳の方が大きいのだという身びいきのお話でしょうから、どっちもどっちということでしょうか。ま、そもそも各地の歴史民俗資料館はお国自慢を伝えるための施設なのですけれどね。