まだ梅雨の中休みというやつなんでしょうか。いやはや暑い一日で、こんなときには決まって天気予報では「屋内で過ごしてください」てなことを言うところながら、とあるイベントに予約してしまったもので、そそくさと出かけたのでありますよ。

 

で、出向いた先は…といえば、先日JAXA相模原キャンパスに訪ねた時にも次はここにも行っておかねばなあと思っていた国立天文台、本部のある三鷹キャンパスですが、今から何十年も前、すでに高村智恵子が「東京には空が無い」と言った、その東京に国立天文台の本部があるというのも「?」ではありますけれどね。まあ、本部機能というのはやはり都心そのものでなくとも(三鷹ですのでね)、都心近くにあった方がいいということでしょうかね。天体観測と言う点では、おそらく野辺山に敵うものではなかろうと思えたりするもので。

 

 

ともあれ、JR中央線の武蔵境駅からバスで15分ほど、途中から「天文台通り」などという道筋をたどって「天文台前」のバス停にたどりつきました。ちなみに、ひとつ手前のバス停は「天文台裏」となっているだけに、ここもなかなか広い敷地を抱えていそうですが、やおら木立に囲まれた正門の趣きは研究機関というより大学のよう(自宅最寄りということで、一橋大学を思い出したりも)。バス通りに面したあたり一帯はことごとく住宅地ながら、ここだけ異空間を呈しているようでありますよ。

 

 

守衛所で受付を済ませして、見学コース内から外れないよう念押しされるも、構内マップをもらって後は自由見学となります。が、まずはこのマップに登場しない見どころ(?)のご紹介を。正門正面の本部棟と思しき建物を見て、まずはずずいと左手方向に進んでいきまして、もうこれ以上の立入は厳禁であるぞ!というところへ。そこにあるのが、こちらでありますよ。

 

 

草木が繁り放題で、いったい何がある?てなもんですが、(マップには載っていないものの)解説板だけはしっかり設けてありまして、そこには「天文台構内古墳」と。そうそう、奥に辛うじて見える高まりは古墳だったのですなあ。

 

 

なんでも、7世紀半ばの古墳終末期に造られた古墳だそうですが、一見して墳形が判然しないところながら、調査の結果としては「武蔵府中熊野神社古墳」などに見られるのと同じ「上円下方墳」であるということで。すでに前方後円墳を造営する時代は過去のものとなった中で造られた上円下方墳という手のこんだ墳丘は「この地域を治めていた豪族の墓と考えられます」とは三鷹市が設けた解説板に。

 

 

地域の有力豪族の墓所となりますと、あたりにはその治める集落なりがあったわけでしょうけれど、なんだってこんな場所に?と。何かしら集住に適した要素があるかいね?と思い巡らしてみますと、バス通りから見ても国立天文台の敷地は少々高台になっていて、周囲の見透しがいい点がメリットだったのでしょううか。さらには、敷地の入り口とは反対側(西側)を野川が流れていることも。

 

今の感覚で野川はせいぜい「春の小川」程度の流れではあるものの、国分寺崖線に端を発して湧き出る水は枯れることがなく、貴重な水資源が安定供給されるというのは米作りに励んだ弥生時代から古墳時代の人々にとって、アドバンテージある住環境だったのかもと想像するところです。

 

 

ところで、それにしてもこの解説板、ほったらかしで汚れが目立っておりましたなあ。実は、天文台構内にはあちこちに天文関係の看板が立っているのですけれど、おそらくは清掃で雇われている方々でしょうか、看板を一枚一枚せっせと磨いて泥汚れなどを落としている最中に出くわしていたのですな。それに対して、設置者が三鷹市で天文台(の本来業務)とは関わりない解説版のほっておかれ状態、なんだかなあと思ったものです。ま、別会計、別予算で仕方無いことだとは思いますけれどね。

 

と、国立天文台を訪ねた当日は奇しくも七夕の日であって、天体ロマンに関わることを書いてもよさそうであるにも関わらず、結局のところは古墳ロマンの話から始まることになってしまいました。本筋たる天文学にまつわるお話につきましては、次回以降ということで(笑)。