そうそう、西武池袋線を清瀬駅で降りて清瀬市郷土博物館へ出向いた折、沿道は「けやき通り」という名付けがされておりまして、けやき並木が続いているからということでしょうけれど、その途中の道沿いでこのような看板を発見したのでありますよ。

 

 

曰く「キヨセケヤキロードギャラリー」と。ちょいと先には何やら造形作品と思しきものが見えておりましょう。なんでも東京都の「ふるさと・ふれあい振興事業」の助成を得て、内外の著名な彫刻家の作品を設置したのであるとか。要するに「彫刻の道」になっているわけで、調べてみると沿道に24もの作品が展示されているというのですなあ。

 

 

思い返せばコロナ禍の初期段階、何かと外出に不都合が生じていた中で、およそ混み合うことのない道沿いの野外彫刻を訪ねて、国立市のさくら通り大学通り、その他あちらこちらを見て周ったことが懐かしく思い出されますなあ。とまれ、ここで24作品全てを見て周ることはできませんでしたが、博物館までの往復で気が付いた作品には目を止めてみたのでありましたよ。まずはこのような…。

 

 

『水滴』というタイトルはそのまんまでもありますなあ。作者の吾妻兼治郎という彫刻家はイタリアで活躍し、抽象作家として知られる…てなことですけれど、これを具象とみるのか、抽象とみるのか…。確かに水滴のイメージそのままとは思うところながら、そも水滴に具体的な形があるのかと言われれば???と。また、その大きさの方はいわゆる水滴イメージとしては大きすぎる気もしますが、この大きさの比較対象もまた抽象表現のありようだったりして。アリから見ればヒトは巨大ですが、宇宙規模で考えるとヒトの大きさは微生物並みだったりしますものね。

 

 

と、宇宙に思いを馳せておりますとお次に登場した作品のタイトルが『惑星』とは。作者の小田襄はステンレス造形で知られるそうな。ここでもステンレスが使われて、その鏡面のような輝きあるところは惑星そのものというよりも、それを写す望遠鏡のようでもありましょうかね。角度がまた、野辺山の電波望遠鏡を思い出させたりもしたもので。

 

 

ステンレスの軽やかさの次に登場したのは、ずいぶんとどっしり感のある作品です。そんな見た目と裏腹にタイトルは『風の標識 No.31』であると。なるほど真ん中が風の通り道のようでもあるなあとは思ったところですが、作者の曰く、どうやらこの形は「風に響く音叉」のようですなあ。「No.31」とあるように、作者の大成浩は同種の作品をあちらこちらに野外展示しているようす。その場その場で、見る人に風の音を思い描かせているのかもしれませんですね。

 

 

おおっと、こちらはともすると車にぶっけられてしまった?とも思しき物体ながら、もともとこういう造形なのですなあ。タイトルは『四本の木』と。ブロンズを用いながら、木、植物という生きものをイメージするところから、作品の傾きは生きものが定規で測ったようにかっちり角角していないありさま、また直立してばかりもいられない脆弱性の発露でもあるようで。言われてみれば…ですけれど、(アメリカ映画によくある)車にぶつけられて傾げた郵便ポストてなふうにも…。

 

 

続いて、これまたどっしり感たっぷりの作品は清水九兵衛による『標甲』と。おそらくこのタイトルは一般的な単語ではなくして、作者の造語なのでしょうけれど、確かに「甲(かぶと)」の印象はありますですねえ。正面から見ると、思い浮かべるのはダイオウグソクムシだったりして。

 

 

ただ「標」の方は「標識」をイメージしたのかも。「作品の設置場所が、 丁度、三叉路に近い関係で、方角の目安にもなろうかと思ったからです」とは作者の弁(清瀬市HP)でして、彫刻家は何も小難しいことばかり考えているわけではないのであるなと思ったりもしましたですよ。

 

 

どっしりの次には比較的こぶりの作品ですので、クローズアップを。細川宗英の『王妃』という作品ですけれど、なんとはなし、表しているのは「奢れる者は久しからず」といった印象で。「対象を大胆に変形した幻想的な作風に独特な心理的ドラマを展開した作品を制作」(清瀬市HP)と紹介される作者ならではといったところでしょうか。

 

 

「…そこに彫刻を置いたら、どうなるか。自然とマッチできるだろうか、この美しい並木道に彫刻を置いたら自然をこわすことになるのではないかと危惧がおそった」(清瀬市HP)とは、この作品の作者・新妻實の言葉ですけれど、先の三叉路の話とも絡んで、やはり作者は作品の置かれる場所を当然に意識しているのですなあ。あたりは丁度、沿道の家並の軒が途絶えて畑が広がる場所なだけに、自然を意識した『MOUNTAINOUS』なるタイトルで制作したのかもですね。作品自体はどう見ても抽象ですが…。

 

 

アート作品は見た目と作者のイメージとが即応するものばかりでは無いのはよくあることですけれど、この軽やかなステンレス作品もそんなひとつでしょうか。『my sky hole 91-8』というタイトル付けは見た目に違わぬ軽やかな印象ながら、どうやら作者の意図ば別のようで。曰く「球形の弧は、明暗の臨界線であり、光と影の原型でもある」として、明るさ一辺倒ではない、暗い所から覗き見る光といったことを想定しているようでありますよ。個人的には、作品として明るさ一辺倒ものであるとしてもいいような気がするところですけれどね。

 

 

さてと「キヨセケヤキロードギャラリー」を辿って、今回見て来た中では最後の作品は保田春彦の『黒い石をつつむ幕舎』という作品でありました。作者は「幕舎」に「今日に伝わる住居の祖型」を見て、その中には確かに「団欒」があったと見ているのですな。そこには、今では失われつつある、あるいは失われたとの思いもあるのでしょうけれど、近代化や進歩といったことが手放しで良いものとは信じられなくなってきている世の中にあって、ひたすらに懐古的になるのは当たっていないとしても、立ち止まり、振り返って考えることはあっていいと、そんなふうに思ったものでありましたよ。

 

ということで、ほんのついでに巡り歩いた路上のアートギャラリーですけれど、あれこれの思い巡らしもあり、なかなかに楽しいひとときなのでありました。路傍にぽつんと置かれて、もはや誰も顧みることない、すっかり日常に溶け込み、埋没してしまったアート作品に向き合ってやるのは楽しいことでもあり、また作品への功徳でもありましょうね。

 


 

ところで、明日(4/24)はお休みを頂戴いたします。先に、岡山へ古墳を見にいくつもりが些か時季外れのインフルエンザで計画倒れとなった代わり、せめて東国の古墳王国たる群馬に行ってこようと思いまして。ではでは、明後日(4/25)にまたお目にかかります。