4月あたまの年度替わりを経て引き続き、NHK-TV語学講座で4カ国語をぼんやりと聞き流しておりますが、短期記憶の定着が相当に怪しくなってきているお年頃なだけに、ざるのような脳であっても水に浸す機会が多ければ多いほどわずかな水滴くらいは残ろうかということで、続けているような感じでしょうかね(笑)。

 

とまれ、そんな中の『旅するためのフランス語』第3週では、パリのアップサイクリング事情の一端が紹介されておりましたなあ。「現代のおしゃれなアップサイクリング・デザイナーも登場しますよ!」と番組紹介にもありまして(と言っても放送内容は去年と同じなので、前にも見ていたわけですが)。

 

「アップサイクリング」というのは、いわゆるリサイクル的な発想の下、リサイクルが使ったものを元のものとして再利用するのが基本線ながら、再利用価値を高めるものに作り替える点が「アップ」たる由縁なのでしょう。番組で紹介されていたのは古い生地を利用して、新たな衣服を作り出すということ…ですが、これって新しいことでもないような気がしますですよねえ。

 

ひと頃、日本語の「もったいない」という言葉が「MOTTAINAI」として世界に発信されたことがありましたけれど、日本ではごくごく普通に使われる言葉が殊更に注目されてしまうくらい、世界にはモノを大事に使う考え方が無かったのでありましょうか。そんなこともないような気がしますけれど、日本の場合には間違いなくそういう文化はあったのだよなあと、先日、「武蔵野線開業50周年ー清瀬を駆け抜ける武蔵野線ー」展を見に立ち寄った清瀬市郷土博物館の民俗展示室(常設展示)を思い返したものなのでありますよ。

 

 

まあ、常設展示では例によって清瀬市の郷土史が語られるのを主としていますですが、民俗展示室に入ってすぐの大きなガラスケースにやおら和服が展示されているのですなあ。曰く、「清瀬のうちおり」という国指定重要無形民俗文化財なのだそうでありますよ。解説にはこんなふうに書かれてありました。

明治以降、農村地域でも呉服屋で反物を購入し家族の衣類を賄うようになりました。「うちおり」はこの時代、商品と自家織りとを区別するために使われるようになった言葉です。

江戸期までの農村地域では衣類一切を手造りしていたのでしょうけれど、明治になってざっくり言ってしまえば、余所行きというか外向きには買ったもの、普段着、内向きには自家製のものということになってきたのでしょう。ただ、買ってくるものといっても反物で買うわけですので、やはり衣類を自家製で作っていることになるも、「うちおり」はまさに織りそのものが自家製なのですよね。

 

で、多摩地域も他の山村同様に養蚕が行われ、生地の材料に事欠かないとはいえ生糸は大事な売り物ですので、自分たち用に使うのは「屑繭」と呼ばれる、B級品、規格外品であったようですな。

 

 

これで紡いだい糸は「節が多い」のが特徴であると。布地に織られ、着物になったものをよおく見ますと確かにところどころに節のあるのが見てとれるものの、よおく見なければ分からない。いわゆる普段着には十分以上のものが出来上がるのですよね。このありようは、冒頭で触れたパリのアップサイクリングとはちと異なりますけれど、いずれ捨てられるようなものを使えるようにするという点では、正しくアップサイクリングでもあろうかと思ったり。

 

一方で、外向きには反物を買って…と解説にありましたですが、この反物から仕立てた着物もまた、折々糸がほどかれて仕立て直されたり、別ものに作り替えられたり、それこそ「ぼろ」と呼ばれるような端切れになってなお、大事にされてパッチワークのように使われたのですから、それこそ使い捨てなどという言葉とは無縁の、なんとも息の長い物ということになりますですね。在所の旧家であっても、ぼろは大事に保管されていざという時の出番を待っていたようで。

 

 

ところで、反物から着物を仕立てる…と簡単に言ってしまいましたけれど、あの長い巻物の形の反物がどのように着物に化けるのかは、恥ずかしながらついぞ知らず…。こんなふうな反物の裁ち方というのが、親から子へと伝承されていたのでしょうけれど、もはや絶えてしまってもいようかと…。

 

 

ということで、こと衣類に関しては昔の方が断然にリサイクル、ともするとアップサイクルがなされていたところながら、考えどころはこれが全て女手にかかっていたという点であろうかと。手間暇を惜しまぬ手仕事がなければできないものであったところを、糸紡ぎから機織り、裁断、縫製まで全てを女性の手に委ねてきたことをそのままに、昔はリサイクルが進んでいたではないのなどとは言えたものではないでしょうからねえ。モノに対する思いのほどは悪くないと思いはするものの…。