いやはや勝手な思い込みでストーリーを作り上げてしまって、勘違いも甚だしい…ということになった映画『ある天文学者の恋文』なのでありましたよ。てっきり昔々の天文学者、例えばティコ・ブラーエとかの恋文と思しき手紙が発見され、これが実は宇宙の法則を読み解くに重要な証拠書類であった…てなふうな歴史ミステリ的なるものであるかと。

 

「ある天文学者」というくらいですから、コペルニクスやガリレオ、ケプラー、ニュートン、ライプニッツといったあたりなればその名をそのままに出した方がキャッチ―ながら、ティコ・ブラーエあたりなら「ある天文学者」とした方がむしろ目を引くのでは、てなことまでも。ただ実在する天文学者ではなくして、これまた例えばフェルメールの描いた「天文学者」(実際にはモデルとされる科学者が実在するらしいですが)からインスパイアされて…といった形もありましょうなあ。そういえば、しばらく前にフェルメール作品のいくつかから妄想を巡らせて作った掌編シリーズを書いたことがありましたですが、「天文学者」は取り上げていなかったような…。

 

 

とまあ、余談はともかくとして映画『ある天文学者の恋文』の物語、公式HPにはこんなふうに紹介されておりますな。

世界に配信された、著名な天文学者の訃報。
だが、恋人のもとには彼からのメッセージが届き続ける
天文学者が仕掛けた永遠の愛とは?

恋人のエイミー(オルガ・キュリレンコ)は天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)の教え子で、天文学を学ぶ院生なのですな。そこで、恋人同士の会話の中にも天文学的な話題やら言葉やら、例えば「並行宇宙」とか「多次元」とか、そうしたあたりも日常的に入り込むわけでして、多次元世界には自分が自分の他に10人いるてなことも語られたりしているわけです。

 

これはその後のストーリーに関わるミス・ディレクション的なところでもありましょうね。何しろエドが亡くなったとは周知の事実でありながら、エイミーの元には彼女が行動する先々にエドからのメッセージが届けられるのですし、そのメッセージはまさにその時その時のエイミーを見ていたかのような内容だったりするのですね。

 

そうなれば、どうしたってパラレルワールドにもう一人のエドがいて…てなことを考えてしまうわけです。理論上、多次元世界が存在するとは科学者によって語られるところで、人間の知覚の及ばない「モノ」が存在しないとは言い切れないのは多次元世界の話ばかりではないわけですしね。まあ、そんな伏線的なところが予めあるにしても、エドのメッセージは妖しの世界を想像させたり、はたまたかなりサイコ的でもあるような気がしてくるところではなかろうかと。ある種、怖い話でもありましょうなあ。

 

ともあれ、ジェレミー・アイアンズが出てくるということからしても映画『リスボンに誘われて』の執着を思い出させるものであったわけですが、多次元を想定して、自分自身に加えて他に10人の自分がいるという話、言葉だけの繋がりではありましょうけれど、どうしても「11人」という人数からは別のものが思い出されてしまいますですね。

 

想像に難くないであろう、萩尾望都の漫画『11人いる!』でありまして、実は読んだことがないのでこの際にとは思ったものの、ついつい手っ取り早く手を出したのはアニメ化されたものでありましたよ。

 

 

 

ありていに言って、宇宙空間を舞台にしたお話ではあるも、多次元とかそういうあたりとは全く無縁の、どちらかと言えば謎解きミステリの類だったのですなあ。で、これに限らず萩尾作品を全く読んだことがない者に言えるところではないかもながら、このアニメ映画のキャラ像ですけれど、萩尾漫画のタッチとずいぶん違うのではないですかね。作者描くところの人物にはもそっと影がありそうな気がしたりしますが…。

 

話としてもずいぶんと平板な印象があったので、ともすると作者の代表作のひとつと言われる作品なだけにやはり原典(漫画)に当たってみなければいけんのかなとも思っておる次第。ともあれ、もはや半世紀近く前に作り出された『11人いる!』、宇宙を舞台にしているとはいえ多文化共生てな当時は使われていなかった言葉を思わせる設定であるなと思う一方、ヒロイン(?)たるフロルの描かれようには今とは違う時代を感じるところでもあったりしたものなのでありました。