何だかだと言いつつもSF映画を見てしまうわけですが、
荒唐無稽な冒険活劇と割り切ってどっぷり浸る…という方法もあろうものを
どうしても考え込んでしまう。
考え込んでしまうといっても、理屈が分かるほどの科学的知識は持ち合わせておらないもので、
ともすると妄想というに近い類いなのかもしれないのですけれどね。
今回、そんな悩ましさのもととなったのは映画「インターステラー」でありました。
そもそもの設定は、どうやら星としての危機に瀕しているらしい地球。
となれば、当然にしてそこに住まう人間(それ以外の生物全てですが)もまた
危機に曝されるところながら、その危機の正体がよく分からない(ぼんやりしてただけかも…)。
しかし、このまま地球にいて手を拱いておれば絶滅という状況下、
宇宙のいずこかにあるであろう、人間が居住可能な星を探すというプロジェクトが
密かに始められていたという。
人間の持つ技術力では銀河を股に掛けて回るなんつうことは不可能(SFですが)なるも、
別の銀河へとワープする(「宇宙戦艦ヤマト」による理解で)穴が
宇宙のどこかしらからの手助けで人為的に開けられたことが分かったからなんですね。
そんなこんなで元宇宙飛行士のクーパー(マシュー・マコノヒー)は
ブランド博士(アン・ハサウェイ)らと連れ立って宇宙の彼方へと飛び立っていき、
繰り広げられるは大活劇!となっていくわけです。
さすがに往年の量産西部劇 ではありませんので、
もそっと伏線やらを張り巡らしてはあるとはいえ、
煎じ詰めるとこんなストーリーになってしまうのではなかろうかと。
ただ、ここで触れたいのはストーリーそのものではないのでありまして、
「三次元」「四次元」という「次元」の話なのでありますよ。
ネタばれ的なところは極力端折っておくよう努めるとして、
主人公クーパーはどうやら最終的に四次元の世界に入りこんでしまうのですが、
もうやおら「?」がいっぱいです。
縦横高さという3つの軸で構成され、
その中を人が自由に動きまわれる世界を三次元と考えるならば、
4つ目の軸として時間が他の軸と同じように、
人が動きまわれる世界を四次元と言うこともできましょうか。
早い話が時間を行き来できるという世界になりますかね。
そんなふうに考えることはできましょうけれど、
そうした四次元の世界なるものがどこかにあって、そこに迷い込んでしまうと…
といった展開にはどうも付いていき難いものがあるような。
なんとなれば、元来人間は三次元とされる空間を認識し、
そして時間軸は不可逆なものとして理解する中に存在している…ということを裏返してみますと、
それとは異なる空間・時間というものを人間の知覚では捉えられないのではないかと思うのですよ。
もちろん、理論上で四次元以上の多次元・高次元といったものを受け止めることは可能とはいえ、
肌身で分かるというようにはそもそもできていないような気がしたりするわけです。
卑近なことでいえば、人間は知覚できない、肌身で感じられないものは「無い」と思いがちながら、
コウモリには感知できる超音波なるものも、人には見聞きできないながら確かにあるのですし、
携帯電話の電波だってばんばん飛び交っているのですよね。
肌身で感じられないから「無い」のではなくして、「ある」のだけれどどうにも知覚しようがない。
そういうものがあることからすれば、そもそも三次元的な空間・時間の認識を前提に
存在しているものとって四次元というか、時間軸に可逆性がある世界というか、そういうモノは、
それこそ三次元的に捉えようがないのではなかろうかと思ったものですから。
映画の中ではどうしても「見せる」必要があって、
何とか頭を捻ってその造作を作り上げたものと思いますが、
「無理なんじゃね?」という気がどうしてもしてしまい…。
もっとも、ここにつらつら書いてきたのは科学に疎い者が何とか想像したことですので、
全く頓珍漢なことを言っている可能性は大きいですから、皆さんそれぞれに想像してみてくださいまし。


