どうにも言葉に対するこだわりが強いのか、はたまた単に素直に受け止められていないだけなのか、タイトルを見て「?!」と思うことしばしなのですなあ。手にとったのはちくま文庫の一冊、『中央線がなかったら』でありました。

 

 

一見したところでは、「もしも中央線がなかったら…」という仮定の下に新たな近未来像を描いて見せるというものであるかと思ってしまいもしたのでありますよ。さりながら、実は中央線が敷かれていないことを想定すると別の沿線風景に目が行くであろう、とまあ、そういうことのようで。表紙の左端に小さめに記してあるところまでがタイトルであると認識せねばいけなかったようで。ですので、正式には『中央線がなかったら 見えてくる東京の古層』ということになりますね。ただ、その意味合いで使うのならば「中央線がなかったら」という言い回しは、ちと言い回しとしてどうよ…と思ったりしたものです。

 

とまあ、個人的な食いつきはともかくとして、現在のJR中央線、それも東京近郊区間の快速電車が走っている部分は中野から立川まで「なぜ?」というくらいにまっすぐに走っておりますな。計画段階では昔からの交通事情を意識して、甲州街道沿いに線路を通したかったものの、地域住民の反対が多くて断念したと。曰く、交通・運輸に携わる者にとっては鉄道が街道と並走すると仕事をとられてしまうのではないか。商業に携わる者にとっては移動が速いとなれば町は通り過ぎられるだけになるのではないか。また農業に携わる者にとっては火の粉や煙をまき散らされては家(ほとんどは萱葺きだったのでしょう)も田畑もたまったものではないと、誰にとってもネガティブイメージしか描けなかったわけで。

 

かつて甲州街道勝沼宿のあたりをぶらりとしたときに、中央本線の勝沼ぶどう郷駅が宿場の中心からえらく離れた山裾にあることも、人々が大反対したらからと町の人が教えてくれましたっけ。勝沼あたりでもそうなんですから、まして東京近郊においてをやであろうかと。

 

ところで、計画する側として「いったいどこに線路を敷きゃあいいんだ!」と、さじならぬ物差しを地図に放り出したところ、その物差しが落ちた地図上の一直線を見て「ああ、これでいいか!」となった…てな話もまことしやかに伝わりますな。定規で線を引いたかのように一直線だものですから。幸いにも?この一直線にはほとんど雑木林ばかりで、反対の出ようがなかったようですので、確かに敷設しやすかったことでしょう。

 

もっとも雑木林の中に鉄道を通して、どれだけの利用客があるものか?と今なら考えるところですけれど、当時の鉄道に期待されたのはむしろ物流の方ですから、許容範囲であったのでしょうかね。ですが、できてしまえばやはり便利となるわけでして、街道沿いを置き去りにして沿線開発がどんどん進むのですなあ。こうなると「あのとき賛成しておけば…」てなふうになることは、先にも触れた勝沼宿の閑散としたようすを見ても想像できることで(といって、勝沼ばかりのことではないのですけれど)。それでも東京近郊の場合には、受給バランスからして中央線だけでは事足りないと、結局のところ甲州街道沿いに京王電鉄が通ることになるのですけれど。

 

とまれ、本書が扱うのはこうした前史的なところではありませんで、今では中央線があって当たり前の沿線風景になっているものの、それが無いものとして取り払って地図を見れば、さらには町を歩いてみれば、「東京の古層」が見えてきますよというお話。ま、元々は『東京人』という散歩のススメ系雑誌に連載されていたものをまとめたということですので、さもありなむの内容ではありましょう。

 

もっとも大きな着眼点としては、地図で見ますと中央線が東西に一直線であるの対して、町の区割りが東方向に75度くらい傾いていること。一番わかりやすいの吉祥寺のあたりでしょうかね。中央線と五日市街道や井の頭通りが交差しますけれど、町割りははっきり道に面してなされていることがよおくわかります。も少し手前の、荻窪で中央線と青梅街道が交差するところもまた同様かと。

 

つまり、この点での東京の古層、中央線が通っていない時代の町作りが道沿いになされていたことがよおく分かるのですよね。ですので、先日NTT技術史料館を訪ねた際に吉祥寺駅からバスに乗ることしばし、ようやく陸の孤島のような場所にある武蔵野市役所に到達しましたですが、これも実は五日市街道には至近という場所ではあったわけです。

 

本書の内容としては、そんなイメージの下に実際に町歩きをしてみて、昔ながらの痕跡があちこちで見つかるさまを紹介しており、それはそれで興味深いところながら、どうも近頃、個人的に歩き回った場所を追体験するようでもありまして。例えば武蔵府中の国府跡とか武蔵国分寺跡とか。はたまた日野の湧水とか。

 

最後に、本書で言いたいのはこういうところなのだろうなあというあたりを引用で。散歩のススメではあるものの、それだけではありませんよということが示されておりますよ。

ちょっとその気になって地形を足裏で感じつつ、土地の姿を丁寧に観察すると、武蔵野の原風景が随所に浮かび上がる。…ところが、人々の日常において意識される重要度は、まさに逆の順になっている。つまり古い構造ほど、深層に眠っていて意識されることが少ない。だが、一度これらの存在に気づくと、その地域なれではの空間的なアイデンティティをはっきり認識できるようになる。土地への愛着も増し、楽しみも増える。

東京という移民都市(?)だからこその提言でもありましょうかね。でも、住まうところそれぞれに歴史の層の積み重ねが実はあるのだと、言われて気付かされるというものでもなくして、自分自身として気付くかどうか(気付かないからどうだということは全くないことでもありましょうし)なんではないかなと思ったりしておりますが…。