東京・府中にあって、今では一番のランドマークは大國魂神社であろうと思うところながら、
広いお社の敷地はすべて、かつての武蔵国国府として国衙が置かれていたという。
先に国司館跡の広々としたようすを見ていただけに、国の役所があったところは
さらに広々として…と思うところが自然でもありますね。
大國魂神社の東側に国衙跡の史跡があるということで訪ねてみたわけですが、
確かに建物があった場所を示す柱は林立しているものの、なんともはや狭い…。
まあ、府中市といえば東京の市部の中でも指折りの人口を抱える町ですので、
(ちなみに大きな面積を誇る八王子市、町田市に次ぐ規模かと)
四方に住宅が迫り、発掘調査を行うこと自体、またその一部にせよ、史跡として残すことも、
なかなかに難しいところであったろうと、想像はできるところかと。でも、やっぱり…。
奥にあるガイダンス施設のガラス張り壁面に鏡の効果を見立てて、
柱がたくさんあるように広く見せようとは、なんとも涙ぐましいであるような。
ともあれ、その施設の展示解説を拝見することに。
ガラス張りの内部は発掘によって出た遺構のようすを展示する施設であるということで。
手前から、ここに掘立柱の柱穴が見つかりましたよという跡を埋め戻した際のマーク、
奥にむかって掘立柱の再現と柱穴を掘り返してみたところ、一番奥が礎石を持つ柱であると。
ざっくり掘立柱が使われているのは奈良時代、礎石の持つ建物は平安時代となるようです。
ところで、ここの史跡は妙にこぢんまりとしてしまっていることは先にもふれましたけれど、
武蔵国の国衙として本来は「東西200m以上、南北300mに広がる」と推定されているそうな。
これを今の地図に重ねてみると、こんな具合だとか。
国府跡、そしてその中心に国衙跡が示されておりまして、全貌は測りかねるようで。
何しろびっしり住宅が立ち並んでおりましょうから、やむを得ないところかと。
ただ大国魂神社の参道だけでも結構長いものですので、
そこから推し量ってもそれなりの広さはあったろうと思われるところです。
そうしたことを考えるにつけ、なかなかに東京や大都市の場合は
史跡の発掘も保全・保存も難しいものであるとあるなと思ったりするのでありました。