東京・府中市をぶらりとしようとしてJR府中本町駅で降りますと、

駅前に国司館跡の史跡広場が広がっていてびっくり…とは先に書いたところですけれど、

ここから先、まずは大きな鳥居をくぐって進むことになるのでありまして。

 

 

この向こうは大國魂神社の神域でもありましょうか、ここだけ鬱蒼として森がこんもりと。

結構な大木がありまして、こちらの大ケヤキなどもそのひとつかと。

 

 

もそっと奥には、樹齢1,000年とも言われるご神木の大イチョウが高さ20メートルで聳えていますが、

こちらのケヤキは30メートルに近く、実に堂々たる立ち姿でありますよ。

 

と、くぐり抜けた鳥居は西側からこそっと境内に入り込むという感じ。

本来の参道はすぐそばを南北に通っておりまして、今では府中の玄関口である京王線府中駅との間を

まっすぐに結んでいるとの印象しかありませんが、古えには武蔵国分寺との間を結ぶよう形だったのかも。

 

なにしろ武蔵国の府中として置かれた「国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所」と、

そんな由緒のお社でして。社殿では「大化の改新(645)ののち」のこととされますので、7世紀半ばかと。

 

 

というところで参道正面に歩を進め、随神門から奥へ。

潜ってすぐ左手にひとつずんぐりした建物がありましたけれど、お寺の鐘楼ならぬ鼓楼であるということで。

 

 

お寺は鐘で、神社は太鼓で時を告げていたようながら、

現在のこの鼓楼は嘉永七年(1854年)に再建されたもの…ということは、

調布から日野の佐藤道場に通う道すがら、近藤勇もこの太鼓が告げる時を耳にしたのでしょうなあ。

 

 

さて、こちらが拝殿になります。正面に飾られた扁額に「総社六所宮」とありますのは、

社伝に曰く「本殿の両側に国内著名の神、六所(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・

金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられる」ということですけれど、

元々のご祭神は大國魂大神、つまりは大国主神であると。

 

先には大化の改新後に武蔵国の国衙の斎場として…と記したですが、これまた社伝によれば

起こりはさらに古く、景行天皇の41年(西暦で言えば111年)に大國魂大神の託宣があって造られた…とは、

もはや神話の領域でありますな。

 

ところで景行天皇といえば、天照大神を安んじる場所を探して諸国を巡った倭姫命とは兄妹になりますね。

古くから伊勢も出雲もそれぞれに敬う、そんなようすを思い浮かべるところなのでありました。