元は三重テレビが制作した番組のようですけれど、
何故か見られるTVK(テレビ神奈川)で放送している「斎王~幻の宮の皇女~」、
全10回を月1回くらいのペースでオンエアされるたびに後から見ようと録画して、すでに4回まで。
そろそろ見始めるかと取りあえず第1回目を見てみたのでありますよ。


「斎王」と言いますのはざっくり言って、
伊勢神宮の巫女として仕えるよう送り込まれた皇族の未婚女性てなことでもあろうかと思いますが、
飛鳥時代から南北朝期まで続いたとされる「斎王」の制度がどのようなもので、
どのような人物がこれに当たったのかてなあたりはあまり関心がもたれてこなかったのではないかと。
番組の制作意図もおそらくはその辺(かつ伊勢神宮のPRと観光効果)にあるのではないですかね。


ドキュメンタリー的に「斎王」の軌跡を辿る仕立ての初回は「斎王前夜」というもの。
「斎王」はどのようにして誕生することになったのか、
という以前にそも伊勢神宮は何故伊勢にあるのかというあたり、
日本史に疎い者には「ほうほう」という内容でありましたですよ。


伊勢神宮には天照大神の姿を写したということから「八咫鏡」が御神体として奉じられていますけれど、
そもそもは大和の宮廷に置かれてあったそうですなあ。
されど災い続きのあるとき、そも宮中に天照大神と倭大国魂神のニ神を祀っているのが
「まずいんでないの…」ということになって、宮廷の外に祀る場所を探すことになったそうな。


倭姫命(垂仁天皇の皇女)に「八咫鏡」が託されて、安置するのに最適な場所を探し、
各地を訪ね回って40年!ついに伊勢の地で天照大神の声を聞き、場所を定めたと。
それが伊勢神宮の始まりというわけですね。


ただ、未だ史料の残らない時代のことであるだけに、各地の伝承をうまいことまとめて(失礼!)
日本書紀、つまりは日本の神話として体系的に取り込んだ事柄のひとつでもあろうと思うだけに、
「なぜ伊勢か?」という点では日本書紀も後付けなのだろうなあとも。


ですが、日本神話の構成要素が全て作り話かと言えばそうとばかりも言い切れないでしょうなあ。
断片は正確で繋ぎ合わせる際に無理があった…てなこともありましょうし。


ですから、どこが信じられてどこが信じられないとは俄かに言いがたい。
例えば、倭姫命が伊勢にたどり着くまでに40年の歳月、あちこちを廻ったということも
「40年とは誇張なんでないの」と思うところながら、番組では一応答えが用意されていたのですな。


何となれば伊勢神宮と稲作の関係を考えた場合に、
神様がおわすのに稲の実りが悪いところであってはならず、
各地で稲作の実際をやってまわったが故に年月がかかったという見方でありますね。


と、ここまでの話を聞いたときに「!」と思いましたのは、
倭姫命が大和を出て伊勢に至るまでのルートのことなのですね。


まず、滋賀へ入り、岐阜へ抜け、ほどなく信濃かという段階でやおら逆戻りして伊勢に至る。
そこのところに特段の説明はなかったですが、中央から余り離れすぎてはいけんと思った…てな
言い方もできるように思いますが、それより先には進めなかったと見ることもできようかと。


勢いが挫かれるのは大きな抵抗があったときでもあろうかと、
アレクサンダー大王がもしインドで足止めされなければ、そのまま極東まで来ていたかもなんつう
想像も呼びますが、倭姫命も信濃で抵抗勢力に遭遇したのかもしれませんですな。


たまたまにもせよ、ちょいと前にNHKで諏訪の御柱祭に関するドキュメンタリーを見たですが、
どうやら御柱祭は縄文文化の名残りであるといって、そこには中央から広がりを見せた弥生文化、
すなわち稲作文化ともせめぎ合いがあったということなのでありますよ。


諏訪に伝わる話に倭姫命が出てきたりはしないようですけれど、
国内での稲作伝播が諏訪を迂回して広まりを見せたという点では関連するところありなのでは?
と思ってしまうところでありますよ。


先にも言いましたように、どこが信じられてどこが信じられないかは想像で補うしかない神話の世界。
そんな想像がぐおっと湧いてくる瞬間は、TV番組を見ていることそのものよりも
断然に面白いところでありますなあ。


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