東京・立川市にある国文学研究資料館でまた新しい特別展示が始まりましたので、出かけてみたのでありました。「創立50周年記念展示 こくぶんけん〈推し〉の一冊」というものです。

 

 

ひとつのテーマのもとに展開される展示もありましたけれど、今回並べられた資料はそれぞれに個性的。それもそのはず、古典研究という点では同じとしてもそれぞれに専門の異なる国文研の研究者が、それぞれに一推しの資料を挙げているものですので。挙げた理由も人それぞれ、なかなかに興味深いものもあれこれありましたですよ。見る側としても興味の持ち方はさまざまということにはなりますが、気になったあたりに触れておこうかと思うところでして。

 

まず最初として、国文研資料館の館長自らが挙げていたのは『毎月抄』という歌論でありました。和歌研究者らしい一推しですけれど、寄せた言葉の中に「和歌はどうしてこれほど長くいたのか」という、素朴な?疑問が寄せられていたのが印象的ですな。確かになぜ?と。

 

千数百年を経てなお今でも新しい歌が詠み続けられているわけで、例えば(といって確たるものはありませんが)シェイクスピア時代の形式でソネットが今でも作り続けられているのだろうかと思えば、どうでしょうねえ。仮に作り手がいたとして、日本での和歌のようにたくさんの人が詠んでいるのかどうか。はたまた、短歌甲子園のような大会が開催されているとか(?笑)。まあ、作る際の決まり事があるにしても、和歌は比較的自由ですし、短いだけに誰にもとっつきやすい。語呂の点で、七五調は現代の人にも妙に馴染みますしね。

 

続いて目をとめたのは御伽草紙を中心テーマとしているという研究者が挙げていた『狭衣』です。昔は借用というか、引用というか、今でいえばパクリと思えるようなことにも鷹揚だったようでして、むしろ引用されるほど要するに有名の誉?だったりしたのですよね。そんな中、「『源氏物語』の影響を受けた人気作品」として『狭衣物語』が作られ、さらに『狭衣物語』の登場人物のひとりにすぎない飛鳥井女君をヒロインにしたスピンアウト作品『狭衣』が作られたのだとか。

 

全四巻に及ぶ元のお話ですけれど、飛鳥井女君は第一巻のうちに主人公・狭衣に見限られて入水自殺してしまうという出番の少ない人物ながら、これをヒロインに据えてしかもハッピーエンドに改作してまったのが『狭衣』であったとは、この作者は原典の結末に「意義あり!」だったのでありましょうかね。こういう二次創作みたいのは、個人的には常に試みたいと考えておるところですが、今では著作権やらなにやらありますから、下手に手出しはできません(と、書かない言い訳をしておりますが…)。

 

お次は『武鑑』なる書物を。近世日本史を研究している方が挙げておりましたですが、これ、結局のところはいわゆる『紳士録』、「大名WHO’s WHO」みたいな一冊のようでして、(ちょいと前の『ブラタモリ』で取り上げていましたように)江戸の町には大名屋敷がずらりと立ち並ぶ状況の中、いったいここの屋敷の大名はどんな人?てなあたり、知りたい人がたくさんいたのでしょう。ハンディ・タイプのものも出版されて「江戸見物や江戸土産に利用されました」とは、お江戸の人たちの物見高さが窺えるような。

 

一方で、江戸期の大名をそのままに絵にすることはできなかったでしょうけれど、その代わりに戦国時代以前の武将たちを描き出すのは浮世絵などにもあるところかと。冊子の体裁になっている『絵本武者備考』というものもその類のようですが、その中に足利尊氏像が描かれていると。それが、かつて歴史の教科書などにしばしば掲載されていた騎馬武者像にそっくりだというのですね。

 

この絵(騎馬武者像)は従来の説が疑問視されて「尊氏ではない。高師直ではないか」てな話になっていることを知り、びっくらこいたわけですが、江戸期の資料にそっくりの図像があったりすることで、「やっぱり騎馬武者は尊氏なんじゃね?」と「再評価する傍証にもなっています」ということでもあるようで。いやはや、歴史研究もちゃぶ台返しのようなが何度も起こりますなあ。

 

ところで、兵学者として名高い山鹿素行(ちなみに赤穂浪士の大石内蔵助が打ち鳴らす山鹿流陣太鼓が夙に知られるも、これは創作であるとWikiに)が書いたという『古戦短歌』なる書物も展示されておりました。これは桶狭間の戦いや本能寺の変なども含んで、古今の戦を「七五調に仕立てたもの」であるとか。兵学の弟子に対して覚えやすく書いたか?などとありましたが、戦さのようすを七五調で語るとは、どうしたって講談を思い出したしまいますな。展示解説にはありませんけれど、これが後の講談のタネ本になったのではと、個人的には思い巡らしてしまったものでありますよ。

 

と、あれこれ挙げているときりがないですので、最後にひとつ、『御曹子島渡』なる一冊を。室町時代に作られたようですけれど、源義経が主人公であるですな。義経には大陸に渡ってチンギスハンになった…てな話が伝わるように、判官びいきが生んだ空想物語のひとつがこの本でもあるようで。

 

やはり奥州の戦さを生き延びたという義経が流れ流れてさまざまな島を訪ね、島民と交流するという内容ですが、訪ねる島というのが「馬人島」やら「小さ子島」やらとなりますと、思い出してしまうものがありますなあ。スウィフトの『ガリバー旅行記』が出版されたのは18世紀ですので、室町時代に書かれたという『御曹子島渡』が西洋に伝わり、もしかしてもしかして…などと考えてしまいますな。確かにそういう説もあるとか言うことでありますよ。

 

という具合、なかなかにそのままで読み下すことはできない古典籍ですけれど、紹介されてみればいろんな食いつきどころがあるものだなと。これもまた楽しからずやなのでありました。

 


 

…というところで、久しぶりに両親のようす窺いに行ってまいりますので、明日(6/5)はお休みを頂戴いたします。また(おそらくは)週明け(6/6)にお目にかかりたく。どうぞよしなに。