武蔵府中の史跡を少々巡っておりましたが、最後にぶらりと立ち寄ったのは府中市美術館、
「映えるNIPPON 江戸~昭和 名所を描く」という企画展が開催中でありました。
果たしてこの展覧会タイトル、「はえる」と読むのか、「ばえる」と読むのか…。
美術館に至るまでのぶらり歩きでは武蔵国国司館跡とか、大國魂神社とか、
もっぱら古い、古い時代を見て来たわけですが、ここでの展示は時代をぐう~んと進めて江戸から昭和、
まあ、歴史散歩の延長のような感じはありますですね。
それはともかく、まず初めには歌川広重の「名所江戸百景」から十数点、並んでおりましたですよ。
今の時代に、「はえる」という以上に「ばえる」ものを見出す目線、これはこの時代の北斎や広重が切り取った
景色の見方が受け継がれているのかもと思ったりもしたものです。
ゴッホも模写したという「亀戸梅屋舗」は写真好きならばいかにも狙いそうなアングルですしね。
「水道橋駿河台」では近像型構図というのでしょうか、手前にあるものを極端に大きく描き出す形で
ここでは巨大鯉のぼりが大空を舞っているわけですが、手前をクローズアップして大きく見えるのはともかく、
その後ろ、奥の方に江戸の町を悠然と泳ぐ鯉のぼりの、これまた大きなこと。
こうしたあり得ないと思えるものでも、むしろ楽しく笑って受け止める空気、感覚が
江戸期の庶民には根付いていたのであろうなとも思うところです。
さて、時代は明治へと進み、「開化絵」と呼ばれるものが出てきます。
先に練馬区立美術館で見た「電線絵画」なども同様に、文明開化の事物を取り込んだ作品群ですが、
これがそ「赤絵」とも言われるのは、輸入されるようになった化学染料を使うことで赤みが増した見た目の故。
これも時代のなせるところでありましょう。
ところで、日本では西洋画の技法と写真技術とが同時期に普及したという解説がありましたですね。
曰く、両者は「双子のヴィジュアル・メディア」であると。この頃の西洋画と写真と見比べてみると、
風景の切り取り方において、その「視点、構図が似通っている」ことがまま見られるそうな。
いずれも、要するにベスト・アングルを探していたのでしょう。
時代の流れを追った展示としては、このあとに小林清親の光線画、川瀬巴水の新版画と紹介が続き、
改めて巴水の作品には見入ったところですけれど、それを措いても興味をそそられたのは、
「観光宣伝グラフィック」と題したコーナーでありまして。
観光マップとしてよくあるのが、限られた紙面の中にその観光地周辺の見どころをぎゅっと押し込むのに
もはや地図とはいえないデフォルメが施されているわけですが、その工夫がまた面白いところでして。
単なる販促物と思ってしまうところながら、これには歴とした作者がいるわけで、
分けても吉田初三郎という人はその道の第一人者でもあったようですな。
作品を作るごとにどこまで描き込めるか、そんな挑戦をしていた人なのかもと思えてきますのは、
例えば「神奈川県観光図絵」という横にながぁい一枚の中に、北は日光連山が描かれているのはまだしも、
西へと続く鉄路の先に描き込まれた地名たるや、名古屋、大阪を越えて下関、門司とまで。
一方で、ミクロ的にはどこまで細かく記されているかを見るのもまた、興味は尽きないところです。
こうした観光案内が旅先での楽しみ発見に役立った一方、そも旅情を掻き立てるという点では、
広重以来の風景画がひと役もふた役も買ってきた中、日本に国立公園ができますと
これを紹介する絵画も(政府肝煎りで)作られたわけですね。以前、はけの森美術館で見たとおりです。
かくて庶民にも旅行の楽しみが浸透していったのでありましょうけれど、
それをぱったりと止めなければならなくなってしまっているご時勢、
今は名所絵などをじっくり眺めることこそ楽しむ時なのかもしれませんですね。