またまた近所の美術館詣でということで、府中市美術館に行ってまいりました。

「春の江戸絵画まつり」というふれこみの企画展は『与謝蕪村 「ぎこちない」を芸術にした画家』でありましたよ。

 

 

個人的には、与謝蕪村は俳人であって絵も描く人というふうに受け止めていたですが、

どうやら当時のようすは異なっていたようで。こんな説明文がありましたし。

53歳の時に刊行された京の人名録「平安人物志」では「画家の部」の上位に…中国風の絵を描く画家として掲載されています。

今の、というか個人的な認識とは異なって俳句もよくする画人というのが与謝蕪村なのでありましょうかね。

しかも「中国風の絵を描く画家」とはもっぱら水墨による山水画を描いていたということでもあろうかと。

 

蕪村の絵は、これまた個人的な思いとしましては、山形美術館で見た「奥の細道図屏風」、

これは本展でも展示されていましたけれど、この飄々感、軽妙にして洒脱な雰囲気こそ蕪村であるか、

とまあ、そういう気がしていたのものなのですが…。

 

とまれ、今回展では早速に山水を描いた大きな屏風など目に飛び込んでくるところながら、

どうも一般に山水画から感じる「峻厳さ」といいますか、そういうところとは対照的な印象なのですよね。

解説にある「ひょろひょろとした線描」という表現に「確かに!」と思うところです。

中国の山水画は、深山の気を一幅の絵に取り込むものとして生まれました。俗気を寄せつけない深遠さや霊気を漂わせ、「崇高」でなければならないという伝統があり、それが基本なのです。

と、こちらが山水画として思い浮かぶところを言い表した解説になるわけですが、

どうも蕪村の描くところはそうでもないようす。蕪村の生きた当時にもその水墨画を評して

「和臭がする」との批判があったようですけれど、これは本来中国風であるべき山水画が

中国風でなくして和風の臭い(匂いでないので好評の方向ではないのでしょう)があるてなことらしい。

 

さりながら、この「和」は「なごみ」の意でもあろうかと思ったりもしたものです。

何しろフライヤーの真ん中に大きく配された、あんなふうなウサギを描いたりする人なのですから。

 

しかしまあ、かように見える山水画の展示からスタートする展覧会としても、

単に素晴らしいでしょ、すごいでしょと作品を持ち上げるのではなくして、

「どうです、このぎこちなさは!」と問いかけてくる企画、なにしろ「ぎこちない」を芸術にした画家というのが

本展のタイトルにもなっているわけで。

 

そこで、しきりに展示解説で「ぎこちないでしょ」と語りかけを見ることになり、

それでは蕪村は「実は下手?」かと思えば、どうやらそうとばかりも言えないようで。

 

京都国立博物館蔵の「野馬図屏風」に描かれた馬の姿などは実に写実的であったと思うところでして、

展示全体に横溢する「ぎこちなさ」というか「ゆるい」というか、軽妙洒脱な雰囲気とはちと異なる感じですが、

「写生」で知られる円山応挙の画に、蕪村が自らの句「銭亀や青砥もしらぬ谷清水」を賛として添えた扇面画から

応挙とのつながり、ひいては蕪村の「写生」への意識を見るような。

要するに本当は上手、という力量がある上で自由にやっているのが蕪村なのでありましょう。

 

展示作ではありませんが、応挙が蟹を描き、蕪村が蛙を描いた合作「蟹蛙図」という作品では

いささか応挙が蕪村にひっぱられたかとも思われる簡略化した描きようがあってなお蟹らしい蟹であって、

(もちろん蕪村描くところの、背を向けた蛙はものの見事に単純化されているわけですが)

この力の抜き方が蕪村の真骨頂なのでもあろうかと。

 

ですので、展覧会の趣旨には反するかもですが、あまり「ぎこちない」と言われると、

そうなのかなあとも思ってしまいますですね。マニエリスムの画家たちが描く人体像なども相当に、

本来の人体と比べれば「ぎこちない」とも言えましょうし、それが「見せる」技術であったのでしょうから。

 

ま、マニエリスムと蕪村では「見せよう」と考えたところに違いはありますけれど、

一見したところの奥に感じとれるものがあるところに深みがあると言う事でありましょうかね。