そういえば、ライプツィヒ造形美術館のネーデルラント絵画の展示室にはこんな一枚がありましたな。
ピーテル・デ・ホーホが描いた1615年頃の作品、ヴィオラ・ダ・ガンバと思しき楽器を持っている人がいますが、
当時のアムステルダムでは日常的に音楽があったということになりましょうか。
ネーデルラント絵画の中には音楽のある室内風景がよく描かれますし、
静物画にもリュートなどの楽器を配したものが結構見られることからも窺えるところでありましょう。
先に取り上げたルネサンス音楽では、これを最初に牽引したのがブルゴーニュ楽派でしたけれど、
この一時期勢威をふるったブルゴーニュ公国はフランドルに拠点がありましたし、
その後にはフランドル楽派と呼ばれた作曲家たちが登場してきますので、
地域的には音楽が盛んでも何の不思議もない。とりわけ市民が商工業によって豊かでもありましたし。
ですが、作曲家の名前が挙がるかどうかという点では、ネーデルラントはその後あまりぱっとしませんね。
時代はバロックに移りつつある時代、上の絵のように市民は音楽に興じてはいるものの、
主だった音楽家は他の国に譲ることになった点では、イングランドに近いものがあるかもしれません。
何しろるルネサンス音楽を開いた一人にジョン・ダンスタブルの名前が出て来たりするものの、
バロック期にヘンリー・パーセルの名が挙がるだけで、その後はエルガーまで名だたる作曲家がいない…と、
揶揄されてしまう英国ですのでね。
てなことで、音楽の世界でバロックといえば、
先に触れたジョヴァンニ・ガブリエーリがヴェネツィア楽派でバロックにつながる道を開きましたようにまずイタリア、
そしてフランス、ドイツの作曲家の名前であればざくざく思い浮かぶところではなかろうかと。
翻って美術の方でのバロックですけれど、しばらく前のTOKYO-MX「アートステージ」では
「バロックへの道を切り拓いたアンニーバレ・カラッチ」を取り上げておりましたなあ。
イタリアで花開いたルネサンスはダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった巨匠を生み出して、
その後に続く人たちには巨匠作品の様式(マニエラ)の模倣こそ良しと考えるマニエリスムが流行るわけですが、
以前読んだ『偽装された自画像』には、マニエリスムについてこのように紹介しておりましたなあ、ちと長いですが。
手法のことをイタリア語で「マニエラ」という。したがって、巨匠たちのマニエラを生かして制作をする画家たちはマニエリストと呼ばれ、この時代の美術はマニエリスムと称されている。マニエリスムは英語に直せばマンネリズムである。 …だが、実際のマニエリスムの作品は、ワン・パターンとは程遠く、個性的で豊かな着想に支えられている。 個々の手法に習熟していく過程で、画家たちは誇張や歪曲といったさまざまな技巧を身につけ、これを巧みに用いて 巨匠たちの手法をつなぎあわせていった結果、出来上がった作品は人工的でリアリティを欠いた空想的なものであったり、 不可思議で神秘性を感じさせるものであったりした。見ている者の落ち着きをなくさせるような居心地の悪さや、 夢の中を覗いているかのようなとらえどころのない不安感は、マニエリスム作品に典型的な特徴である。
典型的なマニエリスム作品としてよく引き合いに出されるのがパルミジャニーノの「長い首の聖母」ですけれど、
上の引用に続いて「マニエリストたちの作品は、二十世紀に入ってから、シュルレアリスムの画家たちに高く評価された」ともあり、
独特の美人画に至る前の東郷青児がシュルレアリストだったことを思い出してみますと、
東郷の代表作「望郷」は「長い首の聖母」そのものとは言わずともマニエリスムへのオマージュだったりするのかもとも。
とまれ、そんなマニエリスムの誇張や歪曲が性に合わなかったのか、カラッチは古典的な均整や調和の方を指向し、
その写実性がバロックへの道を切り拓くことになるのですなあ。人体を技巧的に描くようなことでなく、
例えば光と陰の対比を駆使してドラマティックさを引き出したカラヴァッジョのような、バロックへの道でありますね。
先にルネサンスとバロックの違いは後者のドラマティックさにあるのでは…てな話をしましたですが、
番組で紹介されていたカラッチは「豆を食べる男」といういささか地味な作品でした。
この段階でバロックの入り口はむしろそれまでにない写実といいますか、リアリティーといいますか、
そっちの方にあったような。そこれが昂じて盛期バロックへと向かっていくのですなあ。