佐藤彦五郎新選組資料館から日野用水沿いに一投足、
奥まって目立たないところにその蕎麦屋はありました。その名を「日野宿ちばい」と。
全くもって一般のお宅のようであり、訪問客同然に玄関から靴を脱いであがり、
窓に面した客間でもって蕎麦をいただくことになりますけれど、
実はここもまた新選組にいささかの関わりがあるのですなあ。
お店のHPにも「新選組の近藤勇ゆかりの蕎麦処」とあるのでして。
では、そのゆかりとは…。日野市観光協会HPなどなどの情報によりますと、
この店の庭にある一本の梅の老木、これが「血梅」と言われているそうな。
元は八王子千人同心の千人頭であった石坂弥次右衛門の屋敷内に植えられていた梅の木を
近藤勇が痛く気に入っていたのだとか。その梅の木は「八王子で接穂によって増やされていた」そうですが、
そのうちの一枝を譲り受けたものがこちらの庭に根付いているのだとそうでありますよ。
まあ、食事処でそのまんま「血梅」では見た目に居心地悪そうですので、
ひらがな書きで「ちばい」とし、店名に掲げたものでありましょうね、きっと。
とまあ、そんなゆかりのお店でいただきました盛り蕎麦とかき揚げ、おいしゅうございました。
日野でおいしい蕎麦を食す…と、これはお江戸の風流人・蜀山人こと大田南畝もご同様だったようで。
高い学才を買われて幕府では出世頭かと目されていたところが、その出世も狂歌好きが仇となって
頭打ちになったとかいうことですな。よく知られるのが寛政の改革での文武奨励を皮肉ったこちらの一首かと。
世の中にかほどうるさきものはなしぶんぶといふて夜もねられず
とまれ、玉川(多摩川)通普請掛勘定方という役に就いた南畝は現地視察で多摩川流域を回った際に
日野宿に立ち寄り、日野本郷の名主であった佐藤彦右衛門(彦五郎のご先祖ですな)に
蕎麦をふるまわれて大感激、「はじめて蕎麦の醍醐味を実感できた」てなことを言ったとか。
その感激を南畝お得意の狂歌に詠んだのが伝わっておりますな。
そばのこのから天竺はいさしらずこれ日のもとの日野の本郷
いかにして粉をひこ右衛門ふるいては日野の手打ちもこまかなるそば
唐天竺に蕎麦があるのかは知るところではないものの、これを引き合いに出すということは、
日本一というのみならず、三国一だと言いたいのかも。日野の蕎麦をそれほどに褒めておるわけで。
まあ、「ちばい」の蕎麦が、それほどまでに褒めそやされたものの直系伝来ではないものの、
伝統の気概はここでの手打ちに込められていたのではありますまいか。
そんな気がしたものでありますよ。