「ライプツィヒ・オールスターズ」紹介のおり、ライプツィヒ市と同じくらいの人口である八王子市で
「八王子オールスターズ」を選び出したとしたら、どんな顔触れになりましょうか…みたいなことを言いましたですが、
これをも少し広く多摩地域で考えたとするならばおそらく(というには個人の印象が入り込みすぎかもながら)、
近藤勇や土方歳三がリストアップされるかもしれませんですねえ。
近藤は今の調布市、土方は今の日野市の出身、当時はいずれもが武蔵国多摩郡でありましたから。
と、やおらそんなことを思いましたのは映画「新選組」を見たからなのですが、
たびたび映画化されている新選組のお話、このほどは三船敏郎主演の1969年作品でありましたよ。
ストーリーとしては、三代将軍家光以来の将軍上洛に際して警護に当たる浪士隊に
近藤勇(三船敏郎)や土方歳三(小林桂樹)らが参加するところから始まり、
紆余曲折(このあたりは敢えて細かく記すまでもないでしょう)を経て、
近藤は下総流山で投降、板橋の刑場で斬首される、その瞬間で「完」となるあたり、
新選組というよりも近藤勇の映画なのだろうなあと。
新選組の組織運営上では気になるところである近藤の慢心といいますか、
存在が大きくなるにつれてそれなりの立ち居振る舞いが必要と考えた近藤が、
当初からの仲間であった連中からは「なにを偉そうに!」というように見られるといったあたり、
触れられておりませんから、近藤のいいとこどりでもあろうかと思うところです。
実際、この映画は三船敏郎映画出演100本記念ということでもあるとなれば、
近藤の映画という以上に三船敏郎の映画でして、いかに三船をかっこよくみせるかでもあったのでしょう。
配役には沖田総司=北大路欣也、芹沢鴨=三國連太郎、伊東甲子太郎=田村高廣、
山南敬助=中村梅之助、有馬藤太=中村錦之助とそれなりの陣容で、
女優陣も司葉子、池内淳子、星由里子、野川由美子を取りそろえて、三船を支えているわけですね。
そんな中で土方歳三が小林桂樹であったというのには「むむむ…」と。
三船との絡みではどうしても「椿三十郎」(だったかな?)でのお気楽侍ぶりが思い出されてしまい、
頑張って鬼の副長ぶりを見せてはいるものの、どうもなあと思えてしまうような。
これも三船・近藤の引き立て役だったのかな、とまで言っては申し訳の無いところながら…。
とまあ、そんな映画ではあったわけですが、見ていて思うところは幕末の武士のありようといいますか。
近藤を前に「もう幕府はダメだ」と勝海舟が言い切るあたり(これはこれでよく見る場面ですが)、
確かに時局観としては先を見通せている、だから勝は大したものだとなるところながら、
これに相対する近藤は幕府、将軍と共にある未来像を(自ら描けはしないものの)愚直に考えているのですよね。
むしろ多摩の農民として将軍お膝元にあることを当然に思い、天領であることから将軍と直接の上下関係であることに
ある意味、誇りを抱いていたのかも。こうした思いという点では、古の武士の精神がむしろ温存されていたのかもです。
「直轄領に対する幕府役人の配置も少なかったために農民は自己防衛を行うようになり、剣術がさかんになった」とは
Wikipediaにあるところですが、近藤勇が天然理心流四代目宗家を継いだりするようになる背景でもありますな。
こうしたことを通じて武士への憧れを高めた中では、武士の心かくあるべしのような思い込みも強くあったのではなかろうかと。
確かに新選組は人斬り集団であったわけで、しかも明治政府を作った側からすれば朝敵の賊軍とはなるものの、
人斬り集団であったことを今の感覚で受け止めてるのは必ずしも適当ではないでしょうし、
(もちろんいいことではありませんが、勤王派の方にもたくさん人斬りはいましたし)
勝てば官軍の言葉どおりに負けた側が賊軍扱いされることには、ちと引いた見方をしておいた方がいいような。
ですが、改めて歴史の見方を云々するまでもなく、新選組は今に至るもドラマになったり、映画になったり、
小説に書かれたりしている点は、これまた善し悪しは別として負けた側に対する思い入れといいますか、
判官びいきてな言葉が馴染む日本人の心性なのでもありましょうか。
愚直に一途なさまというのは、なんとなく肩入れしたくなるところでもあるわけです。
それに比べて先に触れた勝海舟の言いよう(確かに正しい分析としても)や、
幕末に攘夷をかざしながら「長州ファイブ」の一人として渡英し、その産業を目の当たりにして
明治の欧化を推進した伊藤博文(一人だけ例に挙げて恐縮ながら)なども、
その変化がいけないとはいわないものの、愚直一途の魅力(?)には叶わないような気がしますなあ。
考えようはさまざまでもあるものの、そんなこんなですので
「多摩オールスターズ」の暫定メンバーに近藤勇は入るのであろうなあと思ったりしたのでありました。