宮本武蔵。言わずと知れた剣豪でありますな…と、「言わずと知れた」と言いながら、
宮本武蔵の何を知っているかと言えば実に心もとない。
それこそ、昔にちゃんばらごっこが子供の遊びだった時代にはその剣豪ぶりを知らぬ者とて無い、
そんな存在だったのではと思うところです。講談や映画などでよく取り上げられたでしょうし。
忠臣蔵 なんかもそうなんですが、そうしたかつては当たり前に誰でも知っていた人物や出来事を
なんだか今頃になって「そういえば知らなかった…」と思い、食指を伸ばしていたりするという。
何も昔の剣豪のことばかりではありませんが、遅まきながらにせよ何にせよ、
知ってみるということは楽しきことかなではありますね。
てなことで、このほど見てみましたのは映画「宮本武蔵 完結編 決闘巌流島」というもの。
完結編というからにはそれより前があるわけでして、
「宮本武蔵」(1954年)、「續宮本武蔵 一乘寺の決斗」(1955年)と続く三部作の
最後を飾る作品(1956年)であったということで、これだけ作るのですから、
当時の人気のほどが知れようというものでありますね。
ちなみに宮本武蔵は三船敏郎、佐々木小次郎は鶴田浩二というキャストでした。
話は完全にそれ以前からの続きになっていますので、
予備知識なく一乗寺の決闘がどうしたこうしたと話題にされても「?」ではありますけれど、
武蔵の決闘でいちばん有名な巌流島の決闘を取り巻く情勢のほどは
少々理解することにはなりましたですよ。
しかしながら妙な因縁がついて回ることかなと思いましたのは、
武蔵・小次郎に細川家がちらちらしていることでしょうか。
以前、熊本に出かけた折、細川のお殿様が武蔵を客分として招き、
5年間を熊本で過ごす中で有名な「五輪書」などを著した…てなことを知ったわけですが、
巌流島に至る以前、当時は小倉藩藩主だった細川忠興(武蔵を熊本に招いた忠利の父)が
佐々木小次郎を藩の剣術指南役にしていたとは、映画を見ていて「あらら…」と。
ところで、こうした話でも贔屓目の見方というのは出てくるようですよね。
何かと言えば、仮に先入観なしに見たとしても、どうしたって宮本武蔵が良い側で
佐々木小次郎は分が悪い。結局は武蔵にやられてしまう側というわけで。
どこまで史実かわかりませんので話をうのみにはできないものの、
宮本武蔵は無用な争いは避ける者として描かれ、小次郎との決戦に至る前段階では
野盗の類いに悩まされていた下総の寒村で村人たちとともに畑を耕して暮らすさまが描かれます。
村人ととしてはいざというときに武蔵を頼るわけで、「剣術を教えてください」と乞うことにも。
このあたりは、なまじ武蔵役が三船敏郎だけに「七人の侍」を思い出さずにはおれない。
ここのところのシークエンスとは関わりないとしても、その他のキャストに
志村喬、加東大介、千秋実らが顔を見せておればなおのことです。
一方の佐々木小次郎はといえば、「大菩薩峠」の机竜之助を引き合いに出してはなんですが、
どうもいざとなればすぐに斬って捨てる的な冷血さが漂っているのですから。
それにしても、しばらく前にNHKのドラマで取り上げられた塚原卜伝を見ていても
思ったところながら、諸国行脚の武芸者とは自らの剣が頂点を極めるためとはいえ、
何の遺恨もない相手と真剣(文字通りの)で勝負に挑み、ともすれば命を落とすことをも
厭わないというのは、その時代の感覚でなくては考えにくいところでありましょうね。
水墨画なども嗜んだ武蔵の「枯木鳴鵙図」あたりは
想像でしかありませんけれど、死線を潜り抜けてきた者こそが漂わせる空気を
孕んでいるように思えたりもするのは、こうしたことと無縁ではないような気がします。
おっと映画の話から脇へ入り込みすぎましたかね。