シラーハウス からほど近いところにワイマール のマルクト広場があるのですね。
かつて旧市街の中心地であろうと思いますが、その名のとおりに市が立つとはいえ、
訪ねたのが(シラーハウス開館前の)朝早めだったものですから、
まだ準備中でひともちらほら。
大きく写っておりますのがワイマールの市庁舎でして、
1841年にネオゴシック様式で建てられたと入口のプレートに表示されておりました。
加えて、中央の塔には1987年以来、マイセン磁器のカリヨンが備えられたとあって、
どれどれと見上げてみれば、なるほどなるほど。
金属製の大きな鐘のような威圧感は無し。
白くかわいらしいもので、鈴のようなとは言い過ぎでしょうけれど、
音色を聴いてこなかったのは何とも心残りでありますよ。
と、マルクト広場には市庁舎だけなく、また由緒ある建物も立っておりますな。
こちらはマイマール一の老舗ともいわれるホテル・エレファントです。
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国では迎賓館的にも使われたようで、
数々の政治家のみならず、リスト やワーグナー も宿泊したとかいうホテルだそうで。
外見はちと味気ないですが、出窓だけが昔を伝えているふうでもある。
中には(敷居が高くて?)入りませんでしたが、
おそらく中に入った方が風情が感じられたことでありましょう。
一方、ホテル・エレファントのさっぱり風に比べて、ごてっとした飾りつけのあるこの建物、
(市庁舎の真向かい、ホテルとは直角の位置でマルクト広場を囲んでおりますが)
クラーナハハウスと言われておるのですなあ。
確かに玄関の上を見上げてみれば、このように。
「ルーカス・クラーナハは1552年から1553年10月10日に亡くなるまで
この家に住んだ」とあります。
画家として知られるクラーナハがなんだってマルクト広場に面した一等地に居を構えたか。
実はクラーナハという人、画家であることはもちろんながら
薬局や印刷工房を経営したりもするなかなかに多才な人だったようですな。
ですから、ワイマールのこの家も商売のためにあったのでしょう。
ちなみに広場に面した別の並びには歴史ある薬局がありました。
(ドイツ語の「Apotheke」が薬局のことですな)
「歴史ある」といいましたですが、壁に下がったバナーには
「450年 1567-2017」と記されていますので、「創業永禄十年」てなことになりますね。
三好 三人衆と松永久秀の争いで東大寺が焼失した年であるとは、まさに戦国時代。
ただクラーナハが亡くなってからの創業ですので、マルクト広場の二軒薬局てなことには
ならなかったのでしょうけれど。
と、そんな薬局の店先にはゲーテの詩ゆかりというイチョウがらみの土産物が。
なんでもイチョウの葉のエキスには薬効成分、美容成分があるということで
クリームやシャワージェルに加工されて使われるのだとか。
ところでドイツ語でイチョウを表す「Ginkgo」ですけれど、
これが「銀杏」の音訳であるらしいとは、本当のことなのでありましょうかね…。