ということで、エアフルトでナポレオンとゲーテが出会ったという話 を最後にエアフルトを離れ、
お次の目的地はいよいよワイマールなのでありますよ。
ここでひとつ予めのお断りとして「Weimar」という地名の読み方ですけれど、
これまでも歴史的叙述の中では「ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国」てな記し方で
「ヴァイマル」としたところもありましたですね。
例えばgoogle検索で改めてその読みを音で聴いてみますれば
おそらくは「ヴァイマァ」くらいが原音に近いところであろうかとも思うところです。
ですが、歴史的叙述の中では「ヴァイマル」が多く使われているようであり、
またごくごく一般的には「ワイマール」が慣用されているものと思いますので、
この後にも「ヴァイマル」と「ワイマール」が混在して出てくることになりますので、念の為。
とまれ、エアフルトを後にワイマールへとは言ったものの、
たった一両の編成で走るこのローカル線列車に乗って向かった先は、
何と途中のワイマールを通り越してイエナだったのでありまして。
このことに関しては出発前にもちと触れていたかと思いますけれど、
どうにもワイマールのホテルがとれなかったことに起因するのですよね。
奇しくもバウハウス100年に絡むイベント週間のような時期にあたってしまったのも
理由のひとつにはなりましょうけれど、実際行ってみた印象としては
ライプツィヒのような大きな町は別として、今回回った町々の中では
格段に観光客の多いのがワイマールであったなという印象でありましたよ。
(もっとも東洋人は極めて少ない状況は、ライプツィヒを除いてどの町も変わりませんが)
そんな事情で、エアフルトを離れたものの経路上であるワイマールを一旦やり過ごし、
イエナまで移動。イエナ駅に近い宿からワイマール往復ということにしたわけです。
なにしろ、エアフルト~ワイマール間、ワイマール~イエナ間、列車移動であれば
どちらも15分くらいですので、大したことはないところながら、
ワイマールという町に泊りたい気はしていたのでありますよ。何しろワイマールですから(?)。
といって「ワイマールって?」と思われる向きにとっては、おそらく
第一次大戦後の混乱の中で生まれた「ワイマール共和国」で(のみ)知っているとも
なりましょうかね。当時、世界で一番民主的な憲法を持つと言われながら、
ヒトラーを政権に押し上げてしまったということでも。
ですが、これまでにもちらちら触れておりましたように、ドイツ帝国以前のワイマールは
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の首都として、啓蒙主義的な領邦君主のもと
多くの文化人が集う場所でもあったわけです。
ですので、現在でもワイマールという町一番のランドマークは
おそらくこの記念碑ではなかろうかと思うのですよね。
国民劇場前の広場の真ん中に立つゲーテ・シラー記念碑です。
ある場所であるものを目にしたときに「ああ、来たなあ」とはるばる感がこみ上げて
感慨一入になるときがごくごくたまぁにあるのですけれど、
(初めて渡欧したときはパリで凱旋門を見たときにそんな気持ちになりました)
この記念碑を前にしたときには、はるばる来た感が湧き起ったものでありますよ。
一旦はワイマール駅を通り過ぎてイエナに至り、
イエナから出直して辿りついた駅からはバスに乗って旧市街中心部のゲーテ広場まで。
そこから歩くこと数分で、移動自体は大したものではないとはいえ、
この記念碑の前にたどり着くまではなんだか長い道のりであったなあという気がしたものです。
さて、それではワイマールの町歩きということになって行くわけですけれど、
詳しくは次の機会に(笑)。