京都・室町に足利尊氏
が幕府を開くと、
関東への睨みをきかす必要性から鎌倉に幕府の出先機関がおかれ、
そこの長官を派遣することになりますですね。
京の本部から遠く隔たっているだけに、
自ずと関東で権勢を振るうようになり「鎌倉公方」と呼ばれるようになるという。
やがて、関東の振舞いが目に余ると思ったか、
本部からは新しい長官を送り込むも、関東の情勢は複雑怪奇、
鎌倉に入るに入れず、伊豆の堀越で足止めを食ってしまう。
これを称して「堀越公方
」となるも、北条早雲(後の名乗り)に攻めれられて滅亡。
その後も、鎌倉は鎌倉で西国のことなど構ってられるかと
何かにつけては合戦を繰り返す関東の争乱状態は落ち着くことなく、
鎌倉から追い払われて、やむなく下総国で「古河公方」と呼ばれるようになる。
…てな具合に、この時代に本来は足利将軍が公方でしたろうに、
妙に「公方」の安売り状態の感がありますですね。
そこへもってきて、「堺公方」というのもあったのですなぁ。
このほど「覇道の槍」という歴史小説を読んで、初めて知りましたですよ。
日本史に疎い者としては、
よくよく小説に取り上げられて、ドラマにもなる戦国時代
と幕末維新
に関しては
何となく「そんなことがあったのだぁね」「あんなふうな時代だったんかいな」と
情報量は増えていきますけれど、それ以外の時代にはどうにも不透明感が付きまとう。
(その時代が不透明だったんでなくて、個人的理解が不透明とは言わずもがなですが)
もしかすると、戦国期や幕末維新のような
激動が無かったから取り上げられないのか…と思ってしまうところですが、
しばらく前に太田道灌の探究をしてみれば、まっこと関東情勢は複雑怪奇ですし、
これまた以前読んだ「天魔ゆく空」で取り上げられた幕府管領・細川政元を知れば、
関東どころか京の都も不穏な空気に取り巻かれておるではありませんか。
いやはや何ともな室町時代でありますが、この「覇道の槍」の時代背景は
権勢を誇った細川政元が実子を残さず暗殺された後、
養子同士の争いを制して管領となった細川高国が
12代将軍・足利義晴を祭り上げてやりたい放題という状況下でのこと。
これに対して専横極まる高国討つべしと、三人組のチーム打倒高国が結成される。
政元のもう一人の養子ながら、高国に敗れて
分家の阿波細川家に身を寄せていた細川澄元が亡くなり、
親の仇討をとも考えている細川六郎(後の晴元)がそのひとり。
ただただ高国に担がれているような将軍では国はよくならないと説かれて
自ら将軍に取ってかわらんと考えた足利義維(よしつな、当時は義賢)が二人目。
そして、阿波細川家の被官であった三好元長は争乱に明け暮れる世に終止符を打つべく、
二人を押し立てて新しい世を作りだそうと願う。これで三人目。
三人の結束のもとに逼塞していた阿波から押し出し、
京から将軍・義晴、管領・高国を追い、堺に公方府を樹立。
義維への将軍宣下はないものの、官位官職を得て実質的な政府として動き出すのですな。
しかしながら、江戸期の藩といった単位よりも
さらに小さな領土を自分のもとして考えていた国人領主や地侍たちは利によって
あっちにつき、こっちにつき、敵味方ともごっちゃごちゃになって権謀術策が蠢きまわる。
そんな中、シェイクスピア
の「オセロ」ではありませんが、
耳から毒を吹き込まれた六郎は、全てをお膳立てた功労者である元長を疎んじるように。
坊主憎けりゃ袈裟まで…のごとく、元長のお膳立ても気にくないようになって、
果ては、高国亡きあと近江に逃れていた将軍・義晴と結ぶという挙に出るのですなぁ。
戦国期や幕末維新のような「激動」が無いのではと思ったことが、
とんでもない!という状況ではありますまいか。
ただし、細川六郎、足利義維と三好元長を幼い頃からの馴染みとして、
より年長である元長を二人が兄のように慕い、
あたかも兄弟のような結束をもって事にあたるといったあたり、
おそらくは史実ではなく、作者の想像によるフィクションなのでしょう。
やがて六郎に攻められて元長は自刃に至りますけれど、
最後の最後まで六郎の行く末を案じていたとして、
やたらに元長の印象が良く描かれている(まあ、主人公ですから)ものの、
六郎、義維、元長の性格、考え方、そしてそれぞれの関係を
うまく作り上げていたのではないかと思いますですよ。
後に織田信長が動き出す時代に、阿波の三好党が畿内を窺って妙に暗躍するようなことを、
断片的な知識で思っていたですが、こうしたことの前夜には
確かに三好元長と堺公方府があったのですなあ。
そうそう阿波の三好党といえば、必ず一緒に名前の出てくる人物がいますけれど、
その前半生不詳の人物を配して、最後の方で「ほぉ~」と思わせる組み込み方も巧み。
もっとも、その後の人物評とはうまく連結していないように思いますが、
それはそれとしても、妙味ある歴史小説というに十分でありましたですよ。