距離的に近いものですから國學院大學博物館山種美術館 はやはりセットで周るかなと。
山種美術館では「日本画の挑戦者たち-大観・春草・古径・御舟-」と題した企画展を開催中、
なんでも日本美術院創立120周年記念の企画ということでありまして。


「日本画の挑戦者たち-大観・春草・古径・御舟-」@山種美術館

明治になって欧米からさまざまな文物が入ってくるようになった日本では、
それまでの日本画とは異なる西洋画に触れる機会が増えた画家たちが
その新奇さに身震いしたのではなかろうかと。


ただしその一方で欧米ではジャポニスム浮世絵 人気で大盛り上がりするのですから、
どちらにとってもどちらもが新奇なものに見えたには違いのないところですよね。


ともあれ、日本では「西洋画の技法や色彩を取り入れて(日本画の)革新を目指す」として
岡倉天心は明治31年(1898年)、日本芸術院を立ち上げたのだそうな。
以来、120年というわけです。


展覧会では日本芸術院に寄って新しい日本画に挑戦した画家たちの作品、
第一世代としての横山大観や下村観山、菱田春草、
そして次世代として小林古径、速水御舟らを中心に取り上げておりましたですよ。


天心は若い画家たちに、あるときこんな問いかけをしたそうです。
「空気を描く工夫はないか」と。

元来、平面的な日本画ですけれど、日本画が日本画のままであってなお
西洋画の持つ遠近感、立体感を再現できないかということでもありましょうか。


試行錯誤があったものと思いますけれど、
たどり着いたのが「色的没骨」という線なしの色彩技法であったとか。
没骨という輪郭線を描かない手法は昔からありましたけれど、
それを工夫して作り上げたわけですね。


展示作では下村観山の「朧月」や菱田春草の「雨後」などですが、
いささかぼうっとした画面に似合うところでもあり、「朦朧体」と呼ばれたりすることに。

モネの作品が「印象派」と呼ばれ、マティスの作品が「野獣派」と評されたのと同様に
「朦朧体」はいわば貶し言葉だったところが、言い得て妙ということでもあろうかと。


西洋画風の受容は「朦朧体」を生んだほかにも様々な形で示されていくことになりますけれど、
その後は一派を作るというよりも画家ひとりひとりがそれぞれの個性の発露として、
描き方がその人らしいとされる中で発揮されても言ったような。


前田青邨の「腑分」はレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」を思わせて
集団肖像画のジャンルを試したのであろうかなとか、
奥村土牛「城」の構図は西洋画が先んじて借用したカメラで切り取る
アングルの妙を意識したのかいねとか、あれこれそれぞれに興味深く見られるわけです。


そんな中にあって速水御舟が描いたのはもはや抽象画でもありましょうか。
本展フライヤーの上部に配された「粧蛾舞戯」は灯りに集まる蛾を描いて、
限りなく奥へ奥へと続いているであろう無限の深淵を窺わせていますよね。


「運動」を見せている本作とは対照的に、「昆虫二題」として対になっている「葉蔭魔手」方は
巣をかけた蜘蛛が中央に描かれてまさに「静止」を表しているところながら、
こちらはこちらで絵を見れば静止に至る前後の動きが立ちどころにフラッシュバックのように
脳裏に浮かぶ点で単なる「静止」でない、やはり「運動」を(直接的ではないにせよ)
表現しているように思えるわけで、さながら「運動二態」とも言えそうな気が。


その速水御舟の曰く「真の伝統は、形にはなく、精神のうちにある」と。
日本画の伝統を受け継ぐとして、それは形の模倣にあるのではないということかと思いますが、
ちょいと進めると伝統は精神に根差しながら、形として変化していくものとも受け取れそうで。


前から気にはなっていたですが、挑戦者としての速水御舟にもそっと近付いてみたいと、
そんなふうに思いつつ会場を後にした山種美術館なのでありました。