タイトルに惹かれてPHP新書の「モネとジャポニスム」を読んでみたのですね。
日本画家の視点からモネ(ついでにゴッホも)の作品に見られるジャポニスムの影響を
解き明かすというものでありました。


モネとジャポニスム (PHP新書)/平松 礼二


著者である平松礼二という画家の作品を、それと知って眺めることになったのは
栃木県佐野市 にある佐野東石美術館 での展示だったでしょうか。


そのときに、長らく「文藝春秋」の表紙絵を担当していたということも知って、
「文藝春秋」(そうそう読んだことがあるわけではありませんが)を思い浮かべながら、
「なるほどね」と作風をイメージしたのでありました。


その平松画伯ですが、取り分け「印象派」には長らくピンとこない印象が続いていたそうな。
それがパリのオランジェリー美術館で、展示室中に広がるモネの「睡蓮」を出くわした際に
「!」と感じたことが発端となって、その後接するごとに「?」が湧いてきて、
パリの美術館のみならずジヴェルニーにも通い詰めるようになったのだそうですよ。


画伯が「!」と感じ、「?」が湧いたことを解きほぐしていきますと、
モネに見るジャポニスムということになるようですね。

確かに[ラ・ジャポネーズ」のような作品ですと、日本人ならば反って違和感を抱くほどに

濃厚な日本趣味で満たされていると感じるわけですが、
日本画家の視点からすると「睡蓮」やその他の作品もまたジャポニスムの影響下にあるのだと。


その詳細は「そう言われてみれば、そうかも…」と思うところながら、それがどういう点かは
本書そのものに当たっていただくとして、読んでいて心地の悪さを感じたことがあるのですね。
日本の美術、日本の文化、ひいては日本人の優位性に関する部分です。

日本人はもともと美術を細かいところまで見てやろう、という習性のある民族だと思います。男性には家を造る技量があり、女性は草を煮詰めて糸をつむぐような感性をDNAにもっていますから、他の民族に比べて、美術のディテールを探るのが好きだと思うのです。

例えば日本人のことをこんなふうに語っていたりするのですけれど、
(先に映画「クラッシュ」 のことを書いた後だからこそやもしれませんが)
ある民族の優位性を語りますと、
どうしても他の民族の劣等性が裏おもての関係で

示唆されるような気がしてしまうような。


まあ、「…と思うのです」とあるように平松画伯が個人的に思っていることですから、

「具体的な根拠もなく!」と目くじら立てることもないのだとは思いますけれど、

昨今の風潮からして、ことさらな日本称揚に導くものとして使われてしまうような気も。


画伯が言うとおりに、明治維新と太平洋戦争の敗戦という大きな二度の転機に

日本の文化を隅に押しやってしまうようなことは確かにあったでしょうけれど、

そうした抑圧体験?を跳ね除けるときに他との比較でもって日本文化の優位性を語るのは

どうなんでしょうかね…。


あっちの文化もこっちの文化もいいところがある。

その中でこちらの方にはこれこれの特徴がある…というような指摘であれば

得心もいくのでしょうけれど。


と、こうした点に分け入って行って地雷を踏まないうちに

今日のところはこの辺にしときましょうかね。


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