久しぶりに映画「クラッシュ」を見てみたのですね。

2006年の劇場公開時に見たきりですのですっかり忘れていたといってもいいほどですが、

DVDカバーにもなっている、このシーンばかりが思い浮かんでましたですよ。


クラッシュ [DVD]


ただ印象として、たくさんの登場人物を追いかける群像劇をうまいことまとめたのおと思う反面、

あまりにうまいことまとめてしまっている分、ロサンゼルスという大都市が

妙に狭い世間に思えてくるのが難点でもあるような。


車社会であるLAにふさわしく?スタイトルどおりの衝突事故が

映画の中でも何度か起きますけれど、それ以上の頻度でクラッシュを起こすのは

人どうしの関係においてなんですなあ。


群像劇というだけに登場人物はたくさん。

そのたくさんの登場人物たちの多くが怒っている、イライラしている、不機嫌にしている。

当然にそれが相対したときに起こることは「クラッシュ」ですなあ。


その一因は…といって原因でもあるようで、

実はきっかけでもある(でしかない?)のかもですが、差別意識ということでしょうか。


移民の国を標榜するアメリカ(市民の感覚として同じ意識を持ち続けているかは分かりませんが)、

それだけに例えば肌の色や風貌という見た目の違いが顕著な人たちが混在していますね。

折りに触れてものごとの受け止め方が自分と違うと思ったときに、

それが人種の違いに起因するものだと思いがちでもあるような。


ストレスの多い社会ではそうしたことが積もり積もることにもなりましょうけれど、

すると固定観念ができあがり、アジア人は、ヒスパニックは、黒人は…と人種の括りで

どういう人間かを判断して疑おうとはしなくなってしまう。


そんな人たちが衝突を繰り返す姿を描いている…といっては、何の救いもないようですが、

先のDVDカバーのシーンのような部分もあるわけで。


と、ストーリーに触れませんと何のことやらとは思いますが、

未見の方はご覧になったときのお楽しみとしてもらいまして、

ここでは比較的登場場面のすくないサンドラ・ブロックの役どころに注目してみようかと。


彼女は何かイライラしている。

自分でも感じていて、おそらくひと晩ぐっすり眠れば翌日には気分も晴れていよう…と思う

ところが翌朝、目が覚めても気が晴れておらない自分に気が付くのですなあ。

つまり自分はいつもいつも怒っていると…。


みんながみんな同じようとは思いませんけれど、この感じは分かりますなあ。

いつもいつもといっても、四六時中片時も止むことなく怒っているわけでないのはもちろんのこと、

折りに触れて笑うことも楽しいと感じることもあるとは思います。

が、どうも基調としてはイライラしている、怒っている、不機嫌…。


なんだってそうなってしまうかといえば、周囲に対する不満なのですよね。

不満のタネを人種の違いに置くかどうかは別として、

自分だったらしないようなことがなぜ平気でする人がいるのか…というような不満。

そんなふうに考えると、個人的にもいつも起こっているような気がしてこないでもない。


ですから、そうした鏡写しにされたような姿に接すると違う考え方も出てこようというものです。

こうした気付きは映画「クラッシュ」で織り成される群像劇の一部分ではありませんので、

違う側面に焦点を当ててみれば、また違ったことを考えることにもなりますね。

そんな要素をたくさん含んだ映画なのでありますよ。



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