…ということで島根県立美術館 を訪ねたわけですけれど、訪ねた当日、

思いもかけぬ賑わいであるなと感じたのはもっぱら企画展に人が集まっていたのですな。
「エヴァンゲリオン展」なるものが開催中だったからのようで(7/9で会期終了となりましたが)。


エヴァンゲリオン展@島根県立美術館

ですが個人的にはエヴァンゲリオンと全く接点なく過ごしてきたものから、

訪ねた目的はひとえにコレクション展の方でして、
まずは「フランス近代絵画の世界へようこそ」というタイトルの

展示室1へと向かったのでありました。


こちらの美術館もコレクション展なれば写真撮影可ということでしたので、
目のとまったところを矢継ぎ早やに拾っていきますが、
クリアに見えないのは是非美術館を訪ねて本物を見ていただくとしてご容赦を。
まずはコロー「舟渡し、ドゥエ近郊」(1870~72年)です。

コロー「舟渡し、ドゥエ近郊」

コローと言えば銀灰色、木立のそよぎが感じられる風景画で有名ですけれど、
このそよぎとも見えるおぼろげな描写が実は写真技術と関わっているのだそうですね。
当時の、まだまだ未完成な写真技法は露光時間を長くとらなければならないために
どうしたって風で揺れる枝先の木の葉などはぼやけてしまったわけで、
コローは写真のままに描いたということになりましょうか。


クールベ「波」

続いてはクールベの「波」(1869年)。
クールベは波の絵を30点ほど制作したと言われて、他の美術館でも見られるものの、
波がしらが逆巻く一瞬をとらえたようなこの作品にはつかみ掛かってくるようなところがありますねえ。


ゴーギャン「水飼い場」

お次はゴーギャン の「水飼い場」(1886年)ですが、
これはもう一見してゴーギャン以外の誰でもないと受け止められますですなあ。
ノルマンディー地方 の農村風景ではありながら、すでにしてやがてタヒチを描くのが

必然と思える気がします。


シニャック「ロッテルダム、蒸気」

こちらはシニャック の「ロッテルダム、蒸気」(1906年)。
同じ新印象派 の点描でもスーラより粒の大きいのがシニャックの個性ですけれど、
タイトルにあるように「蒸気」を点描で写しだそうというのは何とも大胆な試みではなかろうかと。


蒸気は、例えばターナーが「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」で描いてみせたように
もやっとしながらも動きをもってそこにある存在として感じられるところながら、
何を描いても静止、静寂の装いをまといがちな点描でよく試みたものだと思ったわけで。
動きを見いだせるかどうかを遠目で見て確かめるのが、本作の実物を見る楽しみですなあ。


ドラン「マルティーグ」

先にはクールベの写実的な波を見ましたですが、こちらはドランの描いた海。
マルセイユ近くの町の名である「マルティーグ」というタイトルの一枚です(1907~08年)。
フォーヴィスムの大胆な色遣いと筆遣い。クールベとは全く違う海の姿ですけれど、
こちらはこちらで水面の揺らめきが伝わってくる。本当にいろいろな描きようがあるものです。


デュフィ「ニースの窓辺」

これも海ではありますけれど、海そのものを描いたわけではありませんですね。
デュフィの描いた「ニースの窓辺」(1928年)は
海辺のリゾートの喧騒とホテルの部屋の静謐とが同時に描き込まれているのですなあ。


誰とでも開放的にという外のようすと閉ざされた空間で親密にという中のようすが
開いた窓を通じて隔てられているような、隔てられていないような。
そうした両面性を持っていることこそが「バカンス」とでも言っているような気がしますですよ。


ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」

と、これはまたずいぶんと趣の異なる一枚になるますけれど
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ の「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」(1875年頃)という作品。
パリのパンテオンに描かれた「聖ジュヌヴィエーヴの生涯」の部分的習作だということです。


19世紀の後半になっても中世壁画の延長であるかのような宗教画を描いた作家の

面目躍如とも思う一方、新しい流れであるラファエル前派 などにも通じるものを感じさせる点で

古いいばかりではない。そうしたあたりが面白いですよね。


と、「印象派をはじめとする19世紀から20世紀にかけてのフランス絵画を中心に
西洋絵画を収集している」という島根県立美術館のコレクションの一端を堪能したのでありました。