マンハイムの中心部は「Quadrate(クヴァドラーテ)」と呼ばれて、
馬蹄形にも似た独特の外周の中に碁盤の目状の街区が整然と並んでいるのですなあ。
プファルツ選帝侯による宮殿
を中心とした計画都市といった面持ちでありましょうか。
ライン川
とネッカー川に挟まれた土地をうまく使おうとした結果でもあろうかと思いますが、
ヨーロッパの旧市街によくあるように小道を辿っているとどこにいるか分からなくなる…
てなことは、マンハイムではまずなさそう。
ということで、その整然とした街区にぶらりと入り込んで行くことに。
ですが、観光的な情報(取り分け日本語の)に乏しいものですから、
出くわしたものが何だかよく分からない…ということもままあるのですけれど、
とにかくぶらぶらしながらネッカー河畔まで行ってみることにしたわけです。
シラーハウス
のある路地を北へ少々進んでみますと、ちょっとした広場に到達。
広場の南側は歴史的建造物っぽい佇まいの建物で「Zeughaus」と書いてある。
英語で言うと「Tool house」でしょうか、今では博物館になっているようです。
入口の左右に掛かる垂れ幕に「Barock」と大書してあることからして、
バロックに関する特別展でもやっておるなれば覗いてみようと入り込んでみますと、
「バロック展は明後日からです」と。いやあ、残念…。
とは言ってもこの日はフライブルクへと移動にかかる日で、
のんびりじっくり博物館を見ている余裕はなかったものでして
実はこの博物館の向かい側の近代的な建物では近現代もののアートが見られた…とは
これまた後から思い出した…てな程度に気は急き気味でもありまして。
それでも何やらモニュメントっぽいものには目が留まるわけでして、
これは博物館前に立つ「Veteranendenkmal」、退役軍人の記念碑ということになりましょうか。
ナポレオン戦争のメモリアルとして1848年に造られたようです。
ちなみに後の建物もごつく立派ですが、こちらは学校のようですね。
先の広場のひと区画北側はプランケンという、路面電車も走っている目抜き通り。
上の地図で言いますと、真ん中に東西に走っている少し幅広の道です。
賑やかなこの通りを折れて東に向かうと(突き当たりまで行きますと給水塔
に至りますが)、
今度は「Paradeplatz(パラーデ広場)」に出ました。
駅前の辺りではとにかくビジネス街といった印象ばかりであったマンハイムですけれど、
ここへ来て「ああ、繁華街の賑わいだな、観光客もいるのだろうな」と思った次第。
ごてごてした飾りの噴水の周りで、ひとそれぞれにのんびりしておりましたですよ。
「グリュッペロのピラミッド」と呼ばれているそうです。
プファルツ選帝侯カール3世フィリップがマンハイムに遷都する前、先代のヨハン・ヴィルヘルムは
ルイ14世との一連の戦いでボコボコにされたハイデルベルク城を出て
デュッセルドルフに仮住まいしている時期がありましたけれど、その際に
宮廷彫刻家に指名されたのがフランドルの彫刻家ガブリエル・グリュッペロであったそうな。
ですので、グリュッペロのピラミッドも元々はデュッセルドルフに建てられるも、
カール・フィリップによってマンハイムに移されたようでありますよ。
いろいろな寓意を込められた像がピラミッド状に折り重なっているかのようですけれど、
少し触れておきますと最上部にいるのは時の神クロノス、逆に下の方には
ライン、ドナウ、ネッカー、モーゼルという4つの河川を象徴する女神像があるという。
もっとも写真では全く判別できませんけれど。
さて、パラーデ広場から今度はいささかの北上、たどり着いたのは「Marktplatz(マルクト広場)」。
市街としては、本来いちばんの中心地ということになりましょうか。
広場に面して大きな旧市庁舎が建っておりました…が、「おや?…」と。
時計塔を挟んで左右対称の建物ながら、右と左でデザインが異なっている。
といいますのも、建物の役割が違うからでもあるようで、本当の?旧市庁舎は左側の建物で
右側の方は聖セバスティアン教会、市民のための教会ということのようです。
屋根の部分に何とか十字架がご覧いただけるのではないでしょうか。
ちらり覗かせてもらいましたけれど、
装飾しないではなし、かといって装飾に力が入っているというふうでもなし、
なんだか他人の家の居間を覗いたような気がしたものでありますよ(笑)。
と、マルクト広場にも「Marktplatzbrunnen」(マルクト広場の泉)というモニュメントがありまして、
「泉の記念碑」とも言われているようで。
元はハイデルベルク用に作られたものをマンハイムに持ってきたと言いますが、
カール・フィリップ次代のカール・テオドールはこれをシュヴェツィンゲンの宮殿庭園に移すも、
造園を担った建築家から「コンセプトに合わない」とダメだしされたようで、
マンハイム市に寄贈してしまうことに。
ちなみに上部の像が表しているのは風火地水の四大元素なのだとか。
てな具合に街なかを突っ切って(といってもマルクト広場から先、まだ結構ありましたが)
ようやっとネッカー川のところまでやってきました。
ライン川に比べると川幅はかなり狭く、これで水運が可能なのか?と思ってしまうほど。
川岸のようすもラインとは打って変わって田舎風な風情を醸してますですよね。
見えている斜張橋は歩行者専用ということで時間があれば渡ってみたかったですが、
そろそろ移動に備えて外周路を南下、中央駅へと向かうことに。
この中央駅の写真はシュパイヤー
に向かう朝に撮ったものですから、念のため。
市街をひと回りした午後に移動に掛かるとすれば、朝日が差しているはずはないので、
アリバイは崩れた…てなことを言い出す方もいないとは思いますが(笑)。
とまれ、このマンハイム中央駅から再びICEに乗ってフライブルクを目指したのでありました。