活力鍋でカレー
今日は、女房が大切にしてる活力鍋を使い、
カレーを作りました。
活力鍋とは?
以下ネットからの引用です。
活力鍋は一見圧力鍋と違うように見受けられますが、
圧力鍋の一種類です。
では、いままでの圧力鍋とどう違うのでしょう。
簡単にいえば、圧力鍋の圧力が違います。
圧力鍋データリンクを見てもらえば判ると思いますが、
いままでの圧力鍋(0.7~1.0kg/cm2)に対して
活力鍋(1.45kg/cm2)は高圧です。
高圧に出来るため調理温度も高温になります。
普通の鍋は100℃、圧力鍋は約120℃、
そして活力鍋は128℃が調理温度になります。
このように高温で調理できるので短時間での調理が可能なのです。
但し、圧力鍋も活力鍋でも同じ事がいえますが、
時間が短縮出来るのは加圧時間
(沸騰してからの調理時間)だけですから、
水が沸騰する時間や蒸らし時間の変化はありません。
煮込み時間が長い調理には便利な鍋ですね。
と書いてあります。
早速カレーのレシピページ。
確かに、振り子が揺れ出して一分。
あとは、圧力が下がるまで待つだけ。
ガス代は減る気がします。
そして出来上がりはこんな感じ。
お肉、安い肉なのにフワフワのトロトロ。
この鍋気に入りました!
カレーを作りました。
活力鍋とは?
以下ネットからの引用です。
活力鍋は一見圧力鍋と違うように見受けられますが、
圧力鍋の一種類です。
では、いままでの圧力鍋とどう違うのでしょう。
簡単にいえば、圧力鍋の圧力が違います。
圧力鍋データリンクを見てもらえば判ると思いますが、
いままでの圧力鍋(0.7~1.0kg/cm2)に対して
活力鍋(1.45kg/cm2)は高圧です。
高圧に出来るため調理温度も高温になります。
普通の鍋は100℃、圧力鍋は約120℃、
そして活力鍋は128℃が調理温度になります。
このように高温で調理できるので短時間での調理が可能なのです。
但し、圧力鍋も活力鍋でも同じ事がいえますが、
時間が短縮出来るのは加圧時間
(沸騰してからの調理時間)だけですから、
水が沸騰する時間や蒸らし時間の変化はありません。
煮込み時間が長い調理には便利な鍋ですね。
と書いてあります。
早速カレーのレシピページ。
確かに、振り子が揺れ出して一分。
あとは、圧力が下がるまで待つだけ。
ガス代は減る気がします。
そして出来上がりはこんな感じ。
お肉、安い肉なのにフワフワのトロトロ。
この鍋気に入りました!
人は変われるかな?
前にブログに書いた、教える気のない
"本を読むだけのサラリーマン的な先生"。
その先生が今週初め、
何故か授業プログラムのない日に、
しら~っと教壇に立ってました。
朝からクラスはザワついています。
「またこの先生かよ!」
自分はガッカリな気持ちのまま"ビジネス文書"のプログラムが始まりました。
先生がただ教科書を読むだけで、
それをただ聞くだけの授業では何も学べません。
この先生は生徒の質問に答える授業の準備をしない先生で、
生徒の質問を毎回ゴマかしてうやむやにする先生です。
今回も相変わらず、本を読むだけで、
テンポの変わらないお経のような授業が始まりました。
自分もこの授業に負けてついつい居眠り。
ハッと目を冷まして更に驚きましたが、
クラスの全員が寝てるのに、先生は真ん中で、
平気で本を読んでいました。
異様な光景です。
サラリーマン的な授業をノルマのようにこなし、
それに満足してる先生。
「おれは何て無駄な時間を過ごしてるんだ!」
おれはその日怒りが収まらず、塾長に直談判しました。
「先生をチェンジして下さい!」
先生のシフトは、震災の影響で仕方ないらしく、
先生のチェンジは無理との事。
そこで、塾長と、クラスメイトと、
その問題の先生を交えて話し合いをしました。
塾長の横に立ってる先生。
初めて反省してる大人を見た気がしました。
塾長の話の後、
先生も、今まで以上に心を開いて、
「おれには引き出しが無い。おれは総務をやってたから、変化の無い毎日を過ごしてきた。これからはもっと考えて授業します。すいません。」
と告白しました。
その成果、ただ教科書を読むだけの授業から、
実践的な授業にシフトチェンジ。
相手の事を少しだけでもお互いに理解した先生と生徒は、
少しづつ前を向きました。
前では考えられなかった生徒と先生の会話と笑顔。
相変わらず要領の悪い先生ですが、
クラスメイトの気持ちの中には、
前には考えられなかった"許しあう、理解しあう"気持ち。
ポジティブな方向を見つけると
最悪の授業が意味のある時間に変わりました。
人は変われるかもしれないです。
今、目の前で前は嫌いだった先生が嬉しそうに笑っています。
この先生の授業も今日が最後。
今までありがとうございました。
"本を読むだけのサラリーマン的な先生"。
その先生が今週初め、
何故か授業プログラムのない日に、
しら~っと教壇に立ってました。
朝からクラスはザワついています。
「またこの先生かよ!」
自分はガッカリな気持ちのまま"ビジネス文書"のプログラムが始まりました。
先生がただ教科書を読むだけで、
それをただ聞くだけの授業では何も学べません。
この先生は生徒の質問に答える授業の準備をしない先生で、
生徒の質問を毎回ゴマかしてうやむやにする先生です。
今回も相変わらず、本を読むだけで、
テンポの変わらないお経のような授業が始まりました。
自分もこの授業に負けてついつい居眠り。
ハッと目を冷まして更に驚きましたが、
クラスの全員が寝てるのに、先生は真ん中で、
平気で本を読んでいました。
異様な光景です。
サラリーマン的な授業をノルマのようにこなし、
それに満足してる先生。
「おれは何て無駄な時間を過ごしてるんだ!」
おれはその日怒りが収まらず、塾長に直談判しました。
「先生をチェンジして下さい!」
先生のシフトは、震災の影響で仕方ないらしく、
先生のチェンジは無理との事。
そこで、塾長と、クラスメイトと、
その問題の先生を交えて話し合いをしました。
塾長の横に立ってる先生。
初めて反省してる大人を見た気がしました。
塾長の話の後、
先生も、今まで以上に心を開いて、
「おれには引き出しが無い。おれは総務をやってたから、変化の無い毎日を過ごしてきた。これからはもっと考えて授業します。すいません。」
と告白しました。
その成果、ただ教科書を読むだけの授業から、
実践的な授業にシフトチェンジ。
相手の事を少しだけでもお互いに理解した先生と生徒は、
少しづつ前を向きました。
前では考えられなかった生徒と先生の会話と笑顔。
相変わらず要領の悪い先生ですが、
クラスメイトの気持ちの中には、
前には考えられなかった"許しあう、理解しあう"気持ち。
ポジティブな方向を見つけると
最悪の授業が意味のある時間に変わりました。
人は変われるかもしれないです。
今、目の前で前は嫌いだった先生が嬉しそうに笑っています。
この先生の授業も今日が最後。
今までありがとうございました。
ブタがいた教室 と おれのエピソード。
映画 ブタがいた教室 を観ました。
主演は妻夫木聡さん。
内容というか、キャッチコピーは『――命の長さは、誰が決めるの?』
でした。
この映画は黒田恭史の書籍『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』を原案にしています。
授業でブタを育てて食べる事で
命の大切さを学んで欲しいという想い、
飼っていく毎にブタに対して愛情が深くなる生徒達。
実際に、子供達はブタと180日過ごし、
セリフも無く、監督は生の子供達の声を映画にした事らしいです。
自分は、
子供の頃、似たような経験をしました。
その時のおれのエピソードです。
今はあまり見ないですが、
自分が幼稚園の頃のお祭りで、
ヒヨコにカラースプレーで色を付けた、
カラーヒヨコが売られていました。
カラフルなヒヨコは可愛くて、
自分も親にねだり買って貰いました。
そのヒヨコに、同じくピーちゃんと名前を付けて、
ダンボールにいれて貰い毎日餌をやり、
そのヒヨコのピーちゃんの成長が楽しみだった幼稚園時代の自分。
大きくなるとピーちゃんは鶏になり、見た目は可愛くないけど、
愛情が深くなり、家の庭で放し飼いにしてました。
毎日、鶏に餌を与えていましたが、
ある日、学校から帰るとピーちゃんがいません。
家には婆ちゃんがいましたが、
「ピーちゃんは?」と尋ねても何も言ってくれなくて
夕飯の支度をしていました。
自分はピーちゃんが心配で辺りを探しました。
そのうちお腹を空かせた大人達が仕事から帰ってきて、
夕飯が始まりました。
目の前には美味しそうな匂いのする焼いた鳥肉。
嬉しそうに食べる大人達。
心の中では
「これ、ピーちゃん⁈」と思いましたが、
大人達は まるでその話はタブーかのように、
今までのピーちゃんの記憶は無かったように見えて、
自分もその話には触れず、
自分は何も言わずに美味しく食べました。
今思えば、婆ちゃんがピーちゃんを絞めて
あの頃の大切な食料に使ったんだと思います。
「食べる」ってのは 「命」を戴く事なんだと
子供心に刻んだ自分。
そんな思い出が蘇った映画でした。
主演は妻夫木聡さん。
内容というか、キャッチコピーは『――命の長さは、誰が決めるの?』
でした。
この映画は黒田恭史の書籍『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』を原案にしています。
授業でブタを育てて食べる事で
命の大切さを学んで欲しいという想い、
飼っていく毎にブタに対して愛情が深くなる生徒達。
実際に、子供達はブタと180日過ごし、
セリフも無く、監督は生の子供達の声を映画にした事らしいです。
自分は、
子供の頃、似たような経験をしました。
その時のおれのエピソードです。
今はあまり見ないですが、
自分が幼稚園の頃のお祭りで、
ヒヨコにカラースプレーで色を付けた、
カラーヒヨコが売られていました。
カラフルなヒヨコは可愛くて、
自分も親にねだり買って貰いました。
そのヒヨコに、同じくピーちゃんと名前を付けて、
ダンボールにいれて貰い毎日餌をやり、
そのヒヨコのピーちゃんの成長が楽しみだった幼稚園時代の自分。
大きくなるとピーちゃんは鶏になり、見た目は可愛くないけど、
愛情が深くなり、家の庭で放し飼いにしてました。
毎日、鶏に餌を与えていましたが、
ある日、学校から帰るとピーちゃんがいません。
家には婆ちゃんがいましたが、
「ピーちゃんは?」と尋ねても何も言ってくれなくて
夕飯の支度をしていました。
自分はピーちゃんが心配で辺りを探しました。
そのうちお腹を空かせた大人達が仕事から帰ってきて、
夕飯が始まりました。
目の前には美味しそうな匂いのする焼いた鳥肉。
嬉しそうに食べる大人達。
心の中では
「これ、ピーちゃん⁈」と思いましたが、
大人達は まるでその話はタブーかのように、
今までのピーちゃんの記憶は無かったように見えて、
自分もその話には触れず、
自分は何も言わずに美味しく食べました。
今思えば、婆ちゃんがピーちゃんを絞めて
あの頃の大切な食料に使ったんだと思います。
「食べる」ってのは 「命」を戴く事なんだと
子供心に刻んだ自分。
そんな思い出が蘇った映画でした。















