頑張ってくれていた父が亡くなりました。 | スポーツを科学する★健康栄養からのスポーツ栄養とコンディショニングであなたの身体をサポート【大阪発】

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 ~食×スポーツで日本に元気と笑顔を!~

 


「食×スポーツで、日本に元気と笑顔の花を咲かせます」花

日本スポーツ栄養コンディショニング協会 代表理事の吉田良子です。



 

実は、4月23日に父が亡くなりました。

今年に入ってから闘病しており、

一時は歩けるようになっていたのですが、

転院後、一気に悪くなってしまいました。

 

 

その後、いろいろゴタゴタもあり・・・

仕事もしているのですが・・・

皆さんにお知らせすることができる心になかなかなれず、

時間がたってしまいました。

自分では、大丈夫だと思っているのですが、

やはり、少なからず、心が弱っているのかな、

と思います。

 

 

右矢印認知症の父が緊急入院に

右矢印父の生命力に感謝

右矢印父、その後。もう少し生きてほしいと祈るばかり。

右矢印「成すすべがない」と言われた父が、又、奇跡を起こしてくれました。

右矢印何度も一命をとりとめた父。「生きたい」という気持ちが驚異的な回復に繋がっています。

右矢印24時間付き添いの父とお散歩〜(^^)

右矢印父の転院。認知症患者は「感情」で生きている。父を見ていて想う事。

 

 

 

病院によってこんなに違うのか・・・と、

いう気持ちです。

 

 

 

一般病院でもある療養病院に転院後、

最初は一般病棟に入りました。

まず驚いたのは、看護師さん。

 

 

 

認知症の父は、

転院して不安な上、

大人数で押さえつけられるので怖かったのでしょう。

かなり暴れてしまいました。

看護師さんの1人が、

「本気だすぞー!!!」

と、言ったのには驚きました。

なるべくめんどくさい事はしたくない、

そんな雰囲気の看護師さんが多い、という感じでした。

 

 

 

そして、ワンマンな院長。

本当に横柄な方でした。

その上、熱が続いても、

○度以上は解熱剤を入れない規則だから〜

ということで、

結局39.5度まで上がってしまった。。

身体が弱り切っているところに、

この熱は、追い打ちをかけたという感じでした。。

 

 

 

その熱の原因を特定する血液検査も

してくださらない。

耐性菌を持っているのに・・・

 

 

 

血糖値も、

「○○以上になるとインシュリンをこれだけ投与する」

という決まりがあり、どんなに高くなっても増やして下さらない。

結局、「767 」という異常な数値になってしまいました・・

 

 

 

いろいろあった末、元の病院が受け入れてくださることになりました。。

その時には、もう、かなり悪くなっていましたが、

主治医の先生は、その時その時の状態で

ベストな対応をしてくださりました。

最後は、その先生に看ていただく事ができ

悔いはありません。

 

 

 

でも、療養病院でよかったことが一つあります。

理学療法士さんが寄り添ってくださり、

転院してすぐあたりに、散歩をできるまでになりました。

病院の外の桜を見て、

「さ・く・ら」

と言い、

手をたたいたそうです。

 

 

 

 

 

 

最後に、きれいな桜を見ることができてよかった。

実は、実家の目の前には桜並木があり

毎年、お花見に行かなくても良かったくらいだったのです。

本当に、よかった。

 

 

 

認知症の父。

元気になっていた時は、

かなり暴れていましたが、

暴れる元気もなくなり、どんどん衰弱していきました。

寝返りもできなくなり、言葉もでなくなっていきました。

 

 

 

その日は、私が泊まる日でした。

数日前から足先にチアノーゼが現れ、

1時間ほどさすっているとひきました。

夜、血圧がかなり低くなり、

指先から酸素が測定できなくなり(むくみも酷くなっていた)、心拍系をつけました。

でも、朝、7時過ぎには、血圧も120/70になり顔色もよくなり、

痰の吸引もしてもらったのです。

「すっきりして良かったね!」というと、

頷きました。(それが最期となりました)

看護師さんと、ほっとしたんです。

ほっとして、うとうとしました・・・

 

 

 

そうすると、8時前に看護師さんが血圧を測りに来てくれると・・・

「はあ、はあ」していた声が聞こえない。

血圧も図れず、脈も触れない、手もだらりとしています。

(実は、ナースステーションのモニターがふれなくなったので、来てくださったそうです)

 

 

 

「え??」「何??」

何が起こったのかわかりませんでした。

姉に電話をし、看護師さんに説明してもらい、

すぐ来るようにいいました。

だんなさんや息子たちにも電話しました。

 

 

 

看護師さんに、

「亡くなっているのですか?」「生きているのですか?」

と、問うと、

「生きてらっしゃいます。ただ、判断を下すのは医師のみ。看護師は判断をくだせない。」

「お父様に声をかけ続けてあげてください。」

と・・・

 

 

 

本当に、あの時間は何も考えられませんでした。

手をさすりながら、声をかけ続けました。

「あぁ、これはもう亡くなっているのだ」

と認識しました。。。

 

 

 

看護師さんが、

「皆さんが集まられてから、先生をお呼びします。」

と言われました。

先生を呼び死亡を確認すると、

すぐにその後の処置にはいってしまうので

家族との時間ができない。

だから、皆が揃うまで待ってくれたのです。。

 

 

 

そうする内に姉が到着しました。

姉は、ベットの柵まで取り外し、

父を上から抱き、

「もどってきて~」「目を開けて~」「もっと一緒にいたかった~」

「ごめんね~」「まだまだ生きて~」「元気になって家に帰ろう~」

と、大声で泣きじゃくりながら、叫び続けました。。

姉にとっては、父は生きる全てだったのです。

 

 

 

息子たちも駆けつけ、声をかけてくれました。

実は、次男は沖縄旅行の最終日。

父の耳元に電話口をあて、次男の声も聞かせました。

そして、最期の時まで電話を繋げたままで、「一緒に」いました。

 

 

 

そうして、、

先生がいらっしゃり、、

臨終を告げられました。。。

 

 

 

臨終後も「声」は聞こえているデータもある、と看護師さんに言われ、

姉はその後もずっと、父を抱き、

泣き叫び続けていました。

そうすると、、

止まっていた心電図の波動が、たびたび動くのです。

30や100くらいまで。

看護師さんに聞きに走りました。

 

 

 

「止まっている心臓が、がんばって動こうとしている。

でも、それは生きている事にはならない。」

と、いう説明でした。

後で調べてみると、

「心電図は、心臓が止まってからでも、

心臓の電気的刺激を感知して波形として表示することがあります。」

とありました。

でも、私は、姉の声が聞こえたのだと思っています。

 

 

 

この最期に看てくださった看護師さんは男性でしたが、

的確に、でも、愛をもって接してくださり

本当に感謝しています。

(こちらの病院は、この看護師さんだけではなく、皆さんすばらしい方でした)

もちろん、担当の先生にも感謝しかありません。

 

 

 

父は、穏やかなきれいな顔をしていました。

父は、姉にこんなに愛され、面倒をみてもらい、

幸せだったと思います。

 

 

 

そして、前日に、姉が「変わってあげたい」というと、

その時だけははっきりと、首を横に振ったそうです。

その時だけは「父親」に戻ったんだと思います。

 

 

 

私には、2つ、後悔があります。

血圧がもどった時に、なぜうとうとしてしまったのか・・

起きておいてあげればよかった。

そうすれば、最期を看取ってあげる事ができたのに。。

そして、なぜ、姉が泊まりの時でなかったのか。。

最期の看取りを姉にさせてあげたかった。

 

 

 

そして、最大の後悔があります。

療養病院で父が弱っていった時、

姉は、「最期をここで迎えたくない」と、

気が触れたようになっていました。

どうにか出られるように動いていました。

でも私は・・・

諦めかけました。

「こんな状態で動かすことが、父にとってよいのかどうか・・」

「あと、数か月?この状態で生きつづけさせる事がよいのかどうか・・」

と。。。

 

 

 

そして、私も限界だったのです。

3月までは、仕事もかなりハードでした。

ほとんど寝る事ができない生活で、思考力も集中力も落ちていました。

4月から心機一転だったため、前を向きたい、そう思っていました。

そして、主人の調子が悪くなっていたのです。

1月から、病院に泊まる日はバタバタして

ちゃんとした食事が作れないこともしばしばありました。

そのせいではないか・・・と、苦しかった。

 

 

 

仕事、自分の家族・・・

そんな事が重なり、

父への想いだけではなくなっていったのも事実。

姉の一生懸命さを見て、逆に、気持ちがしんどくなっていったのです。。。

 

 

 

元の病院に戻れてからは、私の気持ちも回復しましたが、

父にも申し訳ない事をした想いと、

姉を支える事ができなかった想い。

それが、最大の後悔です。

ただ、

ただ、あの時の私にとっては、あれが精一杯でした。。

 

 

 

姉は、それ以上の後悔を口にします。

父のために尽くした9年間。

なのに、自分のせいだと泣き、自分を責めます。

でも、そんな姉を見ていると父も成仏できないよ、と、

父は感謝しているはずだ、と、

それを受取ろう、と・・・。

今、少しずつ、少しずつ、落ち着いてきました。

 

 

 

先日のお参りの後、

姉と、ご仏壇を買いに行きました。

小さいものですが、

桜の花が掘ってあるものが見つかりました。

父が、最期に見た「桜」です。

 

 

 

そして、お位牌は、クリスタルのものを選びました。

父は、大学でガラスに関わる仕事をしていました。

技術賞をいただいたくらいの研究者です。

ですので、

ちょうど良い、素敵なクリスタルのお位牌にしました。

とても、とても素敵なおしゃれなご仏壇になりました^^

 

 

 

今は、ゆっくりしてくれていると思います。

私も、4か月近い怒涛の日々がうそのようです。

スケジュール帳に書いた「病院泊」の文字を消す時に

涙があふれでてきました。

9年間、姉に任せてきてしまったので、

最期の数か月、父を看る時間をプレゼントしてもらったと思います。

 

 

 

日々、元の生活に戻り忙しくしています。

でも、何か、心がぽかんとしているような感じです。

時折、

孫たちと遊んでくれていた父を思い出し

心の中で

「ありがとう」

と、つぶやいています。

 

 

 

本当に、ありがとう。パパ。

 

 

 

長くなりましたが、

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

P.S. たくさん、孫たちと遊んでくれました線

 

母が生きていたころ~

 

 

 

 スキーにも行きました。

 

 

 

「父親」らしい顔。

 

 

 

夏の旅行でピース。

 

 

 

 

 

 

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