日本とトルコの友好関係。
$かつて日本は美しかった


 イスタンブールといえば庄野真代さんのヒット曲「飛んでイスタンブール」を思い浮かべる人が多いでしょう。昭和53年(1978年)のヒット曲です。歌詞の中に「光る砂漠でロール」「蜃気楼真昼の夢」とあり、砂漠のエキゾチックな風景を思い浮かべますが、イスタンブールは海洋性気候、地中海性気候、大陸性気候が交差するところで砂漠はなく、冬は雪も降ります。庄野真代さんは歌のヒットの2年後にイスタンブールを訪れていますが、雪にびっくりし、「あら、私ってウソ歌っていた・・・」「砂漠を通ってイスタンブールに着いたとも解釈できるし・・・」、しばし考え込んだとエッセイに書いています。

 イスタンブールは欧州とアジアの接点の位置であり、オスマン帝国の歴史からも人種の坩堝(るつぼ)です。XXX系トルコ人がわんさかいるというわけで、トルコ人同士は知り合ってちょっと話をし出すとどこの出か名乗り合います。にも関わらず、トルコ人は中央アジアの騎馬遊牧民族の末裔であると胸を張っていい、騎馬民族が東に移動したのが日本人だと思っているらしく、日本人に向かって「トルコ人と日本人は兄弟なんです」と語ってくる人がいるそうです。
 イスタンブールでよく知られるのがオリエント急行の終点ということがあげられ、この地でアガサ・クリスティーが「オリエント急行殺人事件」を書きました。クリミア戦争でナイチンゲールが活動したのがイスタンブールです。これは意外に知られていないかもしれません。

 近代に入り、日本人が公式にイスタンブールを訪れたのは明治4年(1871年)の岩倉具視を全権大使とする欧米使節団のうち、福地源一郎らが明治6年になってトルコの国情精査のためイスタンブールを訪れています。明治22年(1889年)、皇族の小松宮彰仁親王同妃殿下がトルコを訪問され、その答礼で来日したのが特使オスマン・パシャ(※1)で、乗っていた船がエルトゥールル号です。エルトゥールル号がトルコへの帰路、沈没した事件はあまりにも有名でしょう。エルトゥールル号の生存者は軍艦・比叡と金剛によってトルコに送り届けられました。軍艦・比叡と金剛はイスタンブールへの入港が許可され、大歓迎を受けました。このとき比叡に少尉候補生だった秋山真之が乗っていました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」にもちょっとだけ書いてあります。

 エルトゥールル号の事件は日本国内で大きな波紋をよび、義援金が集められ、24歳の青年だった茶人・山田寅次郎は全国を駆け回って義援金を集め、自らの足でイスタンブールへ行き義援金を届けました。山田は大歓迎され、皇帝からしばらくトルコに留まってトルコの士官に日本語を教えてほしいと要請されました。山田はトルコに残り、トルコの士官に日本語を教えます。この生徒の中に、後のトルコ共和国の初代大統領となるケマル・パシャ(ムスタファ・ケマル・アタテュルク)がいました。日本とトルコの正式国交は第一次世界大戦後でしたから、第一次世界大戦がはじまるまでは山田が事実上の大使の役割をしていました。
 日露戦争が始まると山田はトルコ人らを使ってロシアの黒海艦隊を監視し、偽装軍艦がボスポラス海峡を通過したことを日本政府に通報しました。このことは高く評価され、外相小村寿太郎より銀七宝花瓶と感謝状が贈られています。
 日露戦争の日本勝利はロシアの侵略に苦しめられていたトルコ人を熱狂させ、トーゴー、ノギという名前を自分の子供につけたり、店の名前にもつけたりしました。乃木将軍は明治44年(1911年)にイスタンブールを訪問しています。

 さて、再び現代に目を移すと庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」のヒットが昭和53年(1978年)で、これによりトルコ・イスタンブールの知名度があがっていきます。イラン・イラク戦争中の昭和60年(1985年)にイラクのフセイン大統領が無差別撃墜予告をし、イランに215人の日本人が取り残されましたが、トルコ航空が決死のフライトを敢行し、日本人を救出してくれたのは記憶に新しいところです。この4年後に日本-トルコの直行便が運行されるようになりました。90年代に私の母がトルコを旅行しましたが、日本人と知るととにかく大歓迎してくれたと嬉しそうに語っています。


※1「パシャ」は高官、高級軍人に与えられる称号。


参考文献
 中公新書「イスタンブールを愛した人々」松谷浩尚(著)
 藤原書店 別冊環14「トルコとは何か」『歌から始まった出会い』庄野真代
 竹書房「世界が愛した日本」四條たか子(著)
 新人物文庫「海の翼」秋月達郎(著)
 現代書館「明治の快男児トルコへ跳ぶ」山田邦紀(著)
 藤原書店「だから、イスタンブールはおもしろい」澁澤幸子(著)
参考サイト
 WikiPedia「イスタンブル」「ケマル・アタテュルク」

添付画像
 ボスポラス海峡とルメリ・ヒサル(手前)、ファーティフ・スルタン・メフメト橋 Auth:Original uploader was KeRR (CC)

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 クリックで応援お願いします。
広島ブログ お手数ですがこちらもよろしくお願いします。


飛んでイスタンブール 庄野真代
http://www.youtube.com/watch?v=bMFcsYodg1c