先日。

僕のワークショップのクラスで、複数の「声優さん」たちから、あるお悩みの相談を受けました。

ちょっと気になる内容だったので、このことについてお話をしてみたいと思います。

 

 

 

……現在、僕が手がけている仕事の中に。

声優さんの専門学校や、声優芸能事務所の養成所のアクティング・コーチがあります。

 

 

経歴のほとんどが「俳優」の僕が、なぜ今、そうした仕事をしているのか。

 

それはどうやら、声優業界が演技力を本格的に求め始めているから、らしいです……。

 

 

 

事実。

某・声優の大手専門学校で、その学校のスタッフから、こんなことを聞いたことがあります。

 

「生徒たちに、あるオーディションを受けてもらったら。

先方から『もっと会話ができる役者、いないの?』とハッキリ言われてしまった。」

 


声優はもはや、「いろんな声を出せる」「それっぽい喋り方」ではなく、「本当に会話ができる」こと、つまり本格的な演技力が要求されているということです。

 

 

 

 

 

 

アクティング・コーチの仕事を通して。

声優の方々からも、多くの質問や悩みをお聞きするようになりました。

 

そして、実際にそのお声を聞いていると。

ほとんどのケースで、皆さん、演技について「同じ」悩みを抱えていることに気づきます。

 

 

▶︎現場に行っても、結局「音(カタチ)」ばかりを指定されてしまうから、演技をしている感じがしない。

 

▶︎相手が目の前にいないのに、どうやって会話をすればいいんだ?

 

 

おおよそ、質問やお悩みの内容は、このあたり。

 

 

 

 

 

 

さて、そこで。

ちょっと考えてみたいことがあります。

 

 

それは、

「肉体を使う『俳優』と、声を使う『声優』との違い」です。

 

 

まず、お悩みをいろいろ聞いていると。

「音の指定」と「会話」の問題というのは、さらにシンプルな一つの事象にまとめることができそうです。

 

 

▶︎声優は『声』だけを使う仕事だから、非常に特殊。いわゆる俳優とは、求められる内容も環境も、大きく違う。


▶︎でもやっぱり、『声優』とは声で演技をする『俳優』だから、本当の会話・演技がしたい。

 


つまり。

「声優」とは、声で "演じる" 仕事だと思っていたのに、演じられない。

 

 

 

そんな、"演技" という「やりたいこと」が「できていない」というジレンマの中でぐるぐる迷子になっている方がとても多いようなのです。

 

 

僕の周りにいらっしゃる声優さんたちは、皆さん、心から「演技をやりたい」と思っていらっしゃいます。

実際、その中には、「アメリカの演技コーチのレクチャー本を購入して、読んでいる」という勤勉な方々が何人もいらっしゃるんです。

 

そこまで努力されているプロの声優さんたちでさえ、「現場にいくと『音(カタチ)』ばかりを指示されるから、望むような演技ができない」と悩んでいます。

 

 

 

▲皆さん、書籍などでも一生懸命勉強されています。

そして、それは「リアリズム演劇」の本。

やはり、声優という仕事の中で「本当に役を生きる」ということを求めているのです。

 

 

 

では、本当に、声優の世界は「演技をやりたいのに、できない」場所なのでしょうか??

 

 

実は。

声優さんたちのそうした問題は、別の「ある理由」に起因しているんじゃないか、ということに気づいたんです……。

 

 

それは、もっと根本的な「思い込み」です。

 

 

 

ちょっと、考えてみましょう。

 

 

 

果たして。

カタチばかりを求められてしまうという "声優" の世界は、"俳優" のそれとは本当に違うのでしょうか??

 

 

では、逆に。

"俳優" という人たちの現場は、"声優" とは違い、常にディレクターからの要求からも自由で、カタチを要求されることなく。

どこまでも自分の思うように演じることを許され、パフォーマンスがしやすい環境だと思いますか??

 

 

 

……ひょっとすると。

そもそも、この考え方に「思い込み」があるかもしれません。

 

 

つまり。

程度の差はあれど、本来的には俳優も声優も「同じ」かもしれない、ということです。

 

 

 

確かに。

俳優たちは、舞台上やカメラの前で、自然に振る舞っているように見えます。

 

しかしその裏には、

 

「このバミリでちゃんと止まって!」

「スポットの照明から外れないように!」

「頭を動かして喋ると(カメラの)フレームから外れてしまうので、頭は動かさないようにお願いします!」

 

「(スタッフがカメラの向こうで手をグーにして立って)相手がここにいるつもりで、ここに話しかけてください」

 

「そのセリフ、大切だからハッキリ喋って!」

「それじゃ伝わらないよ!  もっと感情的な演技を!」

「そのセリフを言い終わった瞬間、チラッと目線を横に向けてください」

 

「小道具は客席から見えるように持ってください」

「ビールの缶を持つときは、カメラ側にラベルが見えるように持ってください(スポンサーがそのビール会社のケース)」

 

「姿勢が悪いよ!」

「客席から見切れるから、もう少し顔を前に向けて」

 

「BGMの音楽は4小節なので、その間でセリフがピッタリ言い終わるように喋ってください」

 

 

……こんな「カタチの要求」なんて、死ぬほどたくさんあります。

 

 

しかし、たとえどんなにカタチのオーダーが出たとしても。

それを「いかに自然に見せるか?」が、俳優の仕事であり、そこに命をかけています。

 

 

▲コワい監督や演出家も、たくさんいますしね……。

 

 

 

まだ20代の頃でしたが。

僕は、ある大劇場で上演された作品で、舞台上に出てセリフを発するまでの演技に対して、

 

「ここまで5歩で出てきて、ちょうどこの位置で止まって。

それからセリフの言い出しの音を、さっき演じた時よりも "半音" 上げて。」

 

と指示されたことがあります。

 

 

「うわぁ、めちゃくちゃやりづらい……」

そう思いましたが、演出家が「それが良い」と言うのだから、従うしかありません。

 

そして、たとえこちらがやりづらくても、観客にはそんなこと関係ありません。

その中で、いかに自分が生き生きと役を演じられるかを、とにかくトライし続けました。

 

 

 

確かに、声優さんの仕事は。

身体を使った俳優に比べて「なんて繊細なんだろう…!!」と、僕はいつも驚かされます。

 

しかし、考えてみてください。

俳優は、声だけでなく、肉体も制御しなくてはいけないんですね。

 

 

そんな中で、このような演出家や監督からのオーダーは、い〜っぱいあります。

立ち位置やタイミングの、細かい要求。

時に、相手がそこにいなくても演技をし、感情を動かさなくてはいけない。

 

 

 

ただ、名優たちはそれを「あまりに自然に」こなしてしまうために、その裏側にこれだけのことがあると、見ていて気づかないだけなのです。

 

 

 

 

 

 

俳優の仕事は、ある意味、とても報われない仕事です。

 

その上手さとは、すなわち「上手さを感じさせないこと」

技を磨けば磨くほど、「何も特別なことはしていない」ように見えてくる。

 

 

その結果、演劇を知らない一般人からも「あの人の演技はあーだこうだ」とダメ出しされる。

「演技って、誰でもできるもの」だと思われてしまうからなんですよね。

 

 

だから。

プロの俳優は、「誰にでもできる」と思われてナンボなんですよね。

それが "磨かれた技" というものです。

 

 

 

 

それから。

「相手がいないから、会話ができない」というのも、思い込みかもしれません。

 

 

例えば。

俳優が喋るセリフって、往々にして「会話の途中」から始まります。

 

何かの会話の途中から、シーンがスタートする。

そういう場面だって、いくらでもあります。

 

そうした時に、いちいち「その前の会話をしていないから、喋り出せない。演じられない」とは言わないですよね??

(それを、あたかも「その前から会話が続いていた」と感じさせるのが、俳優のワザなのです。)

 

 

結局、俳優が演じる会話や演技とは、実人生とは違い、常に何かが "欠落" しているものなのです。

 

 

「50歳の男」の役を演じるのに、50年分の人生を作るのは不可能です。

「たった一人の部屋」にいる演技も、そこにはカメラがあったり、スタッフがいたりします。


 

演技をするという時、俳優は常に "不自然" "完璧ではない=何かが欠落している" 状況の中に置かれています。


会話のシーンでも、目の前に相手役がいない状態で演じなければならない(例えば、映像での表情のアップ)ということも、比較的頻繁に起こりうるのです。


 

 

身体を使った「俳優」が会話したり演技をする環境は完璧に満たされていて、声優の会話や演技の環境はそうではない……。

そう感じているのだとしたら、それもまた「思い込み」なのではないでしょうか。

 

 

「相手役がそこにいないから、会話ができない」

 

確かに、その通りです。

でも、そうした "欠落部分" にばかりフォーカスしていたら、一向に虚構の世界は真実になりません。

 

 

 

▲ホントは、こういう状態。自然な世界が完全に "欠落" してます。

 

 

 

さぁ、あらためて。

 

 

声優は「細かく音を指示されるから、マトモに演技ができない」

だから、俳優とは世界が違う。

 

声優は「相手役がそこにいないから、会話ができない」

だから、俳優のように演技力を発揮できない。

 

 

そんな風に感じていた方は、少し考えが変わったのではないでしょうか??

 

 

 

 

 

 

……僕のような人間がこんな風にお話ししていると、声優の皆さんに叱られてしまうかもしれませんね。

「お前は、ホントの声優の世界が分かっていない!」と。

 

 

いえいえ、僕はそんな気持ちでお話ししたのではありません。

道は必ずあると信じているのです。


 

多くの声優の方々が、リアリズム演劇の素晴らしさを「声の演技」の中で体現しようとしていらっしゃること。

その志がとっても嬉しくて。

 

だから、一人のコーチとして、演劇人として、ぜひ一緒にこの問題を乗り越えていきたい。

少しでも、声優の皆さんのお役に立ちたい、という思いで、この記事を書いています。

 

 

 

安心してください。

「音を指定されるから……」という悩みや「そこに相手役がいない」という困難な状況こそが、「だったら、どうやったらその中でもっと自由に演じられるようになるのか?」という探求への入り口になるのです。

 

 

音の要求、会話ができない環境 → 俳優としての演技ができない

この因果関係は、単なる「思い込み」です。

 

 

そうではなく。

「その中で、いかに "本当に" 会話をして、"本当に" 役を感じ、役を生きるスキルを磨いていくか?」

ということこそが、俳優の道の面白いところなんじゃないでしょうか。

 

 

僕はぜひ、皆さんのお悩み解決のお供をさせていただければという思いでいます。

 

 


 

最後に。

「キン肉マン」「北斗の拳」などで主人公の声を演じ、一世を風靡した声優・神谷明さんの言葉をご紹介します。 



「声優としての独特な演技法があるように思われがちですが、それはまったく間違いで、基本的に俳優と同じ。

できれば自分の体を使って表現できることを、しっかり学んでほしいと思います。」

 


 

▲僕の世代にとっては、永遠のヒーローです。

神谷明さん。

 

 

 

……この話題は、次の記事へも続きます。

 

声優の皆さん。

ここから、具体的な解決策を見つけていきましょう!!

 

 

 

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