前回記事で、「セリフはヘタに喋るべし!」という、奇想天外な提言をさせていただきました。👇

 

 

 

 

……以前、あるラジオ番組を聞いていた時のこと。

ゲストで出演していた俳優・森本レオさんが、若い頃のある出来事をお話しされていました。

 

ある日、森本レオさんは、俳優仲間と飲み屋で「上手い演技とは何か?」という激論を交わしていたそうです。

 

しばらく議論は続き、あーでもない、こーでもないと皆で興奮して話をしていた中。

ふと。

 

 

「……そもそも『上手い』と悟られてしまう演技は、いい演技なのか?」

 

 

という根本的な疑問に到達し、議論が停止してしまったのだとか。

 

 

 

▲森本レオさん。

 

 

 

まぁ、これはおそらく、「演技の自然さ」という文脈で語られたことだと思うのですが。

 

でも、僕にとって。

この森本レオさんのお話しは、「演技とは何か?」を考えるのにとても大きなヒントになりました。

 

 

 

前回の記事でもお話しした通り、リアルな会話では、活字としての日本語の意味内容が主ではなく。

相手とのコミュニケーションの中で、裏側に流れるその瞬間のニュアンスで喋っています。

 

 

会話のリアリティや自然さというのは。

台本に印刷された文字の “意味・内容を正確に” 発語することとは、一線を画しているものなのです。

 

 

言い換えれば。

文字に書かれた言葉は、論理的な意味を持つ。

 

しかし、自然な会話で発せられた言葉は、もっともっと直感的だということ。

 

 

 

森本レオさんが仰られていた「上手い演技」というのは、“論理的” という意味合いに近く。

「上手いと悟られない、いい演技」とは、より “直感的” なものを指しているのでは、と推測されますね。

 

 

リアルな人間の姿は非常にアナログで、論理立っていないことばかり。

実際、人間の行動の実に95%は、思考による論理的なものではなく、潜在意識による、直感的・本能的なものだと言われています。

 

 

 

この数字を借りれば。

アタマで論理立てて理路整然と組み立てた「上手さ」は、5%あればいい。

残りの95%は、コミュニケーションの流れに身を委ねた「ヘタ」な状態が自然ということ。

 

ところが、演技の際に。

台本に書かれた意味内容を “論理的” に受け取ってしまい、必要以上にそれを表現しようとしてしまう。

 

そうすると途端に、リアルなバランスが崩れ、不自然な演技やセリフになっていく。

 

 

演じる際。

文字情報の台本(テキスト)が、5%。

相手から受け取って直感的に反応する、コトバの裏側(サブテキスト)が、95%。

 

 

「5:95」という細かな数字はさておきですけれど。

(人間はAIじゃないので、思考と潜在意識の割合をそんな精密に計算しながら演技なんてできません笑)

 

 

……でも、確かに。

リアルな演技が達成されている時って、本当にそのくらいのバランス感覚なんじゃないかと感じますね。

 

 

 

▲ちょうどいいバランスって、直感的で、自然で、力んでない状態。

少しでも余計な思考を働かせると、力が入って崩れてしまう。実に本能的なものです。

 

 

 

実は。

普段の会話ではとても自然にサブテキスト(会話の裏側)が溢れていても、演技になると急にできなくなる(台本のコトバを表現してしまう、裏側がなくなる、わざとらしくなる)というのには、理由があります。

 

 

それは、「台本上にこの言葉が書かれている=こう喋る」というように文字と言い方が「癒着」状態にあるから。

 

 

「大丈夫だからね」という時には、この文脈ではこういう言い方が一般的。

「よかったね」という言葉は、この場合はこういう言い方。

「困ります!」と書いてあったら、こう。

「なんですって?」と書いてあったら。

「しょうがないでしょ」は、これ…

「安心してね」は、こんな感じ…

「ちゃんとやっておいてよ」は…

……

 

 

国語的な文脈で考えたら、こういう言い方が一般的な正解。

国語教育や経験、演技をするということへの思い込みなどで、そうした思考回路が二次的に出来上がっていて。

 

その回路のスイッチが、「演じる」という際にオンになるから。

日常会話ではそこから解放されているのに、セリフを喋ろうとすると、どうしても「言語・文脈と言い方の “癒着” 状態」が誘発されてしまうのです。

 

 

そうなると。

相手とのコミュニケーションの中で本能的に生まれるはずの “サブテキスト” が潰されてしまうので。

不自然、かつ、奥行きのないセリフに聞こえてくる。

 

 

▲本能(リアリティー)が、思考(言い方)に潰されてしまう……

 

 

 

試しに。

セリフを「棒読み」で言えるか、やってみてください。

 

 

癒着の回路が強く出来上がっていると、セリフがどうしても棒読みで言えなくて、自動的に言葉のニュアンスをつけて喋りたくなってしまいます。

 

 

文字情報から受け取る、論理的な意味から解放され。

自由な楽器で演技ができているかどうか。

 

そのチェックとして、棒読みで試してみるというのは有効だと思います。

 

 

 

ちなみに。

相手役との会話の演技で「棒読み」を試みようとすると、お互い面白くなって吹き出してしまうなど、かえって自然な反応が現れて生き生きとしたコミュニケーションができたりします。

 

そうした時、結果的に「棒読み」ではなくなってしまってOKです。

それは、思考で論理的に表現したものではなく、感情(本能)に基づいた、リアルで自由、直感的なニュアンスであるはずです。

 

 

「あなたのこと、絶対許せない!」

 

 

このセリフ、パッと見ると、まずは論理的な意味に則ったニュアンスが思い浮かぶでしょう。

役は相手に対して怒っていて、その思いをぶつけている……。

 

ところがこれを、相手役に対して、ゆっくり「棒読み」で言ってみてください。

すると、なんだか面白くなって、思わず笑いながら喋ってしまったりしませんか?

 

 

「あなたのこと、絶対許せない!」笑笑

 

 

……必要なことは、論理的な意味や文脈から自由に外れること。

 

これが、僕がお伝えしようとしている「ヘタ」さというものです。

 

 

 

▲あそこの美容師、ヘタすぎやろ……

え? 意外と可愛い??

 

 

 

世間の一般的な言い方から外れると、世の中的には「ヘタ」だと言われるでしょう。

なぜなら、国語的な「正解」とは違うからです。

 

 

ヘタで結構。ウインク音譜

 

 

俳優が演じる物語の主人公は、多くの場合、世間一般の正解や常識に疑問を呈し。

あるいは、社会が作った人生の線路から脱線しながら。

やがて、誤った思い込みから解放され、本当の自由を手に入れます。

 

 

「上手いと悟られる演技は、果たしていい演技と言えるのだろうか?」

 

この、森本レオさんの問いかけは、

 

「世間一般の『正解』に縛られて上手に生きようとする人生は、果たしていい人生と言えるだろうか?」

 

と言い換えられるものかもしれません。

 

 

 

大いに、ヘタクソに演技しましょう。

 

 

 

大いに、ヘタクソに生きましょう。

 

 

 

▲ヘタクソ、Goodだゼ。

 

 

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