昨日、父が亡くなりました。
訃報を聞いてから、
昨夜までの記憶が飛ぶ程
たっぷり泣きました。
そして驚かれる程
廃人の様に、無気力になっていた様です。
あなたは、大切な人とのお別れの時
どうやって立ち直りましたか?
私は、気持ちを鎮める為に
これを書いているのかもしれません。
だって、私たちは
未来へ進むしか
ないから。
とは言うものの・・・
もっと大切にしてあげたかったとか、
親孝行、何も出来なかったじゃないか・・・!とか、
昨夜から、自分をずっと責めるばかりでした。
でも泣き疲れた今朝
父のお陰で、今の自立塾があるのだと
ふと思ったのです。
理由は、この言葉です。
「人と違う事をしろ、
違う所を見ろ。
でも人を、大切にするんだよ」
私は幼い頃から、ずっとその言葉を
父に言われ続けました。
勉強を教えない自立塾が誕生したのも、
その言葉が大いに影響しています。
だから、自立塾のブログに
この記憶を残そう!っても思いました。
これから開く、過去の記憶は
あなたのお役に立てる内容だったら、幸いです。
★★★★★★★★★
人の数倍働く父は、兼業農家でした。
コロナの時代で、複業はますます増えてくるのですが
父は昔から、もの凄く働く人でした。
日の出前に起き、田畑で汗をかいてから
着替えて、出社していて
帰宅後も、日没しても田畑で働いていました。
祖父の介護を1人でしながら、
チンピラの弟の借金を返済しながら、
父は必死に働いていました。
「今日から、お父さんだよ」
大好きな祖父母の家で育った私は、3歳頃に
黒いサングラスの怖そうなおじさんに
養女として引き取られました。
近所の沢山の優しいお友達に囲まれて
遊んでいた日々から、一転して
黒いサングラスのおじさんと、
よく叫ぶ大きな牛と
おだやか~な、おじいちゃんとの生活が
始まったのです。
上の写真は、引き取られた日ですね。
祖父母とのお別れの時を、察している一枚です。
なかなか慣れるまでに時間が掛かったけれども、
黒いサングラスのおじさんは、サングラスを外すと
とっても優しい目をしていました。
会社から帰ると、私をトラクターやトラックの後ろに乗せて
田畑へ連れて行ってくれました。
それが、嬉しくて嬉しくて。
「わああああああああああーーーーー!!」
毎回、それらに乗って興奮し、絶叫する私を
父は微笑みながら見ていました。
全力で遊びながら、田畑を耕し
今思うと、超人的体力だったと
改めて、感謝でしかありません。
牛が脱走した時の父は、本当にかっこよかった。
幼い私は、なわとびを振り回して
父の後を、近所の男の子たちと笑って追いました。
近所の人たちも、どの人も
とても楽しくて、情のあつい優しい人たちばかりでした。
恵まれた環境で育ったのだなと、思います。
こうして見てみると
徐々にアルバムの写真の自分が、
成長に伴い、笑顔に戻っていったのが
一目瞭然でした。
久しぶりに見たのです、アルバムを。
そんな父が、ガンだと聞いてからは
この10年間で、その病で
何人の大切な人たちを見送っただろうと
全員の顔がよぎりました。
父の闘病生活からは、
田畑を触れない無念の思いが
ひしひしと、伝わってきました。
余命宣告をされ、再入院の前日
父は畑に、じゃがいもを植えました。
周囲が止めても聞かず、
家族が野菜を食べられる様にと、
痩せ細った体で、最後の力を振り絞って
植えていたそうです。
数日前、医師から
「親族に顔合わせを」と言われ
故郷の群馬県へ飛んでいきました。
(お父さんに何て伝えよう・・・)
そう思って、沢山考えていた言葉も
呼吸器をつけ、痛み苦しみ
骨と皮になってしまった父に、会い
とてもシンプルな内容に
削がれて、届けました。
そう、大切なことって
とてもシンプルなのですよね。
私は「ありがとう!」って連発していました。
思い出の片っ端から、全て
ありがとうって。
あなたは、お父さんに日頃から
感謝の気持ちを届けていますか?
照れくさいかもしれないけど、
届けられるといいですね。
「ねえ、お父さん。
最近ね、栃木県でステキな農家さんたちに
出会えたよ。
その方々から、無農薬の野菜を頂いて
お父さんが何で、農薬を使わないで
野菜を育てていたのか、よく分かった。
その価値も、よーーーく分かった。
本当に有難う。
野菜って作るのに、
こ~んなに手間が掛かるんだって!
もっと、早くお父さんの手伝いをして
野菜の作り方を、教えてもらえば良かったって・・・!!」
涙のダムが決壊して、
マスクがびしょびしょになりながら
真剣に伝えました。
「最近ね、田んぼ道を朝晩で散歩しているよ。
稲になるまで、こうやって成長するんだとか
揺れる苗を見ながら、改めて
きれいだなって思った。
お父さんが乗せてくれた
トラクターやトラックから見る景色は
本当に、きれいだった。
きれいな景色を沢山、見せてくれて
どうも有難う」
呼吸器を外そうとする父が
何か話してくれたのですが
残念ながら、入れ歯をしていないから
よく聞き取れず、私はただ頷くだけでした。
それが、最期の時間になったのです。
コロナの影響で、面会も出来ず
最近になってようやく、わずか5分間叶いました。
でも、父と私の間に
看護師さんが仁王立ちして、
距離と時間を、厳しくチェックされていました。
数日前、もう時間を気にせず
やっと面会が許可されましたが、皮肉にもそれが
最期となってしまったのです。
細心の注意を払い、奮闘してくださっている
医療現場の皆様へ
この場を借りて御礼申し上げます。
明日の告別式まで、
今夜一杯は、仕事がビッシリ入っているので
有難い事に、気が紛れます。
今夜、栃木県の大学からのご依頼で
学生からインタビューを受けます。
こんな今だからこそ話せる、
研ぎ澄まされた、無駄のない内容を
情熱を添えて届けようと思います。
父が遠くへ行く前に、
感謝を届けることが間に合って
本当に良かった。
でも・・・
父が遠くへ行く前に、
もっと恩返しをしたかったです。
全然足りなかった!!
お父さん、ごめんなさい。
今日まで本当に、有難う。
反省点だらけだけれども
改善点は、今後の生き様を見ていて下さい。
息子が
「母さん、虹だよ!」と
昨日の夕方、私の手を引いてくれました。
ひぐらしが鳴く夏、
ハッ!と我に返った瞬間でした。
あの虹を見て、私は涙が止まったのです。
有限な時間を、どう使うのか。
有限な時間で、誰と会うのか。
その生き方を教えてくれたのは、虹でした。
父は、虹なのです。
【自立塾公式HP】