お念仏も般若心経も | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

「般若心経」は、とても有名なお経である。

 

経本をみなくても唱えることが出来る方も多いと思う。

 

浄土宗では日常的に読むことは少ないが、祈願法要などではお唱えしている。

 

無病息災、健康、合格、安産、商売繁盛などを、仏さまにお願いする法要だ。

 

祈願法要を勤めているのは、大きなお寺さんが多い。

 

そうすると、お堂が広いので太鼓をしっかりと叩きながら、2回3回と輪読している。

 

もちろん、浄土宗以外でも祈祷や祈願では般若心経を唱えている寺院は多数あると思う。

 

般若心経が祈祷法要で読まれはじめたのは、随分と前からのようだ。

 

例えば、奈良時代の774年4月11日、「疫病を防ぎ、平和な世を永くつづけるために、摩訶般若波羅密をとなえましょう」と、光仁天皇が全ての人々に命令しているそうだ。

 

また、平安時代の838年には、天候不順と疫病蔓延をなんとかするために、全国各地の人々へ「般若心経を写経しなさい」と、仁明天皇が命じだそうである。

 

さて、突然ですがここからスケールが小さくなります。

 

すみません……。

 

私が初めて般若心経を唱えたのは、大学の寮に入ったときだった。

 

寮には、天台宗と真言宗と浄土宗のお坊さん予備群が生活をしていた。

 

朝と晩に点呼があり、その時には、各々が生活している階の所定の場所に集まり正座をした。

 

2階は天台宗、3階は真言宗、4階は浄土宗だったと思う。

 

皆の名前が呼ばれた後、問題がなければ勤行を始める。

 

その際に唱えていたのが般若心経だった。

 

土曜の朝の点呼から、日曜の晩の点呼までは自由時間。

 

家に泊まりに帰るも許されていた。

 

むろん、寮に残るものもいる。

 

残ったものは、土曜の晩と日曜の朝にも点呼がある。

 

ただし、このときは三宗派が一緒に集まり勤行を行った。

 

「門前の小僧、習わぬ云々」と言われるように、浄土宗でよく読まれるお経は、耳になれていた。

 

しかし、般若心経はきいたことも、読んだこともない。

 

一方、天台と真言の仲間は読み慣れていたようである。

 

初めて一緒に唱えたとき、そのスピードの速さに驚いた。

 

もっとも、寮を出るころには私も完璧にそらんじていましたけれどもね。

 

ときに、お参りにいらした方が、「普段お唱えするのは、般若心経でよろしいのでしょうか」と、たずねられることがある。

 

浄土宗は、「後生は極楽浄土にお救い下さい」と願って、阿弥陀さまにお念仏をお称えすることを大切にしている。

 

読むお経も、そのことが書かれている「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」が重要にしている。


でも、だからといって般若心経を唱えてはいけないわけではない。

 

法然上人も「お念仏を続けて、阿弥陀さまによるお救いが信じられるようになれば、他のお経を拝読してもよいですよ」と、説して下さっています。
 

 

法然上人の御教えに、以下のお言葉があります。
『(問)

阿弥陀仏以外の仏や、「浄土三部経」以外の経典に結縁して、その信仰を増進することは、雑行となるのでしょうか。
(上人のお答)

必ず往生するという信心を得て、阿弥陀仏の本願に適うことになった後には、他の仏や経典と結縁して信仰を増進することは、決して雑行とはなりません。往生のための助業となるはずです。云々』
 

【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編p471】
 

 

ありがとうございました。

*参考図書

【廣澤隆之先生著 ナツメ社 図説雑学仏教】  

【渡辺章悟先生著 大法輪閣 般若心経】