現在、神社の参拝作法として定着しているのは

 

二拝、二拍手、一礼」となっています。

(説明の都合上「明治の作法」とします)

神社庁のHPではこの作法を紹介しています。

実はこの作法、明治以降に定められたものです。

 

大分市 西寒多神社

 

 

<参考サイトより引用>

明治8年に式部寮から頒布された官国幣社の祈年祭に

関する事項を定めた「神社祭式」に、

「再拝拍手」と記されたところから始まっているようです。

この「再拝拍手」から始まり、「再拝→祝詞奏上→再拝」や「再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝」など、その時代や祭事を任された人物、定義づけした機関によって、新たな作法の考案や改良が行われていきました。

明治40年、「神社祭式行事作法」が制定され、その中

でひとつの作法が定義されたと言われています。

「再拝→二拍手→押し合せ→祝詞奏上→押し合せ→

二拍手→再拝」という形式になっており、

現在の「二礼二拍一礼」という作法よりも長い動作で作られています。

その後、式の円滑な進行や、考え方の変化から、

神社祭式行事作法に幾度かの改訂がなされ、

昭和23年に改訂された段階で「二礼二拍一礼」が

正式な拝礼作法となったようです。

<引用終わり>

 

では、古来からの神社参拝作法はどういうものか。

 

知る人ぞ知る、その作法とは・・・

いま明かされる、秘伝の作法。

日本中に巻き起こる感動の嵐!

全米が泣いた!(んな訳ねーだろ)

 

なんか、もったいぶった前フリですが

単に私が今まで知らなかっただけのことです。

 

 

正しい参拝作法というのは・・・

 

一揖、三拝、三拍手、一拝、一揖」です。

(説明の都合上「古来の作法」とします)

 

 

「いま、知った」というのは

「いままで知らなかった」ということです。

(当たり前ですわな)

 

だけど私の場合「こんなことも知らないなんて」

などとは考えません。

 

実はこういうことって“時期”がありまして

「知った時が知るべき時」なんです。

5年前でも、1年後でもなく、「いま、この時」に

知らせる(情報に巡り合わせる)ようにタイミングを

計っているのは、実は他の誰でもない神様です。

 

なので「知るのが遅くなった」とか「恥ずかしい」

などと考える必要は全くありません。

 

「あちゃ~、今までドヤ顔で「明治の作法」を

他人に教えてたわ。恥ずかし~」という、あーた。

そこの、あーたです。あーた。

 

過ちては則(すなわ)ち改むるに

憚(はばか)ること勿(なか)れ

 

過ちて改めざる、之を過ちと謂(い)う

 

などという言葉もあります。

過っていると知ったら躊躇なく改めるだけのこと。

いたずらに体面などを考えて改めるのを恐れてはいけません。

 


この記事を読んだあなたの場合、

「いま」が「その時」なんだと思います。

多分そうです。そうに違いない。そうに決まってる。

(出た!「そうの三段活用」)

 

 

そういう意味で「いま知った」という、あーた。

おめでとうございます。

んも~、想像もつかないぐらいツイてる

と思いますよん。

あーたは今日、古来からの参拝作法を

「知る」ために、この記事に導かれたんです。

多分そうです。そうに違いない・・・(以下略)

 

 

色々と隠されていた物事が明るみに出る時節。

「産み出し」のための「膿み出し」も色々。

 

 

という訳で、今回の記事では古来から伝わる

正しい神社参拝の作法をお知らせしました。

ただし、伊勢神宮や出雲大社などでは

独自の作法があるので、それに従ってください。

 

 

「古来の作法」について分かりやすく説明

してくれている参考サイトを記事の最後に

紹介しておきます。私の説明より分かりやすいです。

 

 

「え?説明してくれないの?」

というご意見もあるかと思いますが

この記事の役目は「告知」であって

「解説」ではないと思うちょります。

 

 

そこんとこ、ヨロシク(言い方が昭和だ)

 

 

秩父 三峯神社の拝殿 両脇に白オオカミがいます

お祓いの時に左腕をツンツンされたので振り向くと

誰もいなかったのでオオカミさんの仕業かと(笑)

三峯神社

熊本 阿蘇神社(改修後)

 

博多 櫛田神社 天狗面がド迫力です

 

 

福岡県 高住神社 こちらも天狗面👺

 

 

 

<参考サイト>