高良大社(こうらたいしゃ)は
筑後国一の宮ですが、古来より

神仏習合の修験道の霊山として

栄えて来ました。
 
明治元年(1868)の神仏分離令までは
沢山の修行者がいたようですが
それも今は昔。
標高312mの山頂近くまで車道を
車で登ると開けた場所に駐車場が
あります。
 
そこから真っ直ぐな石段を登りきり
ふと振り返ると久留米市の市街地が
眼前に広がります。
 
 
階段を上りきって振り返ると絶景が!
 
 
<ご祭神>
向かって右 八幡大神  (はちまんおおかみ)
中央    高良玉垂命 (こうらたまたれのみこと)
向かって左 住吉大神  (すみよしおおかみ)
 
 
拝殿からさらに山道を登ると
奥宮があり、祀られているのは
毘沙門天とされています。
 
毘沙門天の真言
おん べいしら まんだや そわか
 
奥宮の入口は鳥居がありますが
祭壇の裏側には仏塔があります。
 
 神社の奥の院に仏様が祀られているなんて
まさに神仏習合です。
 
 
 
 
 

拝殿から直接、市街地を眺められます

 
 高良大社の由来など詳しくは
公式サイトでご確認ください。
 
この眺めを見て私が思ったのは
神様の視点でした。
 
見渡す限りの景色の中
無数の小さな家があり
その一つ一つの家には
それぞれ暮らしがあり
そこに暮らす一人一人には
それぞれの人生があります。
 
神様の時間感覚では
ついこの間に産まれた赤子が
いつの間にか年老いて旅立ちます。
その、あまりにも短い人生の
いくばくかの時間を割いて
わざわざ山の上の神社まで
汗をかきかき登って来る。
 
長い石段にも文句を言わず
ただただ神様に会いたい一心で
せっせと登って来る。
 
ある者は走って登り
ある者は杖をつきながら
ある者は願い事を胸に秘め
ただただ「神様、神様」と
神様を慕う真心を持って
登って来る。 
 
 
神様から見れば、そんな人間達が
もう、可愛いくて可愛いくて
仕方ないんだろうと思います。
(あくまで私が想像する神様目線で)
 
 
歩き始めたばかりの我が子が
よちよちと自分に向かって
歩いてくる様子と重ね合わせて
自分がこの神社の神様だったら
懸命に慕って来る人間達のことが
いとおしくて仕方ないと思います。
 
 
そういう神様目線で眼下の景色や
参拝に訪れる人々の姿を見れば
愛おしい気持ちになりませんか❓️
 
 
それでは今日はこの辺でm(_ _)m