■前者への「ありがとう」は愛情を目に見える形にする行為 に、

 

こんなコメントをいただきました

 

 

 

 


 

わたしもでしたが、

 

前者って大半が

「こんな私が前者って言ってもいいのかな……」って思ってるんですよね

 

 




前者後者の話は、できるできないの話じゃないんだよと言われながらも
ついつい

 

「私出来ないし……」
「できないのに前者って言っていいのかな……」

「私なんかが前者って烏滸がましいんじゃ……」

 

とかになりがちです

 

 

 

 

でもね、違うんですよ

 

 

「なんのOS使ってるの?」という質問に対しての

 

Windows と Mac

Android と iOS

 

そういう差なんです

 

 

 

本当に『できる出来ない』じゃないんです

 

 

 

肉体的な男女差よりもパキッと別れているみたいなんですよ

 

世界の見え方の差なんです

世界の処理の仕方の差なんです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前者後者論ユニバーシティ4日目に

前者と後者の頭の中の情報の処理方法の違いの話がありました

 

 

 

 

「後者は情報が個別具体に脳に入る」

「集団化や関連付けはあるが、基本仕分けされずバラバラに浮くか消えている」

 

ここら辺は詳しくは向江さんのブログとかその辺を読んでもらうとして

 

「後者は全部『自分』というメインシステム1つで処理している」

 

これが1番重要な点でした

 

 

 

全部『自分』というメインシステム1つで処理しているから

頭だけで考えるのはとてもキツイし

頭だけで考えているとそのうち身体ごと処理落ちする

 

 

 

 

 

 

 

一方前者は

「情報を概念化する」

「脳内に全自動仕分け機能がある」

 

「外部メモリーがある」

 

「それはクラウドである」 ←キラキラNew!キラキラ

 

 

という結論になりました

 

 

外部メモリーとしてクラウドがあるから「普通」が分かるし

なんかいつの間にか仕分けされてるし

処理落ちしないし

外部基準がある

 

 

 

 

 

 

 

 

後者が常に海と繋がっているように

前者はクラウドと接続していた

 

そして

後者は自分の確実性と連続性を見失わない

前者は時空間の確実性と連続性を見失わない

 

 

それは逆に言えば

後者は時空間の確実性と連続性を見失う

前者は自分の確実性と連続性を見失うということでもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では

前者のクラウド 後者の海とは何か? (4日目の夜ブレインストーミングが止まらなかったのはこれが出てきたせい)

 

 

※これらは全て前者後者の脳内の情報処理の話です

 

 

 

 

 

クラウドとは【集合意識】

 

前者は文化的土壌から発生した集合意識(概念の集まり)に接続している
だからこそ外部意識で外部基準だし

『常識』の共有が為される

 

 

 

それはまさにつぶやきビッグデータのような有様

 

 

 

だから言語的で抽象的な処理になるし、関連付けもされてるし

検索・フィルタリング機能があるし

自分はこの共有の巨大な集合を構成するひとつの要素でしかない

だからこそ自分の普遍性というものを信じている

 

 

「自分は普通だしどこにでもいる人間のうちの一人である」

「主人公がいるとしたら、目立った特別な誰か」

 

 

 

 

 

 

 

 

海とは【集合的無意識】

 

後者は人類普遍の集合的無意識(ワンネス、ソース)に繋がっている

だからこそ、なにはなくても「自分は自分」「自分は大丈夫」と信じることができるし

『どこまで意識したり感知できてるかはともかく下でつながってる。「下」で感じ合える』ということになる

 

つまり後者はガチで自分の中に小宇宙があると生まれた時から知っているし

それをずっと感じながら生きている

 

 

つまり後者は聖闘士(見習い含む)だった……!!! 

(※本気です)   

 

参考:聖闘士星矢→小宇宙(コスモ

 

 

聖闘士だから「コスモを燃やさねば……!」と本能で感じて

いつもMax、ベストを尽くして生きようとします

 

 

 

そんな聖闘士達ですが自分が主人公として夢の世界かアリスの世界にいます

 


 

 

夢かアリスの世界だから何でもありだし

何なら空飛べるんじゃね?と思うし

因果などないし

ビジュアル的に処理される事が多いし

自分が主人公だから自分抜きで考えるとかありえない

 

 

アリスの世界からアリスを抜くと物語が成り立たないように

世界と自分は密接な関係なので自分は抜けないし、もし自分を抜くと世界もなくなる

自分と自分の世界が密接なので、自分を説明しようとすると、自分を構成する自分の世界も説明しなければならない気がする

 

 

例えるなら 『ONE PIECE』 『名探偵コナン』 『ちはやふる』『君に届け』

漫画って言う共通点はあるけれど全部ジャンル違いますけど!!!みたいな

 

 

で、主人公がいなくなるとその物語って成立しないよね?

世界感が同じでも違う人が主人公なら、それってスピンオフだよね?違う物語だよね? 

 

 

で、『名探偵コナン』の主人公が違う世界の人に自分を説明しようと思ったら、なんか成り立ちから話さなきゃならないよね?

 

俺は高校生探偵・工藤新一。幼馴染で (ry) 目が覚めたら・・・体が縮んでしまっていた。』っていう映画の前説のアレ 初めての人はアレないと分かんないよね?

 

なのでこれ↑を説明しようとしてくれるんです

 

 

ありがとね!

 

 

 

 

 

 

ついでに

前者さんは想像してみてください

 

【自分がアリス】だったらって

 

 

 

【自分がアリス】だったら
『食べたら小さくなるきのこ』と『食べたら大きくなるきのこ』と『椅子のきのこ』を
【きのこ】と纏められますか?

 

【自分がアリス】だったら

それらを【きのこ】と纏めるのはなんか乱暴に感じませんか?


【自分がアリス】だったら

 

全部違うもん

『食べたら小さくなるきのこ』は『食べたら小さくなるきのこ』だし

『食べたら大きくなるきのこ』は『食べたら大きくなるきのこ』でしょ?って、言いたくなる気になりませんか?

それを【きのこ】って括られたら「違わないこともないけどなんか違う~~~!!!」ってなりませんか?



つまり後者さんはこんな感覚なんじゃないかな~と思ってます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これって

本当に『できる出来ない』じゃないでしょ?

 

 

世界の見え方の差

世界の処理の仕方の差 って意味が分かりましたか?

 

 

 

 

 

まぁ前者さんは世界の認識の仕方として

クラウドから情報を引っ張ってきて相対的に自分を評価してしまうので

常に自分は普通か普通以下という評価になりやすいのは分かりますが

本当に違うでしょ?

 

OSの差なんです

世界の見え方・処理の仕方の差なんです

 

 

 

ビッグデータアリスの世界なんです

 

だからこそあなたは前者あの人は後者なんです

 

 

 

 

 

 

 

 

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