前者後者論ユニバーシティで
前者の意識を糸を使って体感するワークがあったんだけど
それに対する後者さんの反応がすごく面白かったです
向江さんのこの図を体感してみるワークです
この矢印の部分を糸で繋ぐっていうか持つ
そのまま動く
そうするとなんとなく誰がどう動いているかとか感じられる
そういうワークだったんだけど
「この糸手放したい」
「すっごい嫌」
って、後者さんたちみんなすっごい嫌がってました
そしてそれが何某かのコミュニティ
【会社の同僚とかクラスメイトとか】においてはこうなります↓
1対1の糸でさえめっちゃ嫌がってたのに
水色の枠の部分の周りを囲む糸(可視化したコミュニティ認識)も増えると
「この糸ちょん切りたい」
とか、拒絶反応半端なかったです
前者の私にとってはこれは普通のことだけど
後者さんたちにとっては無理で我慢できないことらしいです
この糸は認識によって柔軟性や太さや範囲が変わり
個人においては
あまり親しくない場合は細く
親しい場合は太く
コミュニティにおいては
規則が厳しい場合は固く鋭く範囲が狭い
多種多様な価値観を許容している場合は柔軟で途轍もなく広くなる
コミュニティにおいて
規則が厳しく
糸が固く鋭く範囲が狭いっていうのはこれ↓ですね
逆に
柔軟で途轍もなく広く、多種多様な価値観を許容しているコミュニティの場合は
放牧場みたいなものなので
なんかいつの間にかお水もご飯も用意されてるし
好きに駆け回れるし
寝床もいつも綺麗だしみたいな感じでめっちゃ快適~~!
ってレベルだと思われます
後者さん
多分コミュニティの中に居るという意識がないレベルで自由にできるので
気にならないとかそういう感じ
常に個々人で糸が繋がっていることや
コミュニティの糸に囲われていることを後者さんは嫌がってましたが
個人の糸が繋がっているということは
気に掛けられているということであり
何かあれば手助けが飛んでくるというメリットもある
コミュニティの範囲内であるということは
前者の基本理念である『みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために』
『最大多数の最大幸福』という
公共の福祉ムーブの恩恵にあずかれるということでもある
「縛られてるのいや~~~!!!」ってなるのは分かるけど
知らず知らずのうちに恩恵も受けているんですよって話でした
ついでに
【家族とか友人とか】
色がついてて太いやつが家族
参考記事
【電車とかバスに乗った時】はこんな感じ
矢印が誰ともつながっていないので
自分と他の人たちの関係は『赤の他人』になります
『前者後者論ユニバーシティ 前者の空間把握』で書いたけど
前者は空間をスキャンしてふわっと全体を把握しているので
水色の枠はこの場合コミュニティではなく
電車とかバスの車内=把握した空間 になります
この水色の枠の中での
『赤の他人』の認識も驚かれたな~ ( ̄▽ ̄)
『赤の他人』や『嫌いな人』ですら
コミュニティの中に居る場合は困っていたら助ける対象になります
しかし
前者の意識上でコミュニティの外に追放されると(よっぽどのことがない限り追放されないけれど)
かつてどれだけ親しかろうと、たとえ血縁関係にあろうと
存在がなかったことにされます
前者は後者と違って見たくないものを見ないようにする機能が無いのですが
コミュニティの外に追放することによって
たとえ近くに居ようとも世界が隔絶するので『目障りな蝿』くらいの認識になります
つまり
コミュニティの外への追放=自分たちと同じではない=人間扱いしない ということになります
こわい((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
消極的な最高刑かと思いきや
相手の人間性の抹殺とかいう恐ろしい事態に……
逆に言えば
それほどまでに前者にとってコミュニティや関係性は重要だということですね!
なんか説明とか解説とかしてるうちに
最後めっちゃ物騒な感じになってしまった……
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