こんにちわ〜
DV、借金、自己破産、依存症、などを網羅したカナダ人夫と、別居・離婚→再婚→DVシェルターを経て、再度復縁して、四六時中一緒にいても飽きない関係を築いてる、カナダ在住の太田智子です。
●アルコール依存症の親のもとで育つと、依存症配偶者を選ぶのか?
「うぎゃぁ~~、もうしません!もう指をかじったりせぇへんから、ゆるしてくだざい~~涙」
小学生の私が、恐怖で泣き叫ぶ声である。
誰からも恐れられてた、ヤクザ顔の父だが、幼少の頃の、私には優しかった。
でも、4歳違いの姉が中学に入った頃から、怒号が飛び交う毎日になり、優しかった父は、お酒を飲み、赤鬼のような形相で、怒鳴るのが、日常だった。
反抗して暴れる姉を、父が追いかけ回し、捕まえて、押さえつける。壁には頭の形の凹みや、コブシ大の穴もあった。押入れのふすまは、至るところが、ビリビリに破れていた。
時を同じくして、放映されてたTVドラマ「積み木くずし」を、彷彿とさせる光景だ。
連日繰り広げられる、父と姉の攻防に、なす術も無く、呆然と抜け殻のようになった母は、台所から、使い慣れた包丁を持ち出し、小学生の私に馬乗りになる。
「頼むから死んで?あんたころして、私も死ぬわ。」
私の喉には、包丁の先が、突きつけられて、身動きができなくなっていた。
恐怖がなかったわけではない。でも、恐怖より、「これで終わりになるのかな〜?」という希望の方が、強かった気がする。
姉とは違って、まだまだ反抗期にもなってない、小学生の私は、その頃から、萎縮して怯え、おねしょを繰り返し、肌を搔きむしり、手の爪の周りや、指の第二関節の皮膚をかじって、血を出すような、奇行を繰り返すようになったのだ。
「そんなにムシャムシャ、食ってしまうような指は、要らねぇんだよ!燃やしてやるから、貸せ~(怒)」
江戸弁(東京弁=標準語)の父は、そう言って、タバコを吸うために、食卓の灰皿の横に常備してる、ライターの火をつける。
「うぎゃぁ~~、もうしません!もう指をかじったりせぇへんから、ゆるしてくだざい~~涙」
泣き叫ぶ私を横目に、父の横で、傍観している母の姿が、目に焼き付いている。
ウイスキー水割りを、飲み干した後の、氷だけが残った、ズシッと重めのグラスは、我が家では、よく宙を舞っていた。
サントリーオールドや、角瓶の、おまけでもらえるそのグラスが、氷と一緒に砕け散り、散乱する場面に、何度遭遇しただろう? 5回に1回は、小学生の私に向かって飛んでくるから、恐怖である。
そんな幼少期を過ごした私の実家は、凄惨な殺人現場にならずに済み、私は、未だに生きていて、波乱に富んだ、オモシロい人生を、謳歌している。
**
1980年代。アルコール依存症は、「アルコール中毒=アル中」と表現されてた。
精神薄弱な人や、頭がおかしい、イカれた人、仕事がないなどの、社会的弱者が陥るものだという、認識があったような気がする。少なくとも、私はそう教わっていた。
私の父は、定職に就き、稼ぎも悪くなく、持ち家や車もあり、4人家族を養ってて、表向きは、”ちゃんとしてる人”である。
彼が家庭内では、お酒を飲んで、暴言を吐きながら、グラスを投げ飛ばしてるなんて、誰も知らないし、想像すらできないほど、ちゃんとしてる人なのだ。
私も父のことを、アル中だと思ったことは、一度もないし、グラスが飛んできて痛くても、火あぶりの刑に処されても、なぜか、憎しみを感じたことはない。
ただ・・・。
40年以上経った現在。父が亡くなって、20年以上経ってもまだ、”江戸弁で怒る人” への、”恐怖心&嫌悪感”と、”心地よさ&愛着心”が混同する、妙な感覚は消えない。
「アルコール依存症の親のもとで育ち、苦しんだはずの人が、大人になってから、なぜか、アルコールやその他の依存症の人を、配偶者に選んで、苦痛を感じる状況を、招くことがある。」
と、見聞きしたことがある。
「私自身の依存症と、依存症の男性を選ぶようになったのは、依存症だった親のせいである。」
なんて、被害者ぶったことを、言うつもりは、毛頭ない。
子供の頃の経験と、育った環境、両親の言葉などは、私の現実を創り出す、私の無意識の思いに、多大な影響を与えたことは、否定できないかもしれない。
それでも、私の人生の、すべての出来事は、私が選んでる。
私が依存症になると決めたのも、依存症男性を選んだのも、他のすべての出来事も、私の決断で、私のせいであり、私のおかげであるのは、間違いないのだ。
***
続きは、明日、
「Vol.2 シングルマザーは、酒でも飲まなやってられへん」として、更新します。お楽しみに〜。
パートナーが依存症を、勝手に終わらせるために、あなたにできること。