日本ファミリーオフィス協会 -88ページ目

ついに邪馬台国論争にも終止符か?

奈良桜井市の「箸墓古墳」の年代測定が行われ、卑弥呼が生きていた時代と一致したというニュースが週末

駆け巡った。考古学ファンのみならず、小中高と誰もが社会の時間で邪馬台国論争を習っていることから全国民

注目のニュースだったのではないか。私も昨年末に箸墓に行っていることから、このニュースに注視した。


邪馬台国が桜井市にあったとなると、大和朝廷とつながり(本当に桜井市と明日香村は目と鼻の先だ)日本の統一は歴史の通説より早くなる。これは日本の歴史を変える大発見でもある。素人的には、北九州の方が大陸に近いし、邪馬台国があったような気もするが、紀元250年ころにはもう畿内に国家ができていたのだ。もちろん

そのころには北九州にも数千くらいの集落はいくらもあっただろう。


しかし、実際には学界はやっかいなところで、北九州説を唱えていた東大系の学者は黙っていないだろう。

「参りました」などとは言わず、既に行われ始めているが、測定方法の不備などを指摘し、邪馬台国=畿内にはちょっとやそっとでは賛成しない。自分の名誉や生活がかかっているからだ。歴史の事実より自分のことの方が大事だ。これは学界のみならず産業界も政官界も同じで、困ったものだ。


まあでも一般市民にとっては、歴史上の事実が解明されることは楽しく、ロマンをかきたてる。邪馬台国問題も

もう少しで解明されるだろう。私が箸墓に行ったときに分かったが、古墳の入り口に宮内庁の事務所があり中に

入れないようになっていた。歴史の解明のため、宮内庁も学術調査だけは認めればいいのにと思った。そうすれ

ば誰の目にも明らかな事実が出てきそうなのだ。邪馬台国はやはり畿内にあったのか。

「長期投資がいい」にはご用心

「投資は長期で」、というのは長い間の投資のセオリーだった。これはその背景を考えれば簡単にわかる。

そもそも投資理論は欧米、特にアメリカで出来上がったものだ。それを日本は翻訳して輸入した。その基本は

「長期投資」だ。なぜならアメリカの株価は有史以来、昨年の金融恐慌まで上がり続けていたからだ。上昇局面

では長期投資がいいのは、小学生にも簡単にわかる話だ。


ところが、昨年の金融恐慌以来、本場アメリカからも長期投資の有用性に関して当然の疑問が出てきている。日本でもこの論調は強まってきた。例えば、今週月曜日の日経には「株など長期保有、危うい絶対視」というコラムが出ている。価値がなくなった会社の株でも、何でも長期投資し続けるのはおかしいという話だ。至極もっともである。


考えてみれば、ファンドマネージャーはこの世界のプロで様々な最新情報、理論に触れている。だから長期投資の無用性など、彼らが一番わかっているだろう。でもなぜ、未だに長期投資のカリスマや証券会社は「長期投資を推奨」し続けるのか。これは彼らの「得」(逆に一般投資家には損)になるからだ。


日経の記事でも指摘しているように「投資信託は保有している間に手数料を取られ続けるので、長期保有が業者側にとって好都合な理屈に用いられている場合はないか、気をつけるポイント」ということだ。


現実問題として、長期投資を業者側は推奨し(売る側の論理で)、今は皆ボロボロになっているにもかかわらず、

業者側は誰一人「私の長期投資理論が間違えました。すみません、どうか売ってください」とは言わない。むしろ

長期投資のカリスマが言っているように「絶好の買い時」といって、ますます業者側はもうかり、一般投資家は損を膨らませるのがいつものパターンだ。


金融商品を「売る側」が少しでも一般消費者の方を向くようにできないか、というのが私が取り組んでいる大きなミッションだ。しかし、「買う側」のことを考えると「売る側」の利益が減るという基本的にはトレードオフの関係にあるので、この問題の解決は至難だ。そうはいっても、それで諦めては仕方ないので、何とか時間がかかっても消費者のことを考える金融機関、業者の出現を実現したい。一人ではもちろん何もできないので、そのために一石を投じたいのだ。

本当の白洲次郎とはー薫陶を受けた伊藤さんから聞く

今年2月の話だが、NHKで白洲次郎のドラマが放送された。それを見たが、どうもアメリカ人を怒鳴りつけたり、

ジェントルマンとは程遠い人のように表現されていた。

モノの本を読んでも、白洲次郎の実像は本当に分からないらしい。その評価もマチマチだが、こういう場合は

実際に会っていた人に聞くのが早い。白洲次郎が死んでまだ20年余りなので、コンタクトがあった人はたくさんいる。


その一人が私がご指導頂いている伊藤公一さん(元エール大日本同窓会会長)だ。先日お会いした時に、素顔の白洲次郎の話を聞いた。私も先のNHKの番組を見ていたので、そのことから聞いてみた。


まず、素顔の白洲次郎は決して怒鳴るような話しぶりはせず、非常に穏やかだが、非常に皮肉に富んだ表現を

好んでいたそうだ。伊藤さんは白洲次郎に非常に可愛がってもらったらしいが、一つは伊藤さんのお父さん(元伊藤忠会長)がケンブリッジ大卒で白洲次郎の何年か後輩にあたること、同じ神戸出身であることからであろうと想像できる。他にも伊藤家と白洲家は関係があるようだが、そこまでは私も聞かなかった。


直接のコンタクトは伊藤さんが軽井沢ゴルフ倶楽部に入会するときに、当時理事長だった白洲次郎に世話になったことによる。でも白洲次郎は皮肉の人なので、「ケチな近江商人がきちんと入会金を払うかな」などととんでも

ないことを言ったそうだ。もちろん皮肉だが。


軽井沢ゴルフ場には歴代首相も多くやってくるが、白洲次郎理事長の時には決してSPをゴルフ場に入れなかったそうだ。マナーの悪い人には「お金をお返ししますから帰ってください」と。相手が誰であろうが、同じ基準で話しをしたのは有名だ。自分でもゴルフ場の草取りをして、ポルシェで帰っていくその姿は確かに「カッコイイ」の

一言だったろう。


最後の様子だが、京都の吉兆に招かれ、帰京した直後に「体調が悪い」と言って入院、翌日亡くなられたそうだ。

全てがカッコイイ人生であったことは間違いない。


今はこういう人がいないのは寂しい。

残念、駐日大使はジョゼフ・ナイ教授にならず

昨日は新たな駐日大使の発表があった。最有力と言われていたハーバード大学のジョゼフ・ナイ教授ではなく、

オバマの大統領選での資金集めに功績のあった弁護士になった。ちょっと意外だったが、日本のマスコミも

親日派のジョゼフ・ナイになってほしいという希望的観測もあり、ナイが有力と報道した面もあろう。


私は1992年の1月から6月まで、ハーバードでナイ教授の個人授業を受けていた。この学期はナイ教授は

授業を持っていなかったので、何と彼は半年間、学生は私としか接していなかったわけだ。忘れようにも忘れられない事情があった。その後もナイ教授が来日の折には会っていた。


ナイ教授の日本人脈はかなりのもので、経団連でも三好正也・元事務総長(当協会理事)など何人かの名前を

知人として聞いた。三好とは、ジョゼフ・ナイが駐日大使になったら、大使公邸に行こうという話をしていた。

私も、ナイ教授の休暇に日本のどこかを案内しようと考えていた。


残念ながらすべての計画は無になったが、またナイ教授の来日の際には会いに行こうと思う。

新装なった東京倶楽部で先輩からご指導頂く

日本で一番古い欧米流の倶楽部が「東京倶楽部」だ。もともと霞ヶ関にあったが、最近ホテルオークラのそばに移転した。昨日は、そこにエール大の先輩である伊藤公一さんのお招きで初めて伺った。何ともいい場所だ。


伊藤さんには最近とみにお世話になっているが、何せ日本でも1、2を争う閨閥でありながら、いつもはユニクロのジャケットを着ているのがトレードマークだ。しかし、昨日は蝶ネクタイをしめJ-PRESSのジャケットだった。さすがにいろいろな服はもっているのだ。


伊藤さんからはいつも、大財閥の方々の「お金の使い方の知恵」を聞いている。お金がいくらあっても浪費していいはずがない。伊藤さんのお金の使い方を見ていると、消耗品にはお金を使わない。だから機能的なユニクロを

好むのだ。車も国産の燃費のいいものに乗っている。逆に家具などの長年使うものは相当いいものを買う。こういう使い方は親から自然に伝授されたものだろう。


昨日は、新たな視点を賜った。伊藤さんの友人で相当な資産家がいるのだが、お金をほとんど使っていないという。こういう方に意味のある「お金の使い道」を教えるのも私の役割ではないか、ということだ。これには社会貢献なども含むだろう。日本のお金持ちの中には、社会貢献したいのだが、寄付などもどこにしたら意味があるかが

わからない、とい声も聞いたことがある。


伊藤さんは白洲次郎に可愛がられたそうだが、あの容姿のダンディさと「上の人には物を言ったが、下の人をいじめることはなかった」という生き様を真似しようとしているようだ。なかなか下々の者には白洲次郎の真似などできないが、下の人をいじめないことぐらいはできる。


またいい場所でご指導頂くことにしよう。


ファミリービジネス学会の倉科会長からきく

当協会の第8回研究会は、「ファミリービジネスとファミリーオフィス」というタイトルで、ファミリービジネス学会の

倉科会長(甲南大教授)からお話を伺った。日本では意外なことに、昨年ファミリービジネス学会ができたばかりだ。


この「ファミリービジネス」を翻訳すると同族企業とでもなろうか。しかしながら国際的な定義がなく、海外と共同研究するときには大きな障害になっているそうだ。

一応定義すると、①一族が経営をしている、②株を50%以上持ち経営権を握っている、ことくらいになろうが、日本の場合、代表的なファミリービジネス企業であるトヨタを見ても、豊田家の持ち株比率はわずか数%だ。大企業では半分以上の株を一族でもっている例はほとんどなく、欧米のファミリービジネス企業とはこの点で既に性格が異なっている。


経営学的な「ファミリービジネス」の研究テーマは、なぜファミリービジネスの方がそうでないビジネスより成長率が高いか、だ。何となく、同族企業だと政治家じゃないけど、2代目、3代目が継ぎうまくいってないようにも思えるが、実は逆なのだ。その大きな理由は、同族企業だと一族のサポートが得られるため、企業の大きな経営転換などもスムーズに行くということだ。特に今日のような経営環境が目まぐるしく変わる時代には、とっさの

経営転換が生き残りには必要となろう。


倉科先生はファミリーオフィスについても、日本では欧米型のファミリーオフィスが出てくるまでには相当な時間が必要と指摘された。だからこそ、我々は「日本型ファミリーオフィス」の模索が必要なのだ。欧米の大きなファミリーオフィスは資産規模100億円から1000億円の大富裕家族(ファミリー)を対象にしているが、日本ではそんな

ファミリーは少ない。日本は10億円くらいのファミリービジネスオーナーの富裕層が多いので、これに見合ったサービスは何かを考える必要がある。


ともかく、ファミリービジネスからファミリーオフィスを考える視点は、日本のように超富裕層の8割以上がファミリービジネスオーナーである国では、非常に重要である。



北京に行ってある大使のことを思い出すー「ノルウエイの森」の永沢のモデル

先週から今週にかけて、北京に行っていた。10年ぶりの北京だ。私の最初の海外が北京(北京大短期留学)だったので、いろいろと思い出深い場所だ。しかし、もう20年以上前の北京と今の北京とは、全く別の都市だ。もはや

人々の服装も街自体も東京と何ら変わりなくなっている。ある意味、残念だ。


北京は5度目だが、2度目の北京訪問(1993年8月)の時には強烈な思い出がある。その前の年にハーバードに

留学していたが、そこでボストンに当時住んでいた村上春樹さんにお目にかかった。その時に改めて「ノルウエイの森」を読んだが、その中の登場人物で外務省に入る「永沢」さんのモデルが実在したことを知った。


しかもそのモデルは、私のハーバードの同じ学科の先輩だったのだ。私は1992年に帰国し、このSさんにお会いしようと外務省に問い合わせたが、北京の大使館におられるということで、翌93年の夏休みを利用してSさんに会いに行ったのだ。


Sさんはなかなか強烈な方で、奥様もそうだったが、その後、1994年の北京出張のときも何と北京のカラオケ屋で夜ばったり出会い、Sさんの歌を聞かされたのだ(その翌日、慶応囲碁部の後輩の梅澤由香里さんに北京の路上でばったり会った。何とも偶然の重なった出張だった)。


現在、Sさんは某国の大使をされているが、そろそろ帰国だ。「ノルウエイの森」の映画化が決まったようで、

「永沢」役はSさんがすればいいと思うのだが、実際はイケメン俳優の玉山鉄二になったようだ。「永沢」はああいうイメージだろうか。でもSさんとは随分違うな、と思わざるを得ない。。。






「世間よし」が全くなかった村上世彰さんーやはり天下国家を考え商売すべし

近江商人の三方よしで思い出したが、ある通産省OBの方が通産省の後輩である村上世彰さんのことを、「世間よし」が全くなかったのが挫折の原因と語っていた。私も最初、経団連の仕事で村上さんに知り合い、その後、村上さんが独立してからも何度かお話したことがある。


とにかく話がおもしろい人だが、当時(2001年ころ)語っていたのは、自分は役人出身なのですぐに天下国家を考えて行動してしまう。そこを自分の尊敬する人から(誰かは不明)「村上、お前はもう役人ではないのだから天下国家は語らずに、お客さんのことだけを考えろ。たとえ国が滅んでもお客さんを守れ」と言われたそうだ。


その方向でそのまま突っ走り、最後は逮捕されるという結末をたどった。

私はむしろ、村上さんは役人出身ということを売り(コアコンピタンス)にして、天下国家を語りながらファンドの

運営をした方が、自他ともによかった気がする。「天下国家を語るファンドマネージャー」なんて海外にもいないし

よかったのではないかと思う。


私も経団連という公の要素の強い組織出身なので、どうしても天下国家、国をよくするにはどうしたらいいか、ということを常にも語っている。そもそも私が就職先に経団連を選んだのも(もっと給与の高い内定先を蹴って)国をよくするような仕事をしたいという意思からだ。残念ながら、中央省庁も同じだが「組織」では国をよくするなんてことはできない。官僚が「国益より省益(さらには自分の利益)」に走るのと同じだ。


そこで、独立して「草の根から」の改革を目指しているわけだが(そのために利益ゼロ、いやマイナスのNPOまで

つくってしまった)、やはり自分の儲け、あるいはお客様の儲けだけではなく、天下国家を語りながらずっと仕事は

したいと考えている。





近江商人の「三方よし」の大誤解ー社会貢献を考えていたわけではない

いろいろな経営本を見ると、最近のCSR(企業の社会的責任)の高まりの文脈の中で、日本には既に江戸時代に社会貢献を考えていた近江商人がいる、としたり顔で書いている人が結構多い。実は私も、以前は近江商人の「三方よし(=自分よし、相手よし、世間よし)」は素晴らしい考えで、近江商人は私の出身の甲州商人とは違って広い見地で商売をしていたと思っていた。しかし、果たして江戸時代にそんな商人が本当にいたのか。。。


これを確かめるため、私は以前、近江商人の代表格であるⅠ家の方に「三方よし」の真意を伺ったことがある。

当然のことながら、この方は「三方よし」の背景に詳しく、また一般の人の誤解についても解説してくださった。


問題は三方よしの「世間よし」の解釈だ。これを、近江商人は商売を通じて社会をよくしようという意思があった、

と理解している人が多いが、これは大きな間違いだ。商人はあくまで商人で、金儲け第一で社会がどうなるとか

考えるべきではないと江戸時代の商人は考えていたようだ。いわゆる「分をわきまえる」という発想だ。


「世間よし」の真意は、具体例で説明するとわかりやすいが、江戸時代に関東が米の不作で、大阪から江戸にすべての米を持っていけば儲かるが、それでは地元の人が困るので近江商人は3割の米は地元で売ったという、こういう事実がある。これが「世間よし」の実例だ。社会貢献とかいう大きな話ともまた違う。


こう見てみると、「三方よし」の真意は、商売をうまくやるための知恵の一例といえそうである。それはそれで、

非常に大きなノウハウだ。

富裕層ビジネスは富裕層にしかできない!?ーある富裕層雑誌の大御所の話

昨日はある先輩の紹介で、富裕層雑誌の大御所にお会いする機会を得た。この方は今日ある富裕層雑誌のほとんどに係わっている。今日、私がこの方に聞きたかったポイントは「なぜ富裕層関係のビジネスはうまくいっていないか」だ。金融をはじめ、百貨店、雑誌に至るまで「富裕層」に関係するビジネスはどれも不調だ。雑誌などは「お金を出して頂ければ記事を載せますよ」という本末転倒の「営業」をしているところもあると聞く。悲惨だ。


もちろん、ビジネスは需要と供給のバランスのもとに成立している。うまくいっていないのはニーズがうまくつかめていないからだ。あるいはニーズはつかめてもそれに対応する商品、サービスが生み出せない場合もあるが、

こと富裕層ビジネスに関しての問題は前者だろう。


この大御所はポイントだけをいう方で、一言「富裕層でない人が富裕層ビジネスをしているからだ」とだけ言われた。私なりに解説すると、自分が富裕層でないから富裕層の気持ち、ニーズが分からず、それではそもそもビジネスがうまくいくはずがない、ということだろう。単純明快な話だが、どっこい富裕層ビジネスに係わっている人で

このことが分かっている人は少ない。


でも、「それは分かったが、富裕層でない自分はどうしたらいい」という声が当然沸きあがるだろう。私は、この疑問に対しては、「数多くの富裕層(本当のお金持ち)と深く付き合うことで、ある程度富裕層の気持ちは分かるようになる」とこたえている。

だから、私も日々、富裕層の方々と深く付き合うべく、いろいろな努力をしているのだ。