小幡積さんの日経「経済教室」に同感ー大企業から消費者主権の時代へ
先週の日経経済教室に小幡積さん(慶応準教授、ハーバード卒)の文章が出ていた。ちょっと難解だったが、一番共感できたのは、時代は供給者(大企業)から需要者(消費者)に移っている、という箇所だ。
私も長年、供給者の立場(大企業の集団である経団連)で仕事をしてきたが、高度成長の時代は確かに大企業優先でよかった(それで日本が奇跡の復興ができた)。しかし、この低成長の成熟経済において、もはや消費者のニーズをつかまないと供給者側も成長はないという思いが常にあった。もはや企業が「つくれば売れる」時代は昔話なのだ。
その意識もあって、私は経団連を退職して「消費者主権」時代の最大の消費者である「超富裕層」のお役に立つファミリーオフィスを始めたわけだ。大企業から消費者への流れは、もう変わらないトレンドとみたのだ。またそれを加速するという意味でも、ファミリーオフィスの意義はあると考えた。
日本社会の病理である「タテ割り」と「大企業優先で消費者軽視」をファミリーオフィスの普及で変えられる可能性があるのだ。
昔、さわかみ投信の澤上篤人さんから聞いた話だが、ピクテで長年、日本支社長を勤めた澤上さんは「日本の金持ちはなかなか動かないので参った」。私の経験でもお客様になるまでに2,3年は通常かかる。「組織」では、そんなに長い期間待っていられないのだ。
アメリカでも「超富裕層は一番難しいマーケット」とよく言われるように、ファミリーオフィスを仕事にするのは相当難関なのは間違いない。でも社会的な意義があれば、日本で誰もやらないことだからこそ、それをやっていく価値も意義もあるわけだ。
ファミリーオフィスの本質は「部分と全体の調和」ータテ割り社会からヨコ割り社会へ
本日の日経夕刊の「あすへの話題」のタイトルは「部分と全体の調和」だ。これはファミリーオフィスにも全くあてはまることだ。
今、ある雑誌で連載を始めているが、第1回で、旧来の専門家(弁護士、税理士など)とファミリーオフィスの違いも指摘した。旧来の専門家の仕事は「タテ割り」で、自分の担当する部分の最適化を追求するのが彼らの仕事だ。
昨年、あるお客様の相続をやっていて分かったが、旧来の専門家というのは本当に自分の担当部分だけがよくなればいい、としか考えていない。その人を全体からみて、ここは譲歩して他で取る的な発想はまったくない。しかし、顧客にとっては、「部分」的によくなっても「全体」がよくなければ意味はないのだ。これは一人の人間としては当たり前の話だ。
ちょうど中央省庁が「省益あって国益なし」といわれているのと同じだ。旧来の日本社会では全てがタテ割りになっているので、その弊害が最近は問題になってきているのだ。
欧米では、この当たり前の弊害に以前から気づき、その一つの解決策が「ファミリーオフィス」だったわけだ。ファミリーオフィスでは全くのお客様の立場から、「部分でなく全体から」お客様の一番いい方策を取ってくれるのだ。
日本でもタテ割り社会の弊害が至るところで出てきている。役所はもとより、個人でも「コンシェルジュ」的なものが欲しい人は増えている。残念ながら「ファミリーオフィス」は超富裕層が対象になるが、そこを突破口にして日本社会を少しずつ変えていこうというのが、私が日本で初めての本格的ファミリーオフィスをつくり、ファミリーオフィス協会をつくった大きな意図なのだ。
もちろん社会の大きな変革を意味し、道は遠いが、「一石を投じる」「変革のトリガーになる」ことを基本として、粘り強くやっていこうと考えている。
今日の日経「経済教室」を見て留学時代を思い出すー林良造さんと小説「ノルウエイの森」
今日の日経経済教室は元通産省局長の林良造さんの寄稿だったが、この林さんには忘れえぬ思い出がある。
私がハーバードに留学していた1991年に、かなり流行遅れではあったが、村上春樹の「ノルウエイの森」を読んだ。その中で外務省に入る永沢というプレイボーイが出てくるのだ。この人はこの暗い小説の中で唯一の「明るさ」がある人だ。もちろん、フィクションだと思ったが、一応同じ学科に外務省からO君という若者が来ていたので、彼に話してみた。
すると、O君の口から驚愕の言葉が出てきたのだ。「その永沢さん(本名はSさん)は僕の灘校の先輩で、ハーバードの同じ学科の先輩だよ(つまり私の先輩でもある)。ノルウエイの森はかなり実話で目白の和敬塾が舞台だ」と。
さらに「Sさんの灘の同級生で通産省から林良造さんが今ハーバードに講師としてきているよ」ということだったので、私は言うまでもなく、すぐに林さんにあった(確か、その日のうちに)。
林さんは突然の訪問に驚いたふうだったが、「事情」を話すとすぐに全てを理解し(さすがに頭の回転は速い人だ)、Sさんのことを教えてくれた。林さんもさすがに「ノルウエイの森」は読んでいたので、多分Sさんの話だとは
勘付いていたようだが、実は、実際のSさんはハンサムでもプレイボーイでもなく、堅物だという。容姿は大仏に近いということで、私はますます混乱したのだった。
その後、1992年に帰国した私は、1993年夏についに北京でSさんにお会いしたのだった。確かにSさんは林さんのいうような感じの堅物だった。村上春樹がなぜSさんをあのように描いたのか、まあ「小説」といえばそれまでの話ではあるが。
北京から帰った後、林さんにお会いしたときに「Sさんに会いました」と報告したら、林さんは「ああそう」という感じだった。まさに、事実は小説より奇なりだ。
CO2削減とNOⅹ、 SOⅹ削減との違いーCO2は生活のあらゆる部分に関わっている
昔々、私が経団連に入ったころ、最初の担当は環境問題だった。まずは1970年の「公害国会」でつくられた様々な公害法をまともに変えていく作業をしていた。このときに、よく言われたのが、「日本はアメリカのマスキー法に基づく世界で一番厳しい大気汚染(NOⅹや SOⅹ)の規制を乗り越えてきたので、自動車や鉄の業界は強くなった」ということだ。
確かに「結果的」にはそうだっただろう。それは、NOⅹや SOⅹの対策は煙突に触媒をつけるなどの対症療法で済んだからなのだ。まさに公害国会でできた法律は、「結果オーライ」となったわけだ。
今、CO2大幅削減が言われている時に、やはり「アメリカでも実施できなかったマスキー法をクリアしただけの日本の技術力があれば、CO2の25%カットも簡単にできる。それをクリアすることが日本産業界を強くする」的なことを言っている経済評論家がいる。しかし、これは大きな勘違いをしている。
実は、経団連でも1989年に「地球温暖化ワーキンググループ」をつくって、当然このあたりのことを研究した。東大の茅陽一教授(当時)が専門だったが、CO2対策の難しさを説明してくれた。まず、NOⅹや SOⅹだったら「排出源」はある程度特定されるので、そこに(工場の煙突や車の排気管)触媒装置をつければ解決したが、CO2は排出源が多岐にわたるので(極端に言えば、生物は皆排出源)対策が難しい。また技術的にも難しいそうだ。
そういえば、20年前にも、CO2を圧縮して海底に沈めておく(「CO2固定化」)というアイデアがあったが、20年たってもそういうアイデアや新技術が成功したという話は聞かない。「CO2固定化」は、その行為自体で多くの電力を使い、その電力つくりの過程でまたCO2が排出される、という笑い話的な事実もあるのだ。
技術的に排出された後の対策が難しいとなると、そもそも排出を抑制しないとダメだ。これはいくら日本の優れた省エネ技術を持っても、すでに日本の省エネは「乾いた雑巾」状態で、これ以上の省エネは難しい。となると、経済活動、経済成長を抑制するしかない。そのコンセンサスが日本でできているとは思えない。
アメリカでもゴア元副大統領が「成長だけがよしとする社会を変えねばいけない」とよく言っているが、アメリカ国内でそんなコンセンサスもない。だからアメリカもなかなかCO2削減には乗ってこない。
ともかく、CO2の問題は過去の大気汚染の話とは全く違う、相当深い話だ。深く勉強していない経済評論家が簡単にいえるような問題ではないのだ。
日本郵政社長に斉藤次郎とはー元大蔵省事務次官で小沢一郎のブレーン
今日は、意外な人の名前を久々に聞いた。大蔵省元事務次官で、その政治家操縦術の巧みさから「10年に一人の大物次官」といわれた斉藤次郎氏だ。細川連立政権時代に、国民福祉税構想を考えた人で小沢一郎側近だ。その後の自民党政権復活で完全に干されたと言われていたが、民主党政権になり復活したということだろう。
しかし、この人選は非常にマズイ。あっけに取られたの一言だ。民主党の支持率を大きく下げるだろう。郵政民営化で当然、民間から社長を選んだわけだが、日本郵政が官僚の天下り先になりかねない。本末転倒もいいところで、民主党は自民党よりヒドイという声が早くも出ている。当然だ。
所詮、民主党は「小沢党」であって、小沢一郎のなすがままだったら、今回の選挙で民主党を選んだ国民の意思とは異なるだろう。小沢一郎も「変わった」という声があったが、つまるところ昔の自民党体質を受け継いだだけの人物ならば、もはや国民はどの政党を選んだらいいか、選択肢がなくなる。
民主党は、「官僚主導から政治主導へ、天下り根絶、官から民へ」とか言っておきながら、一番のポイントで天下り人事をするとはどういう了見か、説明してほしいものだ。小沢一郎の指示とかで大事な人事が全て決まるなら、民主党は「小沢党」に名称を変えたらいい。
こんなことで、民主党内部で意見が出ないのもおかしい。そもそも鳩山首相が了承したというのも変だ。日本郵政を、また昔の効率の悪い郵便局に戻すつもりか。喜んでいるのは郵政官僚と特定郵便局長だけだろう。このことが「官僚主導」の継続につながらないことを望むばかりだ。
地球温暖化対策で経団連と経済同友会のスタンスが違う理由
温暖化ガス25%削減は、相変わらず各方面を賑している。経済界でも、経団連は断固反対だが経済同友会は好意的という記事が目につく。同じ経済団体でなぜ違うの?という素朴な疑問が沸くだろう。
この理由は、まず構成企業が違うこと。経団連の主要企業(会長、副会長会社)はメーカーが中心だ。それも鉄、電力、化学といった、まさに二酸化炭素排出量の多い業界だ。トップがそういう構成なら、二酸化炭素排出削減は、そのまま会社の業績悪化につながるので断固反対となる。
これに対して同友会は、まず「個人の立場で参加」というところがポイントだ。だから所属する会社の意見を言わないでいいところだ。個人的な意見だったら、温暖化ガス削減は非常にいいことなので、評価することになろう。
おそらく、二酸化炭素排出企業も、個人の立場だったら削減賛成だろう。
会社の立場でものを言わないのは、自由な発言ができる反面、政策提言としては重みを欠く。だから同友会は基本的に政策提言だけして、それが実施に移されたかどうかは重きをおかない。経団連と正反対だ。経団連は政策提言は当然するが、それを「実現させる」ことに重点を置いている。そのためには政治家や官僚に圧力をかけるのだ。
だから経済界の意見=経団連の意見と、従来からそうなっている。経済3団体があっても、やはりまだ経団連の意見が重いことは間違いない。でも経団連はメーカーが数の上では多いので(金融や商社は数としてはもともと少ない)メーカーの意見が色濃く反映される傾向にある。温暖化対策はその典型だ。
でも、一般の人は、「温暖化対策をやらねば地球がおかしくなることは誰でもわかるのに、なぜ二酸化炭素排出量の多い鉄鋼メーカーなどは感情的なまでに反対するのか」という疑問を持つだろう。最近、言われているように
従来、日本は世界一厳しい環境規制があったから世界一の環境対策技術を持つにいたった。だから二酸化炭素排出削減でも、日本が世界一の技術力で対策技術を開発すればいいのではないか、という意見がある。
しかし、これは間違いだ。これができるようだったら、メーカー側もそんなに強硬には反対してこなかった。二酸化炭素削減は何が違うのか、これは次回若干の解説をしよう。雑誌などには出ていない情報だ。
今日発売の週刊朝日「甘えるな!経団連」ー民主党は勝手が違う?
今日の週刊朝日は特集が「甘えるな!経団連」だ。朝日新聞はそもそも反経団連だが、この表現はおもしろかった。内容的には、自民党政権では経団連の言うことは何でも政策に反映されたが、民主党に変わった途端に全てが聞き入れられなくなった。それでもまだ経団連には危機意識がない、というものだ。
確かに、民主党になってからは経団連の意見は政策に反映されていない。大企業の意見はほぼ無視されている。こんなことは細川連立政権でもなかったことだ。でも人間は50年間も自分の言うことがそのまま通っていれば、現在の状況は異常で、そのうち何とかなると考えがちだ。それが甘えではないか、ということだ。
私が経団連にいた十数年の間のことを思い出すと、経団連の意見が全く政策に反映されないことはなかった。たいていは、自分が原案をつくった経団連の「意見書」はそのまま国の政策になった。おかしなものだと思っていた。確かに無理筋もあったが、そういうときには政治献金の仕組みをつくった花村仁八郎(元事務総長)を出せば自民党はOKだった。共産党や朝日新聞が非難するようなことが実際にあったのだ。
アメリカでも大企業からの政治献金で国の政策が左右されることはあるが、経団連のような取りまとめ機関がないので、経済界全体の利益になるような政策が取られることは稀だ。ブッシュが石油資本を背景にしていたので石油関連企業よりの政策を取っていたことは広く知られているが、せいぜいそのくらいだ。
この経団連と自民党の関係は、国際的には奇異な関係らしく、私がハーバードでエズラ・ボーゲルの授業を受けていたときに、ボーゲル教授から「経団連と自民党の話をしろ」と言われ、講義をしたのだ。政治献金で全ての国の政策が左右される話は、アメリカの学生には驚きだったようだ。
ともかく、民主党政権になり全てはガラガラポンだ。ここから経団連が再び力を発揮できるかどうかは、分からない。民主党政権は続きそうなので、経団連はどうするかを真剣に考えねばいけないタイミングとなった。
相続が「争族」になるのは資産の多寡に関係ない
今週の週刊「ダイアモンドが確か相続特集だと思うが、通常、相続争いは大富豪、超富裕層でこそ起こるものであり、一般の人には関係ないと考えているが、実はあまり財産の大きさには関係ないのだ。もちろん、マスコミなどで取り上げられるのは大富豪の場合に限られるが、どの家でもあることだ。
まあそれでも、事の重大性は超富裕層の場合の方が額が大きいので深刻であるのは間違いない。有名な一族で私もお目にかかったことはあるが、突然相続が起きて、親からも兄弟からも訴えられ、大変な裁判を何年もしていた人を知っている。その後、性格まで変わってしまったということだ。当然の話だ。
親、兄弟だったら、争いになるとは通常は思っていないだろう。しかし、通常は一緒には住んでいないので(かなり疎遠になっているのが一般的だ)お金の問題になると争いにもなるのだろう。肉親だと感情面でのもつれもあり、なかなか機械的には解決もできなくなるのは容易に想像できる。
また、日本人は未だに「お金の話を持ち出すのは野暮だ」という感覚が残っている。お金の話は誰ともせずに、死亡したあとにトラブルが起きるのが一般的だ。人間は、自分はすぐに死ぬと思っている人は少ないので、遺言状も残さずに死んでいく例の方が圧倒的に多い。
本当に誰にとっても相続、争族はいやなものだが、ファミリーオフィスとしてはその中に入って何とか解決へのサポートをしなければならない。もちろん、長年お客様になっている方ならば相続対策もするが、私の場合、最長のお客様でも5年目なので、既に争族が起こっている渦中にお客様になって頂いた例が多いのだ。
他人事でも気が滅入るのに、自分に起こったら本当に精神的に大変だろう。だからこそ、サポートをという方が多いのだが、その場合に一番大変なのが精神的なサポートだ。裁判にでもなったら、優秀な弁護士にある程度任せていればいいが、それでも一番身近な血のつながりもある人と争うのは大きなストレスだ。
ファミリーオフィスとしては、生前はまず予防策を徹底的に講じること、起こってしまった後に関与する場合には精神的なサポートをしっかりすることが重要だと痛感している。
コンビニの戦略に脱帽ーマーケティングの塊
今週は某大手コンビニの部長から話を聞く機会があった。改めて、コンビニは経営戦略の宝庫だなと感じたのだ。昔、10年ほど前に経団連でコンビニ各社の経営戦略を伺う機会があったが、その時も大変な世界だと思ったが、さらに経営戦略は進化していると感じた。
当時はコンビニの売り上げの4分の3が弁当だった。あれだけいろいろなものを売っているのに、売り上げはこれだけ弁当に集中するのもおもしろいと感じた。今でもそんな割合だろうが、確かに各社とも弁当には相当な気合が入っている。
ともかくコンビニの方が言うのは、常に「決めるのはマーケット(顧客)」ということだ。日本企業は未だにこのマーケティングの基本が分かっていないところが結構あるのだ。「いいものをつくれば自然にものは売れる」と考えているメーカーが実は多い。その「いいもの」の基準は顧客にとって、ではなく「つくる方にとって」というものだ。これでは、なかなか売るのは難しい。
そもそもコンビニ自体がアメリカから発生したものだ。顧客のニーズを探って24時間営業で、顧客にとっては非常に便利なものである。アメリカのコンビニに行くと、医薬品から何から本当に何でも揃うのだ。
コンビニ業界も熾烈な争いをしているが、今後はますます伸びるのではないか。常に顧客の方に目が向いているからである。日本の全産業界の中でも、その経営戦略にかけてはコンビニ業界はかなりリードしているだろう。
日本の経済界、全ての企業がコンビニから学ぶことは、まだまだ多いのではなかろうか。
水村美苗さんの日本語論ー英語を学ぶときも日本語が基礎
昨日の日経の夕刊に水村美苗さんが出ていた。それで水村さんのことを思い出していた。
私がエール大学に留学しているとき(1990から91年)に、エール大卒の水村美苗さんが「続明暗」という本を書いたのが日本で大きな話題になった。私はアメリカで日本の新聞を見て知ったのだ。すごい人がいるものだと思ったが、この人はエール大経済の大先輩である岩井克人さん(東大経済学部教授)の奥さんであることを後で知った。
時は過ぎ、2000年に私は経団連の広報にいた。経団連の月刊誌のエッセーコーナーに水村さんに登場してもらうことを思いつき、エールの名簿を見て電話をした。すぐにご快諾頂き、ほどなく打合せをさせて頂いた。
その時に、岩井教授の話でもしようと思っていたが、なんと水村さんから「あなたは英語はできるの」と聞かれた。
「できません」と私が答えると「では日本語は」と聞かれた。「それも自信ないです」と答えると、日本語ができないと英語もできないという持論をご説明された。昨日の日経の夕刊がまさにそういう内容だ。
私からは、「それもそうですが、むしろ私はアメリカに行ってアメリカ人から日本の歴史のことを聞かれ、向こうで日本史の勉強をかなりやった」という話をしたら、納得したような感じだった。やはり、国際化、英語の時代とはいっても、日本語や日本の歴史が分かっていないと、そこから先へは進めないのだ。
昨年、水村さんは「日本語が亡びるとき」というセンセーショナルな本でまたまた話題をさらったが、国際化時代だからこそ、自国語の重要さに日本人は気づくべきだという警鐘であり、当たり前のようで気が付きにくいポイントだ。