超富裕層はなぜ相族で揉めるのかー古い日本の家長制度と新しい民法のはざまで
昨日は伊藤公一さん(エール大日本同窓会前会長)にお会いし、超富裕層の悩み、トラブルについて伺った。やはり、それは「相族問題」だった。伊藤さんの知る限り、超富裕層はほとんどが相族のときに揉めるそうだ。それはなぜなのか。額が大きいからかと伺うと、「それは違う」そうだ。
まず、日本では昔から家長制度があり、長男が何でもしなければいけないという暗黙の了解がある。家族間の揉め事も長男のところにくるし、親の面倒も、親の葬儀も全て長男の役目だ。しかし、新しい民法では兄弟は皆相族分は基本的に平等だ。これでは長男に不満が起きる。
また、この「平等」というのが曲者だ。相族財産が全て現金だったら、平等に分けられるが、超富裕層は株や不動産の割合が多いので、これを公平に分けるのは不可能だ。誰かに不満が出て、さらに相族額も大きいため、通常はトラブルになることも分かる。
通常人から見ると、たとえ少々の不平等はあっても、20億円が18億円になったくらいなら、いずれにせよ一生、生活する分はあるのだから問題ないと思うのだが、当の本人は違うらしい。20億円入ってくるのが当然と考えると、たとえ100万円でもそれより少なければ、人間って文句をいう動物らしい。理屈ではないのだ。
そうだとしたら、必ず超富裕層の相族は揉めるだろう。これは大変だ。私のお客様でも今後、相族が当然起こるので、今からその対策(あるいは心の準備)をしておかないとまずい。何とか、自分のお客様には問題が起きないようにするのもファミリーオフィスの大事な仕事だ。
それでも、相族問題の本質が気持ちの問題だったら、これはやっかいだ。お金で解決できればまだ単純だが、気持ちとお金が複雑に絡まっていると、それをほぐすのは相当な難関だ。少なくとも、事前にできることはやっておくしかないだろう。
ポーター仮説に反論ー温暖化防止は大気汚染防止とは違う
今度、ハーバード大学のマイケル・ポーター教授が来日するそうだ。日本人は「ハーバード」という名前に弱いので、昔はハーバードの有名教授を1000万円も出して招いていたそうだ。ボーゲル教授などは、まさに日本で本も売れ日本で稼いだ口だろう。「ジャパン・アズ・NO1」なんて本がアメリカで売れるはずもない。
ポーター教授も日本の産業界について、いろいろ語っている。私がポーター教授と面会しお話したときには、日本はアメリカでもできなかった大気汚染の厳しい規制(マスキー法)を行ったことによって産業界は強くなった(「ポーター仮説」)という話をしていた。その時は私も反論はしなかったが、この発言は表面しか見ていない。
そもそも、日本では規制をする環境省が規制を受ける経済界(経団連)に意見を聞いてから、法案をつくる。このことは共産党などが批判しているところだが、無理な規制は意味はない。技術的に可能かどうかを確認してから規制を始めないと実現可能性がなくなる。これはアメリカにはない慣習のようだ。
日本がマスキー法と同じレベルの規制をするときには、広く知られているように、経済界は既に大気汚染を抑える技術を開発していた。だから環境省も規制を始めたし、経済界も同意し、コストアップになるがやろう、ということになった。だからポーター仮説は実は間違いだ。
まあ過去のことはいい。事実の前後関係はともかく、厳しい規制が経済界を強くしたのは真実だから。でも、最近、このポーター仮説を、地球温暖化の対策にも言えるなどという素人発言を政治家がし出したのは大変なことだ。
言うまでもなく、民主党の25%削減を後押しするために言っているわけだが、二酸化炭素を固定する技術が未だに開発されていない段階で(これはそもそも実現可能だろうか)規制を始めたら大変なことになる。しかも恐いのは昔の政権と違い、今の民主党は経団連に相談しないでことを決める可能性がある。国の政策は十分に事実関係を確認してからやってもらわなければ困る。
25%というアドバルーンを鳩山総理が上げたのはいいことだと思うが、これはあくまでもアドバルーンであり、各国の出方を見るためのものだろう。企業(特にメーカー)は常に国際間で競争をしているわけで、日本だけが厳しい規制を受けたら、同じ土俵で競争ができない。それこそ、ポーター教授の説く競争戦略の失敗となってしまうのだ。
翻訳本「お金と幸福のおかしな関係」-幸せなお金持ちが少ない理由
最近おもしろい本を見つけた。スイスの大学教授のビンズヴァンガーという人の書いた「お金と幸福のおかしな関係」という本だ。この本を読むと、なぜ「幸せなお金持ち」が少ないか、わかる。今、私が連載しているコラムで、「お金持ちは必ずしも幸福ではない」というテーマを扱うつもりだが、その材料として読んだわけだ。
まず筆者は、我々はお金の稼ぎ方は分かる(働くとかで)が、「使い方」は誰にも教わらないので分からないというのだ。いくら稼いだお金でも、それを使わなければ人間は幸せになれるはずもない。墓場にお金を持っていくわけにはいかないのだ。そもそも、そこがお金を持っても幸せになれない根本だと説く。
つぎに、「人間はお金を持てば持つほど幸福になるか」、というのを各国のアンケートで検証している。それによると年収が1万5000ドル(約150万円)以上になると、幸福度は頭打ちになるという。年収が150万円というと日本ではかなり低所得層だ。
さらに、人間は何に幸福を感じるかというアンケートを行い、その順序は①セックス、②友人との集まり、③夕食、④リラックス、だという。これは長時間労働により、より多くの収入を得るようになると全てできなくなることだ。つまり収入が増えるほど、一般的には幸福の度合いは減じるといえる。これは困ったことだ。
もちろん、この本の分析はお金と幸福の一面しか捉えていない。お金を多く持つことによって「幸福」と感じる人もいるだろう。お金自体が目的になる人も中にはいると思われる。しかし、一般的には人間はある程度の年収までいけば、そこからお金を持てば持つほど幸せから遠ざかるといえなくもない。お金を持つと相続の心配や自身のセキュリティ(誘拐などから)の心配までしなければならず、ストレスが増すこともある。
本来は、お金を持てば持つほど幸せにならないと、誰も働く気がなくなる。しかし、そうではないとすると、我々は人生観まで変えなくてはいけなくなる。しかし「幸せなお金持ち」がいることもまた事実である。だとすれば、私は超富裕層の一人でも多くを「幸せなお金持ち」になるよう、導くことができればと思う。それは、この本からも分かるように、至難の業ではある。
世界が「トービン税」を再評価ーエール大のノーベル経済学者
昨日の日経新聞に「トービン税」のことが国際金融界で真剣に検討されているというコラムがあった。トービンとは、エール大学のノーベル経済学者で、サムエルソンと同じ時期にハーバードで学んだ経済学者だ。1978年に
「トービンのQ」でノーベル賞を取っている。一般的にはサムエルソンの方が有名だが、私にとってはトービンの方が身近だ。
サムエルソンには2002年にハーバードの研究員をしていたときに週1回会って頂いた。それでも感動したが、トービン教授とは、1991年にエールの経済学大学院にいたときに、ご自宅に伺ったりして食事もご馳走になった。授業を受けたり、道端で会って立ち話をしたりと思いではある。
そのトービン教授の提唱した「トービン税」とは、国際的な取引(為替取引など)に税金をかけるというものだ。この原資を金融危機が起きたときに使うという発想だ。今後も金融危機が起きると仮定すると、確かにこの方法は検討に値する。
一般の人は為替のディールなどには関与していない。それにも関わらず、一旦世界金融恐慌でも起きれば、大変な影響をこうむるのだ。こういうものは、その取引で利益を受けている人の中で解決してよ、と私でなくても思うだろう。それを実現させてくれるのが「トービン税」だ。
トービン教授は2002年に亡くなられたが、全く人柄のいい方で、言うまでも無く頭脳もずば抜けていた。これが実現して、国際金融がよくなれば、トービン教授もあの世で喜ぶのではないか。
「addictam」の高野編集人他と新興富裕層のお金の使い方を議論ー成金への金銭教育は不可能?
先週金曜日の夜は、当日本ファミリーオフィス協会の研究会の講師もして頂いた高野さん、ハーバードの先輩のUさん、同じ山梨生まれのSさんとブレーンストーミングをした。一応、テーマは新興富裕層にお金の使い方をどう伝えるか、ということだった。
新興富裕層は、上場したときに大金が入るので、そこで生活が華美になり、収入が落ちたときに小室哲也よろしく破綻の憂き目に会うことが多い。しっかりした金銭教育の必要があるのだが、それを高野さんがしたら、という検討をしたのだ。確かに、金銭教育の必要はあるが、急にビジネスが成功して成金になった人が、果たして他人から言われたくらいで質素な生活ができるだろうか?
私は、それは無理だと考えている。なぜなら、成功真っ只中にある人に、収入が落ち込んだときに備えて、今から蓄えや生活を質素にした方がいいよ、、、などと言っても彼らは聞く耳を全く持たないからだ。自分の才能を信じて、未来永劫儲かり続けると考えている人には他人の説教など、邪魔でしかない。
そもそも、金銭教育は学校やその道の先生がしてもほとんど意味を成さないと思う。事実、代々の資産家は親や祖父から金銭教育を受けている、彼らが驚くほど質素な生活をしているのは、幼い頃から身内に「教育」されているからなのだ。
成金にはこのような身内はいない。急にカネができて、自分が偉くなった気になっている人には何を言ってもむだだ。だから、ローマの昔から成金は3代持たないのだ。3代どころか、一代でつぶれるのがほとんどではないか。
代々の資産家は続いている理由、仕組みがあるが、成金はつぶれて行く理由があるのだ。成金の中で本当に少数の「自分で分かる」人のみが、代々の資産家候補になるのだろう。
サザビーズジャパン社長の石坂泰章さんの本よりー日本の超富裕層は美術品所持を隠す
サザビーズジャパンの石坂さんが最近、講談社から「サザビーズ」という本をだした。石坂さんは、当協会の2年前の「設立記念講演会」の基調講演をお願いした方だ。経団連の第2代会長の石坂泰三さんの孫だ。私は最初、軽井沢の湯河さん(当協会理事)主催のパーティでお会いした。おっとりとした感じだが、時々ずしりとしたことを言うのは血筋だろう。
石坂泰三さんは最初に「財界総理」と言われた人だ。当時の水田大蔵大臣とあることを交渉していて埒があかなったときに「もう君には頼まない」と怒鳴りつけた話は、当時の政界と財界の力関係を示す例だ。
世の中は狭いもので、石坂さんはエールクラブ前会長の伊藤公一さんと家族ぐるみの付き合いだという。それもそのはずで、この本にもかかれているように、石坂さんのお母さんが昔エール大学に留学されたのだ。伊藤家と石坂家という財界の名家はエール大学という糸でつながっていたのだ。
石坂さんの本を読んで「おや」と思ったのは、アメリカ人は美術品所持を喧伝する(美術館にいくと「○○氏寄贈」という絵が非常に多い)のに対し、日本人は決して言わないというくだりだ。確かに、以前、伊藤公一さんと雑談しているときに、「僕はルノワールの絵が好きだが、伊藤さんだったらそういう絵もお持ちでしょう」と聞いたところ、伊藤氏は「ノーコメント」ということだった。そして、「仮に持っていたとしてもそんなこと言わないよ」とのたまわったのだった。
あまりに婉曲な言い方をするものだと、不思議に思ったが、これについて石坂さんは本の中で、「日本人が美術品を持っていることを言わないのは嫉妬を受けたくないからだ」と喝破している。そうだとすれば、日本では今後も美術品を持つ文化は育たないことになる。またホームパーティの欠如も美術品への興味をそいでいるという。親しい人(嫉妬を受けない人)を招いて、名画を前に講釈をたれるなど、誰でもしてみたいことの一つだろう。
日本の超富裕層が欧米のように、名画を家にかざり来客に説明するような時代が早く来てほしいものだ。
投資のプロはいない?-野村証券の「一兆円ファンド」の10年
今日の日経夕刊に野村の戦略ファンド、いわゆる「一兆円ファンド」が10周年をむかえた話が出ている。基準価格も半値以下になり、半分以上が解約したということだ。日経平均にも勝っていない。しかし、これは野村證券の選りすぐりのファンドマネージャーが担当したファンドだ。日本で有数のファンドマネージャがやってもなぜダメだったのか。
つまりは、投資のプロなどいないという話だ。いや、プロは当然いるが、他のゴルフや相撲などの分野のように、プロがアマチュアより圧倒的に優れているわけではない、ということだ。いや投資の分野ではプロが優れているかどうかも非常に怪しい。プロが日経平均に負けるということがむしろ多いのだ。これでは投資信託などを買わずに
日経平均(ETF)を買ったほうが手数料も安くていいわけだ。
このことは証券会社は絶対に言いたくない話だ。一般の人々は、未だに「証券マンは毎日株価を見ているし、何かいい情報を持っているに違いない」と思っている人が多い。これは全くないと断言できる。
これと同じ誤解が、「超富裕層は特別な情報をいろいろなプライベートバンクからもらって、いい投資をしているに違いない」というものだ。事実、時々私のところにもメルマガで「富裕層のみが投資できたファンドを一般の人々にも提供する」という類のファンドの宣伝がくる。メルマガなので、相当多数の人々にいっているに違いない。そんなものが「特別」であるはずもない。
もちろん、昔どの銀行でも扱っていた「大口定期」のように、額が大きくなれば一般金利より「若干」の上積みはあるだろう。しかし、この時代に固定金利で10%以上(しかも為替のリスクもなし)なんて商品があるはずもない。そういう類のファンドが複数宣伝されているのは、日本人の金融リテラシーの低さを物語る。アメリカで100年前にボストンのポンジーという人が売っていたファンド(いわゆるポンジースキーム、日本でいうねずみ講)そのままだ。
野村の1兆円ファンドはもちろん合法なものだが、結果をみると宣伝文句とは大部違う。しかもこの世界は「結果だけ」が問われる。当然、投資するほうは損をすることを想定していない。高い手数料を払って、半分以下になっていれば誰でも怒る。
エジプト、ローマの時代から投資の研究は進んでいたが、未だに必勝法はない。投資のプロにとっても投資は難しい。おそらく、今後いかに金融工学が進んでも必勝法は出てこないだろう。それをするかどうかは、個人の自己責任で判断するしかない。
「いい弁護士」を紹介するのが仕事になるーある弁護士の言葉
司法制度改革により、今では毎年2500人もの新人弁護士が誕生している。弁護士は全国で約3万人なので、毎年一割弱の人数が増えていることになる。こんな業界は他にはない。でも、数が増えてきて競争が激しくなると、どんどんいい弁護士が増えてくると思いきや、なかなかそうはなっていないようだ。
実は、私のところに最も多い問い合わせが「いい弁護士を紹介して欲しい」という依頼だ。個人はもちろん、大きな企業からもあるのは驚きだ。3万人もいて、「いい」人材はそれほど少ないのか、疑問も沸く。私の知り合いの弁護士は「いい弁護士は少ないので、それを紹介することが仕事になるよ」と言っているほどだ。
いや、実態は、いい弁護士はいるのだけれども、長く弁護士は宣伝広告が禁止されてきたので、情報は口コミしかなかったことが大きいだろう。もっとも、何が「いい」というのかも依頼者によって違うので、そこが難しいところだ。この人は評判がいいといって紹介しても、人間には相性があるので、「ひどい人を紹介した」などと言われることもある。紹介ほど恐いものはないのだ。
しかも、一人の弁護士が全ての法律に詳しいわけではない。それぞれ得意分野があるので、何でも「この人」というわけにはいかない。本当にケースバイケースで、お互いの性格も考えて紹介しないと、後でひどい目に会う。こちらの評判まで落ちてしまうのだ。
またある弁護士がいいことを言っていたが、「人間は本当に困ったときにしか、真剣に弁護士に頼もうとは思わないし、お金も払わない」そうだ。これはいえると思った。となると、「いい弁護士を紹介してくれ」と言うときには、相当真剣に困ったときなので、責任は重大だ。今では私も30名以上の特徴のある「いい弁護士」を紹介できるが、なかなか紹介も神経を使う話なのだ。
日経経済教室で佐藤隆三教授を久々に見るーサムエルソンに最も近い日本人
昨日の日経経済教室は佐藤隆三さんだった。この人はニューヨーク大学の教授をしていたが、私がハーバードにいた1991年にはハーバードの講師をされていた。授業も聴講したが、なかなか日本人でああいう講義ができる人はいないと感じた。アメリカでの教授歴が長いのだ。東大でトップ教授だったH氏などと比べても、はるかに比較優位があった。
その後、佐藤教授がどうなったかは気にはなっていたが、うわさでは日本に戻って山の方で生活しているらしい。ニューヨークでは高級住宅街のスカルスデールにお住まいだと聞いたことがある。確かに、久々に帰国すれば東京よりは、ちょっと田舎の方がいいのだろう。
佐藤教授で驚いたのは、その後2002年に再びハーバードに客員研究員で行ったときに、週1回経済学の巨匠であるMITのサムエルソン教授にお会いしていたのだが、頻繁に佐藤教授の名前が出たことだった。おそらく、今は亡き都留重人教授を除けば、日本人で一番サムエルソンと親しい人だろう。私はというと、、、20番目くらいか。
サムエルソン教授も94歳になられたが、今なお意気軒昂で、久々のハーバード出身のオバマ大統領の誕生とケインズ政策の世界的復活を喜んでいるという。個人的には、あんな知力も体力も人間性も備わった人は地球上に2度と出ないだろうと思っている。驚異的な記憶力と創造力、それでいて私の書いた間違った英語も直してくれる優しさ(マメさ)には驚く。いつも笑顔で学生と話している姿は、市井の老人と何ら変わりはない。まったく偉ぶったところがないのだ。
日本の経済学者でもサムエルソンに私淑する人は多い。そのシャープさと人間性に惹かれてだ。私は難しい経済理論は分からなかったが、その人間性に惹かれた一人だ。そう遠くない将来、サムエルソン教授の訃報が届く日が来るだろうが、そのことを恐れている。
日経新聞系雑誌「ファンド情報」での連載が始まるーまずはケーススタディ
今日発行の「ファンド情報」から、以後数回にわたって連載をすることになった。「超富裕層へのファミリーオフィス的アプローチ」という中味だ。この「ファンド情報」という雑誌は金融機関などが購読している専門誌的な色彩が強く、店頭では売っていない。それでも、知り合い約3名から「読んだ」というメールを頂いた。最初の4回くらいは、実際に私が日常的に行っているお客様へのサービス内容を、タイプ別に纏める「ケーススタディ」だ。
このケーススタディにはいつも泣かされている。編集者によっては、「実名入り」で出して欲しいと言い出すからだ。某出版社からは、有名な人を実名入りでまとめてほしい、という要請があったが、これは当然のように有名人の方から拒否された。そんなことをしたら、私生活まで丸裸になってしまうので、あり得ない話だ。
今回は全て匿名で、ご本人の属性だけである。まあ連載の趣旨は「この人は誰か」ではなく、本当の超富裕層のニーズは実際何なのか、が分かればいいので、名前は全く関係ない。かなり細部にわたって書いており、私の知る限り、超富裕層(資産規模は10億以上)のことをここまで詳述したものはなかっただろう。
本当は最初の案では、もっと一般的な超富裕層ビジネスの話にしようと考えていたのだが、編集長はケースにした方がインパクトがあるという考えだったようだ。まあ当然、そうなのだろう。ケースができるのは実際に超富裕層をファミリーオフィスの顧客にしている私にしかできないので、比較優位があると考えたのだろう。
確かに、そこに日本の超富裕層ビジネスのポイントがあり、超富裕層を顧客にする、それもファミリーオフィスの顧客にする(この意味は自分の人生のあらゆることを任せる)のは至難の業である。だから、実際に顧客を持っている人が少なく、ちまたの富裕層本のほとんどは富裕層を「ちょっと知っている」だけの人が書いているのでピント外れだったり、一般論に終始しているのだ。
富裕層向け雑誌も高野社長の「ADDICTAM」以外は全て廃刊か、それに近い状況になっているのも、一般論を読んでもおもしろくないので、結局読者が逃げた結果だろう。中には、読者ではなく編集者が詐欺でつかまり、どこかに行ってしまったケースもあった。
私は「日本ファミリーオフィス協会」代表の立場にもあるので、何とかこういう変な状態を打破すべく、まずは自分のできる広報活動を地道に進めるつもりだ。千里の道も一歩からと考えている。