ファミリービジネスネットワークの会合に来週参加
昨年、当協会の研究会でも「ファミリービジネス」については取り上げた。要は、ファミリーオフィスのお客様はほとんどがファミリービジネスのオーナーになるからである。弊社もそうだ。
たまたま来週、日本でもファミリービジネスネットワークのイベントがある。ロンバーオーディエの河田さんからご紹介いただいたのだが、私も「老舗ツアー」に参加させて頂く。ファミリービジネスの日本代表はトヨタだが、基本的にはファミリービジネスは好業績のところが多い。何か、ファミリービジネスというと「古臭い」時代遅れ的なイメージがあるが、欧米でもファミリービジネスは強く、その強さの秘密が今盛んに研究されているのだ。
なかなか、ファミリービジネスに関する本が少なく、研究もこれからかも知れないが、確かになぜ2代目、3代目が会社をうまく切り盛りできているかはミステリーだ。もちろん、全体の数からいうとうまくいっていない会社の方が多いのだが、世界の大手企業にファミリービジネスが多いという事実は研究に値する。
私もお客様のことを知るために、ファミリービジネスをもっと研究しなければいけないとは思うのだが、アメリカでも研究途上なので実際のケースを見ていくしかない。その意味で、ファミリービジネスのケーススタディができる来週のような機会は最大限に活かしたい。
田村耕太郎議員が民主党へー実は熱い男
今日は田村耕太郎議員がついに民主党に入ったというニュースが駆け巡った。彼はエールの経済学部で私の何年か後輩だが、自民党を離党したときからこうなることは明らかだった。しかし、ネットでは批判されたようだ。それに対して田村議員が逆切れしたことも、また話題となった。
批判の趣旨は、その節操がないように見えるところだろう。要はポリシーがなく、沈没する自民党から離れ、当選の可能性の高い民主党に移り、ただ議員でいたいだけだと思われたからだろう。実際の田村議員は、目立ちたがり屋ではあるが、決して議員にしがみつくタイプの人間ではない。ただ議員になればいい、ではなく、議員になって国富ファンドをつくりたいという熱い情熱に燃える男だ。
ただ、誤解を受けるのは、現在の国会議員で「ともかく議員に」という人間が多すぎるからだろう。田村議 員もすごいカッコウをしているし(永田町で彼を見かけることもあるが、100メートル離れていてもすぐにわかる)、その一味だろうと思われてしまうのだ。
人生は「何になるか」ではなく「何をするかだ」と私は常々言っているが、田村議員は「何をするか」を常に考えている男だ。容姿はともかく、その点では信頼できる。彼が民主党に入ることにより、参議院でも民主が単独過半数を得たことばかりがニュースになっている不幸はある。でもバッシングに負けず、意義のある仕事を完遂してほしいものだ。
スイスのプライベートバンクの元日本代表と久々にお話
スイスのプライベートバンク(PB)は2社が日本に拠点を持っている。一つはピクテ、もう一つがロンバー・オーディエである。スイスでの上位一、二のPBが日本にも進出していることになる。ピクテの方は最近、大幅に縮小したが、ロンバーオーディの方は変わらずに頑張っているようだ。先週はロンバーの元日本代表の河田さんと久々に電話でお話することができた。現在はスイスの本部勤務だ。
河田さんは人柄もよく、時々六本木の事務所に伺っていた。今はスイスの本場で働いておられ、今月は帰国されるので、是非、最新情報を教えて頂きたい旨のお話をしておいた。なんといっても現場の方から生のお話を伺うのは貴重な機会だ。まあ、この世界は様々な「守秘義務」があるので、すべての情報というのは無理だが、概要だけでも勉強になる。
ところで、日本におけるPBの仕事は、ほとんどが投信の販売に限定されてしまっているので、さすがに本場のPBとは大部内容が違う。邦銀の場合など、何となく「プライベートバンキング部」などと名乗っていても、実態は大口に投信をう売りやすくすることを目的にしているところが多い。これでは超富裕層の心などとても捉えられず、つくったものの実績が上がらず消滅、という轍を繰り返すだけだと思われる。
冷静に考えると、スイスのPBは200年以上の歴史があり、超富裕層ビジネスに関する相当なノウハウを持っている。その日本支社は、スイスの指示、ノウハウのもとに運営しても縮小を余儀なくされるということは、やはり超富裕層を相手にするということは相当な難題なのだ。日本の金融機関が付け焼刃でできるビジネスではなかろう。
私が今連載している「ファンド情報」でも、読者層が金融機関なので、日本の金融機関がいかに超富裕層を顧客にできるか、ということが読者が一番知りたいことだろう。そのあたりの原稿を今書いているが、さすがにこれは最難関だ。成功した機関が外資系、日本系含めてどこもないからだ。だから、せいぜい「ヒント」でも提供できればと考えているが、それも簡単ではない。
ともかく、日本で超富裕層ビジネスをしています、とかいうと危ない人と思われる現実を変えていかねばならない。確かに超富裕層を騙そうという人が日本でも多いのは間違いない。今後も減らないだろう。だからこそ、私は超富裕層をこういう輩から守る使命もある。よくお客様には「私は用心棒です」というのだが、実際にはそれが一番重要なことかもしれない。河田さんにも、いろいろと意見を聞いてみよう。
貴乃花の改革に期待ー「一石を投じた」ことが重要
日本ではまだまだ古い慣習が残っている世界がある。相撲界もその一つだ。昨日も朝青龍がよくわからない引退をした。外国人に「品格」といっても理解は難しいだろう。また「一門」とか、理事選挙で投票する前に投票用紙を立会人に見せるなど、およそ外国人には理解不能だ。そんな中で貴乃花が捨て身の理事選出馬をして、当選したことは、まずは目出度い。
中には、理事になっても一人では何も改革できない、という人もいる。確かにそうだが、物事には100%もなければ0%もない。いきなり改革するのは「革命」だ。通常の改革は徐々にしか進まない。その意味で、貴乃花の行為はまさに相撲界の悪習に「一石を投じた」ものだ。この波が今後どこまで広まるかが問題なのだ。
同様なことは、当協会にもあてはまる。日本で「ファミリーオフィス」を広めることによって、金融界も変わり社会も変わることを目標にしているが、これについても「不可能だ」という人は多い。確かに1,2年では絶対に不可能だ。ただし、この協会での草の根の活動が「一石を投じる」「改革へのトリガーになる」ことが重要なのだ。
誰かが改革への狼煙を上げないと、その世界は永遠に変わらない。既得権益を受けている人は必ずいて、その人々が改革を阻止する方向に必死に動くからだ。革命がない以上、「小さな成功を積み重ねていく」しか改革は成就しない。よりよい社会をつくるため、草の根からの改革がどの分野でも必要だと考える。
ハーバードクラブで「liberal arts」の勉強会ーICUでの改革
昨日はハーバードクラブの勉強会があり、テーマは「liberal arts」だった。この「liberal arts」という概念は分かりにくい。日本では一般教養などと訳されているが、実は根本は7つの分野だったという。「文法、レトリック、論理、数学、地学、音楽、天文学」だ。要はギリシャ時代からの基本的な教科だ。
ハーバードでは19世紀末の有名なエリオット学長が(ちなみに昔の学長は20年以上在任していた)「liberal arts」教育を推進し、今ではだいたい上記7分野は学部で教わるはずだ。今ではアメリカの大学といえば「liberal arts」教育に優れているという評価になっている。
問題は日本の大学だ。昨日はハーバードを卒業した後、ICUに来たスティール教授(元学部長)が、ICUでも本来の「liberal arts」教育の観点から80年代、90年代にかけて改革を行ったという話をしていた。ICUは授業を英語でやっているそうで、すごいことだが、アメリカの教育を受けた教授が多いので「liberal arts」への改革もできたのだろう。またアメリカ人の教授は話がおもしろいと昨日再認識した。
他の日本のマンモス大学は早稲田が今、「liberal arts」への道を推進しているそうだ。でも大きいところだとなかなか機動的には動けないだろう。ともかく、日本の大学の質を高め、わざわざアメリカまで行かなくても日本でもできる、という大学にしなければならないだろう。
当協会の研究会でも、第1回と第2回でアメリカの「liberal arts」の優れた点をハーバードクラブとエールクラブの重鎮からご説明いただいた。なかなか日本ではそのレベルになるまで大変だが(高校以下の教育も変えないといけないので)一歩一歩改革は進めてもらいたい。
コンサルタントの報酬は汗かき賃であるべきー佐藤明夫弁護士による
世の中にはいろいろなコンサルタントがいる。弁護士もそうだし、最近は税理士もコンサルをする人が増えてきた。経営コンサルタントや婚活コンサルタントなど、無数にコンサルという職種はある。ファミリーオフィスもコンサルだ。これらの人は「モノ」ではなく目に見えない「サービス」を売っているので、その報酬額には皆悩むことになる。
まだ弁護士などは報酬規定があった。でも今はないし、何より訴訟の金額ベースだった。そうなると同じ業務をしても金額によって報酬が数倍、あるいは数十倍変わってくることになる。何かバクチをしているようで釈然としない。不動産業者ならその金額の3%が報酬だから相当、運に報酬が左右される。でも問題はコンサルの報酬だ。
昨日、懇談した佐藤明夫弁護士によると、やはりコンサルの報酬というのは汗かき賃(+知恵代)ではないかという。確かにコンサルも大きな案件を扱えば報酬が増えるが、それに期待しているとだんだん顔がバクチ打ちの顔になってくる。これはもはやコンサルタントとは言えない。
コンサルの報酬を汗かき賃とすれば、案件の大きさには関係なくなる。大きな案件でも小さな案件でも雑念なく黙々と仕事に取り組める。収入も大きくはぶれなくなる。それで食べていければ一番いいというのだ。
確かにあるメーカーの方から、今はモノを売っているがこれは市況により大部値段が上下する。コンサルを売り物にすれば売り上げは安定するのではないか、という話を聞いたことがある。長期的な会社の繁栄を考えれば、コンサルで正当な対価を得たほうが売り上げは安定するというのだ。
なかなか報酬についてはコンセンサスが難しく、理屈では汗かき賃だと分かっても顧客の方は小さい案件だと「これでこんなに報酬を取られるの」という不満が生じるだろう。だから実際には、汗かき賃と案件の金額をミックスした報酬体系にしないと顧客から不満が出るだろう。
でも、やはり佐藤明夫弁護士がいうように、コンサルの対価の基本は「高い質」を前提にした汗かき賃が公平だろう。
日本で弁護士文化(代理人文化)が広まらない理由ー佐藤明夫弁護士に聞く
今日は久々に当会理事の佐藤明夫弁護士と懇談した。雑誌「ファンド情報」の連載で、超富裕層も弁護士には苦労しているという話を入れるつもりなのだが、そのための事実確認と意見聴取が目的だ。
まず、日本でなかなかいい弁護士にあたらないのは、そもそも日本には「代理人」文化がないからだという。根本的に弁護士が広まらない文化があるのだ。私のお客様でも、顧問弁護士はいるのだが問題が起きたときにはいつも自分で解決している、という人が複数いる。これこそが、代理人を使うより自分でやったほうがうまくいくという日本社会を表している。
鶏と卵の話になるが、そもそも顧客のために命がけで争ってくれる弁護士が日本にいるか、あるいは顧客の方も弁護士(代理人)にそこまで期待して報酬を出す用意があるだろうか?おそらく両方とも否だろう。だから弁護士の仕事は中途半端にならざるを得ない。よく「弁護士は自分がカネを取ることばかり考えている」という話を実際に弁護士に依頼した人から聞く。でもこれは反対に、その人も弁護士にカネを出したくないということを言ってはいないか。
お互いに信頼関係がなく、弁護士の方も必死にやってもお金をもらえないことがわかっているので、中途半端なところでやめてそこまでの報酬を要求するのだ。自衛のためには仕方がない。日本でいい弁護士が育たないのは弁護士の側だけでなく、顧客の方にも原因があるのだ。欧米では代理人文化があるので、弁護士に報酬は多く出すので、しっかりやってくれといって依頼することは映画などにも出てくる。弁護士も必死でやるのだ。
任せる人と任せられる人の信頼関係があって初めて、弁護士業務はうまくいく。この信頼がないまま、司法制度改革の名のもとに弁護士の数だけ増えているので、今後は弁護士をめぐるトラブルはますます増えるだろう。東京には食えない弁護士が毎年1000人単位で増えている。恐い話だ。
週刊現代の記事「東大までの人」と「東大からの人」の違いーその原因は永遠のテーマ?
先週の週刊現代に「東大までの人」と「東大からの人」という記事が出ていた。さすがにライターはうまいタイトルを考えるものだ。しかし、このテーマはほとんどの人が一度は考えることではないか。つまり、同じ大学卒でも社会に出てから伸びる人と伸びない人がいるということだ。この原因はどこにあるのか。
もちろん、一つは大学に入ってから4年間でかなり差が出ることにもある。その間、勉強その他に精力的に取り組んだ人と、ぼけっと4年間過ごした人とではとてつもない差が出る。その差は就職先の差としてまずは現れるだろう。
問題は、4年間を充実させ上位の成績を修め、一流の職場に勤め始めた中でも、当然のことながら20,30年で大きな差が出る。これはなぜかである。頭も人間的にも同じくらいのレベルで、同じくらい真剣に仕事をしていても出世には大きく差が出るケースはいくらでもある。
私の周りでも、例えば経団連の先輩を見ても、同じ東大法卒で人間的にも同じくらい申し分がなくて、必死に仕事をしている二人がいても、50代になると一人は専務になり、一人は部長どまりという例は多々ある。その違いは周囲の人にもわからない。ただ何となくそうかなという感じだけである。
また、中央省庁、例えば経済産業省などは、同期のキャリア25人中、皆が大学の成績、公務員試験の成績は上位だ。文武両道で体育会のキャプテン出身者も多い。皆、終電まで仕事をしている。その中で出世する人もしない人もいる。その差は何なのか。
ある人は仕事に対する「センス」だという。しかし、その「センス」ほど分かりにくい言葉はない。努力によって得られるものではないような気がする。大学入試や成績は努力すれば何とかなるが、「センス」によって仕事上の成果や出世が決まるのでは、生まれつき決まっているようなものだ。暗い気持ちになる。
もっとも、仕事の成功は一つ一つの仕事ごとにすべてバラツキがあり、その成功のための要素も違うだろう。そうすると、この職場では成功する人が他の職場では成功しないということも当然ある。
やはり社会に出てからこうすれば成功するなんて法則はないものか。
ついに当協会の名前を騙る人物現るー当初から注意していたことだが
「ファミリーオフィス」は日本では、まだまだ認知度は低いが、検索すればすぐにその内容はわかる。こういう超富裕層を扱う組織には、お金持ちを狙った様々な人が入り込む可能性があるので、当初からそのあたりに注意が必要だと考えていた。
幸い、今まではそのような人からのコンタクトはいろいろあったものの、名前を使われることはなかった。先週、あるダイレクトメールからその事実が発覚し、現在調査中だ。当然、毅然とした態度で臨む。相手の出方によっては法的措置も検討する。人の組織名を勝手に使っているのだから犯罪行為で、当たり前の話だ。
もっとも、経団連に勤めているときにも、経団連の名前を騙っていろいろなことを聞き回っている詐欺師とかは結構いた。彼らが欲しいのは「信用」だ。もっともこの前提に立つと、「日本ファミリーオフィス協会」は、とても知名度も信用もないので、この名前を使うことによるメリットは不明だ。
一般的に不実の名前を騙るのは、「学歴詐称」が多い。以前、ある詐欺師の被害に会いそうな方から相談を受け、その詐欺師とも電話で話したが、何と「慶応大学文学部情報心理学科」卒ということだった。うそをつくのなら単に「心理学科」と言えばいいものを、ちょっとテクニカルに「情報心理学科」などとない学科を言ったので、すぐにバレた。
その詐欺師の滑稽な点は、何と「エール大ビジネススクールのMBA」とのたまったことだった。エールではマネージメントスクールと言っていて、MBAではなくMPPMという学位を出しているのだが、部外者にはそんなことはわからない。そこを教えてあげると「最近はそうなんですか」とか言っていた。間抜けな男だ。
ちなみに、私も勉強のため慶応の塾員課の課長に「慶大卒とうそをつく人間は多いか」と聞いたところ、やはり結構多いとのこと。しかし、文学部という人間は少なく、医学部という人間が多いそうだ。それも他の医学部を実際に出ているのだが、交際女性には格好をつけて「慶応医学部卒」と言っていて、その女性の母親から問い合わせを受けることが多いそうだ。
まあともかく、サッチーみたいなことは、バレタ時にみっともないので、すべきではないだろう。
近江商人の末裔の方からベンチャーと「三方よし」の関係を聞くー金儲けは悪?
昨日はベンチャーの育成について、近江商人の末裔の方と懇談した。近江商人の「三方よし(自分よし、相手よし、社会よし)」はベンチャーの育成にも関係するのではという問題意識からだ。
結論からいうと、これは全く関係なかった。「三方よし」などということをなぜ近江商人が言い出したか、、、これは日本独特の「金儲けは悪」という意識をかわすために、近江商人は社会全体のことも考えていますよということをアピールする狙いがあったという。
他方、ベンチャーは「金儲けは良」という前提がなければ絶対に育成はできない、エンジェルは現れないというものらしい。だから、日本ではエンジェルは現れないのだ。アメリカでは「金儲けは良」「金持ちは尊敬される」社会だ。だからベンチャーも育つことになる。ベンチャーへの投資で大金を得ても、だれも「あぶく銭」とは言わないわけだ。リスクを犯してリターンを得たということで、投資の基本というわけだ。
要は、日本の「金儲けは悪」という風潮、人々の意識を変えない限り、ベンチャーは育たないわけだ。村上世彰さんが「金儲けは悪いことですか」と記者会見で言って、これが評判が悪かったのは記憶に新しい。ホリエモンも「カネがすべて」と言ったことで潰された。
日本は資本主義だが、未だに「士農工商」の意識が人々にはある。中国人が日本を「共産主義だ」というのも分かる。今の中国経済は全く資本主義だ。その結果、貧富の差が出ることは承知のうえだ。日本の税制は鳥類新課税で、まさに貧富の差を許さない共産主義的制度だ。こういう仕組みが残っている以上、人々の意識改革は遅くなる。