日本ファミリーオフィス協会 -54ページ目

「あけぼの」の軌道投入失敗に思うー先端分野は失敗はやむを得ない

「あけぼの」の金星軌道への投入が結局失敗した。このプロジェクトも私が経団連で宇宙開発を担当していた10年以上前に案ができた話だ。日本は欧米でもどこでもやっていないことをする、という方針のもとに始まった。国家予算を使う以上、意義のあることをしなければならず、当然だと思う。


しかし、他方「新しいこと」をすると失敗がつきものだ。何せ、データがないのだから自分でシミュレーションしなければならない。これは欧米に比べてこの分野での経験が浅い日本には厳しい話だ。それでも今の厳しい財政状況では、よほど意義のあることをしないと予算がつかない。これは日本の宇宙開発の宿命になっている。


心配なのは、民主党政権で「数十億もかけて失敗するとはとんでもない。宇宙開発は中止だ」などということにならないかである。しかし、文部科学省には優秀な「宇宙人」(宇宙開発を長く担当してきた人で旧科学技術庁の中でもエリート)がたくさんいる。こういう人に議員の説得は任せればいいだろう。議員は新しもの好きの人も多い。


今は昔、1994年に「きく6号」の軌道投入失敗という「事件」があった。当時の田中真紀子科学技術庁長官のもとで、大変な騒ぎにもなった。しかし、当時の経団連会長の豊田章一郎さんに「きく6号」の話をしたところ、「トヨタでも新しいことをすると失敗することも多い。しかし、そういうチャレンジャーを罰することはない。失敗しないと新しいことはできない」ということだった。さすがは「世界のトヨタ」と感じ入ったものだ。


企業経営でも国家戦略でも、新しいことをするときには失敗を恐れてはいけないのだ。アメリカはそのことを国民全体が理解している。だからスペースシャトルで人が死んでも宇宙開発は続いている。日本で人が死ねばなかなか宇宙開発の継続は難しいのではないか。





市川海老蔵の「市川」のルーツーそれは山梨の市川大門町にあり

連日の海老蔵報道でワイドショーも同じ場面ばかりだが、そもそも市川海老蔵は知っていても「市川」のルーツを知っている人は少ないのではないか。これは意外にも山梨の市川大門町にあるのだ。

私も知らなかったが、数年前に市川大門にできた立派な歌舞伎小屋に行って初めてわかっった。山梨県民でも地元以外はこの事実を知る人は少ないのではないか。山梨と歌舞伎はどうも結びつかない。

同じく海老蔵報道で意外だったのは、今日から海老蔵を「なぐった」側の人を診察した高木繁医師がマスコミに登場してきたことだ。この方には慶応の三田会関係の会合で一度お目にかかっただけだが、三田会の港区の幹事をされており(出ていないな~)面倒見がいい方だ。

高木さんは神戸の灘高出身で、私の周囲には灘高出身者が数十人はいる。それだけ活躍されている方が多いのだろうか。土曜日に封切の「ノルウェイの森」の永沢のモデルも灘高出身だ。早く探して一緒に見に行かねばと、別の用事を思い出した。

海老蔵事件から明るみに出た六本木の裏人脈ー特殊な世界の人の幼稚性にも驚き

私も六本木に10年近く住み、今も事務所の一つが六本木にあるので毎日のように六本木に行き、夜遅く帰ってくることもあるが、今回の海老蔵事件の後に報じられている六本木の裏社会には全く驚愕した。


西麻布の現場ビルも知っているが、その中に会員制の飲み屋があるとは知らなかった。普通に暮らしている人では知りえないこともいろいろあるのだろう。押尾事件があったときにも六本木ヒルズ住宅棟にもいろいろな人がいることが白日のもとにでた。


しかし、この事件は特別な世界で育った人間の人間性、社会性を考させられる。幼い頃からその道だけをやってきたので、一芸には秀でているのだが、社会性は幼稚園生並みという人は多い。昔、将棋の中原元名人が林葉直子と問題を起こしたときにも、その幼稚性に皆驚いた。


私は囲碁の世界しか知らないが、囲碁棋士の中で日本棋院の理事長までやった人との会話で、私が「予測記事」という言葉を使ったら、何と「予測ってなあに」と聞いてきたのだ。幼稚園のときから囲碁ばかりやっており、小学校にもまともに行っていなかったということを他の棋士から聞いたが、こういう人は多い。囲碁が強くなることが日本語を覚えることよりも重要だからだ。それにしてもね、という感じはするが。


一芸に秀でることはいいことだが、それも人間としての基本的なことができてからという気がする。

ケネディのスピーチライター、テッド・ソレンセンの死ー日経でも紹介

金曜の日経夕刊の追想録にテッド・ソレンセンが紹介されていた。言わずと知れたケネディのスピーチライターだ。ケネディが若い頃ピューリッツア賞を取った「勇気ある人々」もソレンセンが書いたと言われている。あのケネディの就任演説もソレンセンの手によるものだ。


2002年の秋学期にハーバードの研究員をしていたが、この時にソレンセンと何度か話をした。彼は有名人なので特別研究員としてケネディスクールに来ていたのだ。もう目が見えなくなっていたので、奥様も一緒だった。最初の留学の前に英語付けの日々を暮らしていた時に、よくケネディのスピーチを憶えていた。


ケネディの演説で最も好きなのは、宇宙開発の意義を説明するときに、マーキュロイの「そこに山があるから」という有名なフレーズをもじって「because space is there, so we are going to clime it.」といった一文だ。そのことをソレンセンにいったら、すぐに「1962年、ライス大学」といった。さすがに相当な記憶力だ。


ソレンセンは目が見えなかったが、私のために一言書いてくれた。「kennedy, an idealist without illusion.」この一言がケネディの本質なのだろう。



桜内文城さんがブログでチクルー政策で勝負してほしい

みんなの党の桜内文城さんが今日、初めて大きく話題になった。しかし、それは中井さんのヤジのチクリだった。こんなことで目立とうとする人物だったかと、彼の変貌ぶりに失望した。


そもそも桜内君(ここでは谷岡君と言わせてもらう)とは20年前にハーバードの寮で会った。彼は大蔵省から派遣でケネディスクールに来ていた。その頃から政治家志望のような感じを受けたが、ともかく筋を通すタイプの人間だった。そして彼は、「人生は何になるかでなく何をするかだ」、ということを常に言っていた。しかし、その後の彼の人生を見ると「何になるか=どうやって議員になるか」に終始した感じだ。


桜内義雄さんの孫と結婚し、姓も桜内になったが、その手法もレトロだ。昔の大蔵官僚そのものだ。今年の参院選で「最後の当選者」として話題になったが、問題は議員になってからの仕事ぶりだと見ていた。渡辺代表のもとで過激な公務員リストラや天下り根絶に取組んでくれると期待していたが、こんなことで売名行為とはがっかりだ。


20年前にボストンで、「男、谷岡が日本を変えるぞ」と息巻いていた初心に戻ってほしい。ここで腰をすえて自分の生き方を再考しないと、その辺のどうでもいい議員の一人になってしまう。そうなったら、宇和島まで彼を励ましにいった人間としては残念だ。

経団連時代にお世話になった方が経済産業省に出向ー意外にもファミリービジネスも担当

私は経団連にいた16年間で、宇宙開発の担当が一番長く、6年間やっていた。この間にはH-Ⅱロケットの打ち上げ成功や毛利、向井、若田、土井さんのスペースシャトル搭乗などのイベントがあった。宇宙開発が一番華やかだったころだ。その時に科学技術庁でお世話になったのが、7月まで文部科学省で事務次官をされていた坂田東一さんであり、その下にいた坪井裕さんだ。


昨日は坪井さんが経済産業省に出向されているというウワサを聞き、会いにいってみたのだ。受付で聞いてみると確かに存在した。審議官をされているようだ。世の中狭いもので、坪井さんは私がハーバードにいたときにお世話になったローソン社長の新浪さんと高校の同級生で、一緒にバスケをやっていたということで、驚愕したものだ。


直接的な目的は、経済産業省でファミリービジネスの研究会があるので、その担当を聞こうと思ったのだが、何とこれは坪井さんのテリトリーだった。ファミリービジネスの日本での研究は、いろいろな組織で行われているが、私が今入っているのは高梨一郎さんが理事長をしているファミリービジネスネットワークジャパンだ。この他にも倉科敏材教授のファミリービジネス学会もある。私としては仕事の関係上、少しでもファミリービジネスを深く勉強したいのだ。


ファミリービジネスに関しては、このようにいくつもの組織で研究されているが、「ファミリーオフィス」にいたっては日本では実質、弊社(永田町ファミリーオフィス)しかないという状況だ。まずはいろいろな人のお力を借りて普及啓発する必要があるが、一番近いのがファミリービジネスだ。「ファミリーオフィス」の顧客(超富裕層)のほとんどが日本ではファミリービジネスオーナーだからだ。


そうはいっても海外では「ファミリーオフィス」はメジャーなので、日本人でも海外駐在の方は知っている。最近では元アーンストヤングのスイス代表の鈴木桂さんがファミリーオフィスのことにも触れた本を準備されており、もちろん私もその本に協力させて頂いている。いろいろな人がファミリーオフィスに関連することをどんどんやってほしいのだ。


最初は点でしかないが、それをここ10年くらいで何とか線まで持っていけるようにすることが「日本ファミリーオフィス協会」代表の自分の役割でもある。そのために関連する分野の方々のご協力を仰ぐことが必要だ。坪井さん

のような「点」をどんどん拾っていって、何とか広げていきたいものだ。






高校サッカーで山梨学院大付属が2連覇を狙うーさすがに厳しいか

今年も年末から高校サッカー選手権が始まる。山梨からは昨年、初出場で初優勝をした山梨学院大付属が出場する。昨年は優勝候補にもあがっていなかったが、今年はマークされ大変だろう。

私は山梨の韮崎市というサッカーの街で育ったので、小学校のころから毎日サッカーをしていた。学校の行き帰りもボールを蹴りながら歩いていた。昔の山梨では韮崎しかサッカーをしていなかったので、地元の韮崎高校が県大会ではいつも勝っていたが、全国大会ではなかなか勝てなかった。

ところが、なぜか1980年から1984年までは選手が揃っていて、5年連続ベスト4(国立)に行っていた。当時の監督は横森さんで、頑張っていたのだが、優勝はできなかった。やはり、その時は静岡や埼玉や帝京が圧倒的に強く、その厚い壁に阻まれていたのだ。その後、山梨でもサッカーが盛んになり、韮崎高校は県予選でも敗退することが多く、横森監督は解任されていた。

しかし、元々指導者としては定評がある方なので、山梨学院大付属高校が迎え入れたのだ。そして、昨年の大会では実力校をなぎ倒して、決勝でも格上の青森山田に勝ったのだ。もっとも、昔の韮崎高校と違って地元出身のメンバーではなく、中学の大会で全国優勝したFC東京むさしというチームのメンバーが主体なので、優勝してもおかしくはない。それでも全国から選手を集めている青森山田に勝ったのは快挙だ。

今年は夢よもう一度だが、さすがにマークされているので、2連覇というわけにはいかないだろう。最近は静岡、埼玉、帝京ではなく、九州のチームや千葉のチームが優勝することが多い。何年か前には盛岡商業が優勝するなど、どこが強いか全くわからない。それだけサッカーがメジャーなスポーツになってきたという証左でもあり、その点では喜ばしい。

そういえば、先週、元通産官僚で元日本サッカー協会専務理事の平田竹男さんにお会いした。平田さんも日本でサッカーがかなり盛んになったので、自分の役割はある程度終わったと考え、サッカー協会を退任したのだろう。早稲田のスポーツ科学科の大学院で桑田真澄を指導したらしいが、その成果も楽しみだ。

今の若者は留学したくないー中国、韓国には相当な遅れ

今日の日経に若者の留学離れの話が出ていた。国際的な場で発言する人も80歳前後の人が多いという驚きべき指摘もあった。今日の国際社会と明らかに逆行する現象が起きているようだ。


確かに、先日経団連の若手と話をして、留学志望者が減っているという話を聞いた。私の年代は経団連に入った人の全てが留学を目指していた。留学の可能性が高い(約二人に一人が留学できる)ので経団連を選んだという学生が多かった。そういう私もその一人だが。


でも実際に職場派遣で留学するのはかなり大変なことだ。普通の人以上に仕事もしなければならない。仕事の後で留学の準備をしなくてはならないので、必然的に寝る時間はなくなる。これを1年間続けなければならない。若いとはいっても大変なことだ。


まあそれで何とか職場の競争に勝ち、留学先からも運よく入学許可を得たとしても、その後はイバラの道だ。まず帰国子女でもないかぎり、英語に苦労する。日本の大学ではちょっと勉強すればAがもらえるものの、24時間体制で勉強してもBを取るのも大変だ。日本で秀才で通ってきたのに、世界には上がいるものだと思い知らされるのが全ての日本人の共通点だ。


何とか2年間でマスターは取って職場にもどっても、急に出世することもない。確かにこれでは若者も留学はしたがらないだろう。外資系にでも行こうと考えている人以外は。


今日の日経の記事では、日本の若者が内向きになっているのは、役所や企業が留学経験者の処遇や使い方を知らないからだと指摘している。他方、国際社会で通用する日本人を育てることは、日本の衰退を止める意味で緊急の課題だ。


こういう背景から、昨年からエールクラブでは日本の有名高校のトップクラスの学生をエールの学部に入れるという運動を始めている。昨年は過去最高の5人が合格、入学した。試験の成績プラス、何か一芸がないと号格は難しいのが日本の入試と違うところだ。今年はどうなるかわからないが、こういう小さな動きから日本の沈没を少しでも防ぎたいものだ。

「ノルウェイの森」永沢さんとの出会いー村上春樹も驚く豪胆さと頭のよさ

小説「ノルウェイの森」というと、私には永沢さん(Sさん)ということになるのだが、村上春樹とSさんは確かにこの小説の舞台となった目白の「和敬塾」で知り合った。同じ神戸出身なので、よく話をしたことは容易に想像できる。但し、あくまで小説なのでかなりの脚色がある。例えば永沢はプレイボーイだったこととかだ。


実際のSさんは極めて堅物だ。しかし、かなりの茶目っ気がある人だ。1993年夏に私が北京でSさんに会ったときに、当然どこかで待ち合わせをしなければならない。顔もわからないのに困ったものだ。私はその日の朝に北京のホテルから大使館に電話をして、Sさんに伺った。午後6時に北京飯店のロビーはいいのだが、目印は何もない。私は、「やはりノルウェイの森に描かれているように相当なハンサムな人ですか」、とおそるおそる聞いた。Sさんは、「その通りで身長は180センチ」というのだ。


まあそこまで分かれば、いくら往来の激しい北京飯店でも恐れることはない。必ず会えると思って、午後5時55分に北京飯店のロビーについた。そこにはいくら待ってもSさんらしき人はいなかった。ところが、やはり身長180センチでかなり体格のいい日本人はいたのだ。まさかと思ったが、一応お声をかけたらSさん本人だった。私はかなり動揺したものの、ハーバードの先輩でもあるので「さすがに村上春樹が認めたようにハンサムですね」と申し上げた。


まあ小説は小説で、容姿は主観が入るものだ。人によって見方が分かれることは言うまでもない。しかし、できる人は豪胆だなと改めて認識し、自分自身のふがいなさを反省することしきりの一日となってしまったのだ。



いよいよ映画「ノルウェイの森」封切ー12月11日から

村上春樹の「ノルウェイの森」の映画がいよいよ始まる。あの小説をどう映画化したのか楽しみでもある。


私がアメリカに留学した2年間、一番の驚きは「ノルウェイの森」と村上春樹だった。「ノルウェイの森」はアメリカに行ってから初めて読んだが、ここに「永沢」という外務省に入る人が出てくる。この暗い小説の中で唯一の明るい人であるが、ちょうど私がいたハーバードの東アジア科の同級生が外務省からきていたので、彼にこの話をしたら驚くべきことがわかったのだ。彼曰く「そのモデルの人はSさんといって、自分の灘高、東大の先輩で昔このコースにも来ていた」とのことだった。これには腰が抜けるほど驚いた。


その後、村上春樹がボストンに住んでいて、毎年ボストンマラソンに参加していることを知った。忘れもしない1992年4月19日、ボストンマラソンの前日にハーバードの学生で村上ファンが村上春樹を囲む会をやったのだ。私も参加させてもらって、村上春樹に永沢のモデルはSさんかと聞いたが、さすがに答えなかった。

ちなみに当時、通産省からハーバードの講師としてきていた林良造さん(後に通産審議官)がSさんと灘高の同級生だと聞いて、また驚いた。


日本に帰国した私はSさんのことが気になってしょうがなかった。当時Sさんは北京大使館にいたので会えない。何とか93年の8月に北京に行ってSさんと感動の対面をした。その後はSさんも日本にいることが多く、経団連にこられたときには必ず寄って頂いた。


数年前から大使をしているが、今、日本に帰国していたら一緒に映画に誘ってみようと思う。おそらく乗ってこないだろうが、永沢役はイケメン俳優、玉山鉄二だ。Sさんと玉山鉄二が似ているかどうかは、ノーコメントだ。