ゴミ屋敷の人とミニマリストの人は根本は同じ。

 

 

これは、うちの生徒さんに言われた言葉である。断捨離トレーナーとして活躍する彼女は、「物欲は普通にある」と笑い、「人それぞれの適正量ってありますから」と言っていた。

で、まぁ私はもちろん物が多くて一歩間違えればゴミ屋敷化してしまいそうな家に住んでいるのだが(ペットボトルとか、弁当のゴミとかそういう類ではない)、自分でそうなることを予見していたので、東京に引っ越してすぐの家には一切の食べ物を持ち込まなかったほどである。とにかく生ゴミを出さないようにしていた。

 

極端な生活というものは刺激的である。

最近、某王子と呼ばれている人が株でお金を失って云々の騒動があった。こうしたことは以前にもあったので大抵の人が「またか」となっただろうが、最初の脱税の後の復活劇的なものを思いついた時、周りの人は「見ている側もそんなにバカじゃないからやめた方がいいと思う」と彼を止めたようなのだ。しかし実際にはそれでユーチューバーとしての地位を確立した。そこでその周りの人は「反省しました。人は刺激さえあれば何でもいいんだって気づいた」と話していた。

ミニマリストにしろゴミ屋敷にしろ何にしろ、生活そのものが極端である。変身願望に近いものがあるかもしれない。特にミニマリストはそうだろう。過激な人は布団を家からなくし、冷蔵庫もなくし、およそ生活のできない状態にしている。

こうした極端さは自分が珍しがられ、そしてマイノリティにいることを自覚して刺激を感じられるのかもしれない。そしてそれはどこかで、変身願望を満たしてくれるものなのかもしれない。

ところが、その変身願望を覆すようなできごとが、この本の主人公に起きるのだ。

 

 

 

 

考えるのが楽、洗濯するのが楽、などとのたまう主人公に対して「楽って、そんなに楽して何がしたいの?」と交際している彼女が言う。

 

楽の先に何を求めるのか。

結局、みんな疲れているのだ。だから、「楽」を求める。

 

年収200万円で丁寧な暮らし、みたいなVlogを見かけることがあるが、彼らは働く時間や日数が少ないから、基本的に省エネで生活できる。だから、別に「楽」を選ぼうとしない。むしろ「丁寧」と称して手間のかかることばかりを選択している。これはこれで良い生き方である。

対して、全力で仕事をして全力で人付き合いをして全力で物を考えている人は、基本的に消費カロリーが大きいから、どこかに楽を求める。そうすると、掃除機はロボットに任せ、炊事はウーバーイーツに任せ、洗濯は洗濯屋に出し、掃除は家事手伝いにやってもらう…みたいなことが生じる。しかしそのためにはお金が必要になるから、全部を外注できるわけではない。そこで、自分でやらねばならない部分に関してはなるべく考えなくて済むように、面倒にならないように考え抜いて買い物をしたり、ルーティンを決めたりするのである。

 

 

こんなことを書いている羽田圭介氏だが、ずいぶん昔に「結婚している異性と会うのは無駄」と言っていた。まぁ、正直言って相当癖の強そうな人だから結婚するのはなかなかハードルが高そうだなとその時も思っていたのだが、例えば同窓会などで女性がいたとしてもその人たちはほとんど結婚していて、つまり自分には結婚や交際というパイが回ってこないので、それは時間の無駄である、とこういう理論だった。そのころからしたらもう10年近く経過しているので彼が今もその考えなのかどうか、また彼が結婚したのかどうかは知らない。

それでいながら小説を書いて煮詰まった時には鶏ハムを作るんです、だから僕の家の冷蔵庫には鶏ハムがいっぱいです、などと言っていて、それこそ無駄ではないのかと思った記憶がある。

人の「無駄」「無駄じゃない」の基準は人それぞれだろう。

最近よく見かける俳優は「無駄こそが人間としての成長の幅をもたらしてくれる」「無駄に囲まれて生きていきたい」という、およそ近頃の若者には珍しい発言をしていた。が、彼は彼で「無駄なものは無駄」という基準があって、それを切り捨てずにあえて取り込みたいと言っているのだから、物事に無駄などない、という考え方ではないのだ。

 

 

自分が歳をとってきて困っているのは、何しろ実家の物の多さである。これは思い当たる人も多いのではないだろうか。私の実家はそれはもう偏ったエコの考え方の母親が住んでいるから、とにかくゴミを出したくない、とのたまう。それ自体は良いのだ。だが、そういう風に考えるようになる前に購入したものはもう仕方ないではないか。多分10年以上、いやもっと開いてもいない本棚、ただの猫のジャンプ台と化している美顔器&化粧台、いつまでも取ってある私が見てすら意味不明な、娘(要するに私)の作った何か。これらをいつまでも律義に取っているのである。ゴミになるだの地球環境がだの言うが、自分の生活環境はどうなのだ。そして自分が死んだあと、誰が片付けると思っているのだ。ゴミになるのは時間の問題なんだから自分で責任をもってゴミにしてほしい。しかしあまり色々言うのも気が引ける。何しろ私はその実家に住んだことはないし、彼女の家なのだから今のところ文句は言えない。しかし死んでからではなおさら文句は言えない。

結局こういう先延ばし精神も、「無駄」である。今、決断して今行動したらいいことを、先延ばしにしてタスクとして脳の中に残しているのだから。

 

本書の中にも、何度も先延ばしにしようかどうしようか、という場面が出てくる。重い腰を上げつつ、結局いつかはやらねばならないのだから、とそんなに長くない期間寝かせておいて相手方に出向く、というようなことが出てくる。

そして急にスローライフ的なことを始めた人たちに対して冷やかに、「その生活ができるのはインフラがあるからだろう」と考える。確かにその通りである。我が実家の例で言っても、私という人間がいるから安心して無駄を保存できているのである。誰かがやらなければならないことを自分がやっていないだけなのに何をそんなに偉そうに言っているのか、と思わないでもない。もちろん言わない。だが、本当の「環境に優しい」的なことは、生きている限り無理な話だ。過激なヴィーガンの人たちは牛の出すメタンガスがどうのこうのと言うが、そんなこと言い出したら人間がいるほうがよっぽど環境破壊でよっぽどガスを出していて、大体オマエん家には電気ガス水道は通っていないのか、と言いたくなる。エアコンはつけないのか、冷蔵庫はないのか、と。そういうインフラがあることをすっかり忘れて意識高いつもりでいるのが最も意識の低いことである。私も私で極端だから、地球環境のことを考えないこともない。特に動物好きだから、動物が絶滅する理由などを調べては、「人間ってどうしようもねぇな!」などと心の中で毒づいている。だが自分も人間なので、せめてもの罪滅ぼしに動物保護団体には寄付をし、人間のせいで生命を終えてしまうことになった動物は弔うようにしている。そうしておきながらいつでも、自分を含めて絶滅すべきは人間の方ではないのか、などと考えている。人間に生まれた以上、無駄から逃げることはできないし、人生自体が無駄かもしれないし、しかし無駄になる経験などないし、と堂々巡りである。

 

 

 

私は山羊座にほとんど天体がないからそこまで「無駄」に敏感な方ではない。むしろ乙女座の月が「これはいつか使うかも」を発動させて、いつかがいつまでも来ないまま歳をとってきたタイプである。だが、年齢を重ねるにつれ「いや使ってないやん…」と自分に突っ込みを入れながら処分することにそこまで抵抗がなくなってきた。物を見ると疲れるのである。完全な老化だ。とはいえ物は人よりは多いという自覚はある。趣味や仕事で使うものがあまりにも道具が多すぎるのだ。彫金にしてもガーデニングにしても、とにかく道具が必要で、その上コレクション気質があるものだから実用的なものこそいつでも困らないようにそろえていたい。セッティングバーは0.5ミリ間隔で販売されているが、それを2ミリ~8ミリまで、全部そろえておきたいと思うのが乙女座精神である。多分。

ところが、山羊座の場合はそうではない。「困ったら作ればいい」「困った時に買えばいい」という考え方なのだ。乙女座がなぜそれをしないかというと、作ったり買いに行ったりする体力をなるべく温存しておきたいからである。山羊座は活動宮だし体力がある。だから気軽に作ったり買いに行ったりができるのだが、乙女座はそうはいかない。だから、見かけた時に買っておくのだ。もしダブっていたとしても消耗品だしいつか使うし…とここでもまた「いつか」が出現する。且つ、変に完璧主義だから自分が作ったものよりも既製品の方が完成度が高いのが分かっているので、自分が作る下手なものを信用できないというのもある。だったらお金を出して完璧なものを買っておきたい。

 

 

無駄を嫌うのは山羊座だが、それは時間や労力の観念からだ。対極にある蟹座は、人間関係の無駄を嫌う。要するに、自分の仲良し以外の人にまで親切にしない。もちろん自分が親切にされた相手にはそれを返すだけの愛想のよさがあるが、それだけである。そして無駄の極地とも言えそうな魚座は、もはや持っていることすら忘れている傾向にある。それを対極の乙女座が整理してラベリングして所定の位置にしまうのである。

だが、山羊座と蟹座、魚座と乙女座、両方とも同じことをテーマにしているから、乙女座がグレると「もういい」となってカオスになるし、蟹座がグレると「こんなことして何か意味あるのかな」になって全て断ちきってしまうようなところがある。

 

何をもって「無駄」と考えるかはサインにもよるし人にもよるが、人の「無駄」を大切にできることこそが、実は人生において大事なことなのかもしれない。そもそも人生自体に意味はないのだから。

 

 

あぁところで、タイトルの件に全く触れなかったので、どういうことなのかは本書を読んでいただきたい。

 

 

 

 

 

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