心に傷ある7人の異常行動 心の癒し
マタイの福音書8:16-17「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらい(精神面)を身に引き受け、私たちの病(肉体面)を背負った。」
聖書では少なくとも7人の異常行動者がいた
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)
1、ペテロの異常行動
ペテロの傷、PTSDの場合は鶏の鳴き声にリンクして発症するフラッシュバック現象
裏切りのあの夜、ピラトの庭、同様、鶏の鳴き声を聞くとおかしくなる数日間。
仕舞いには上着を来て冷たい朝の湖水に寒風ダイビング!
2、自分の誕生日のろうヨブ 義人ヨブも試練の只中で生命なき自分の誕生日や夜自体を呪うという異常発言をしています。ある種の限度を超えた苦痛に見舞われたとき、耐え切れなくなると、人はその痛みを他の物事に置き換えて回避しようとするケース。
ヨブは部下とすべての財産を失い、息子娘らを彼らの家もろとも一瞬に失い、悪性の腫物にも打たれました。さらには追撃ちをかける愛なき裏切りのことばが厳しく妻からヨブに臨みます。
「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」(ヨブ2:9)
次第にそのひずみは時間と共に徐々に現れ出てきます。ヨブは壊れ、ヨブはゆがみ始めました。
ヨブ3:1 その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。3:2 ヨブは声を出して言った。
3:3 私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。3:4 その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。
3、誕生日も人にも八つ当たりエレミヤ 預言者エレミヤも迫害の只中で受けたストレスのはけ口に生命なき自分の誕生日を呪うという同様の異常発言をしています。
エレ20:14 私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。20:15 私の父に、「あなたに男の子が生まれた」と言って伝え、彼を大いに喜ばせた人は、のろわれよ。
4、モーセはエジプト富と栄光失いパロに命狙われ亡命者 ストレスを名前に乗せた 変な名前
出2:21 モーセは、思い切ってこの人といっしょに住むようにした。そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。2:22 彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ」と言ったからである。
5、我が子に変な命名した父ヨセフ 13年間のストレス 忘れたいこだわりのトラウマ
まれに心の癒されていない深い傷が今ではなく、長い年月の後に現れる特殊ケースもあります。試練の後から病来るケース ヨセフが十七歳で受けた傷がそれ、13年後に発症です。「心的外傷後ストレス障害」PTSDショックは、体験後数週間以上を経てから発症したり、数カ月後に発症するケースもある。
創41:50 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。41:51 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。41:52 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。
父ヨセフは海外エジプトで産まれた長男に「マナセ」(忘れる)、次男にエフライム」(実り多い)と名づけましたが、次男「みのる君」は良しとして、長男の「忘れる君」はまずい名前を付けました。ヨセフの心が実は病んだまま、つらい十三年以上の過去を「忘れていない、忘れたい、忘れたい」
その葛藤する内なる病める思いの複雑な現われです。それが公前で変な名前という形でトラウマとなって現われたのです。マナセにとってはいい生涯の迷惑です。
その後、兄弟たちに再会したヨセフは心の封印を解いた大泣き体験をし、次第に心癒されていきますが、私たちも過去の癒されていない心の痛みが、外国の地で変な形で現われたヨセフのように異なる環境のどこかで突如、過去に起因する異常行動となって現われるといけません。
6、ピネハスの妻の悲しみ、訃報と死のストレスで命名 Ⅰサム4:19 彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて、出産間近であったが、神の箱が奪われ、しゅうとと、夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。4:20 彼女が死にかけているので、彼女の世話をしていた女たちが、「しっかりしなさい。男の子が生まれましたよ」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。4:21 彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは神の箱が奪われたこと、それに、しゅうとと、夫のことをさしたのである。
7、沢山の子供たち一度に殺された父エフライムの悲しみ 産まれた子に「災いの中」と命名
Ⅰ歴代7:20 エフライムの子たちは、シュテラフ、その子、ベレデ、その子のタハテ、その子のエルアダ、その子のタハテ、7:21 その子のザバデ、その子のシュテラフ。それに、エゼル、エルアデであるが、彼らはこの地の生まれであるガテの人々に殺された。彼らが家畜を奪おうとして下って行ったからである。7:22 彼らの父エフライムは、何日もの間、喪に服したので、彼の兄弟たちが来て、彼を慰めた。7:23 その後、エフライムは、妻のところに入った。彼女はみごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいのさなかにあったからである。
詩139:23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
139:24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
傷口があると、ばい菌が入ります。
同様に、心の傷も、放っておくと、霊的ばい菌、悪霊の住み家になります。
過剰な自己防衛反応 フラッシュバック ショック体験(災害時の状況等)の悪夢を繰り返し見る
相手にそのつもりがなくても、過剰反応をするケースもあります。
治っていない傷は敏感で、触ると傷が痛むから過剰に保護します。
心の傷も、そこが癒えていないと、その部分をかばうようにして生きるようになり、それによって知らないうちに自由が奪われてしまいます。
場所や状況が怖くて、引きこもりがちになる「広場恐怖」(外出恐怖)現象。
イエス様の十字架を目撃した直後の11弟子たちはユダヤ人たちからの同様の迫害を恐れて室内で戸閉め、鍵もかけて引きこもっていました。(ヨハネ20:19、26)
何か困ったことが起きても誰にも助けてもらえなかった、あるいは恥ずかしい思いをした場所や状況に対する恐怖。場所や状況と記憶がリンクするため、ある人にとってはそれが人混み、渋滞する道路、橋、電車や飛行機、エレベーターなどの乗り物などを恐れの対象として置き換える。
トラウマ(ドイツ語:Trauma)は、大きな精神的なショック、恐怖体験等によって起きる心の傷。 このダメージが後々にも心に残り、精神的・身体的な症状として現れます。
ことばには非常に大きな力が秘められて、ことば一つで人を生かすことも殺すことも出来る。
有名な数学者アルフレッド・アドラーは、小学生の時、先生に「おまえは算数に向いていない」と言われ、それ以来ずっと算数が苦手だと思い込んでいました。ところが中学生の数学の時間に、他の学生が出来ない問題を彼は、たまたま解いたので先生に「キミは天才だ」といわれ、それ以来、数学に興味を持ち勉強するようになり、ついに著名な数学者となったのです。
『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ』
「主は心の打ち砕かれた者をいやし、彼らの傷を包む。」(詩篇147:3)
失敗を恐れるな
エジプト人を殺したモーセ、バテシェバの夫ウリヤ殺した姦淫男ダビデ。獄中にいた囚人ヨセフ。自殺願望エリヤとヨナ。破産者ヨブ。旧約遊女ラハブと新約遊女サマリヤの女とべタニヤのマリヤ。詐欺師ザーカイ。乞食で盲人バルテマイ。7つの悪霊宿したマクダラのマリヤ。6000のレギオン悪霊宿したゲラサ地方の男。十字架上で悔い改めた強盗人。裏切り者ペテロ。迫害者パウロ みんな大問題の元、失敗者たち。イエス様の取り巻きは、凄い人たち沢山。しかし、彼らは誰一人神様に見捨てられなかった。
マタ9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
マタ11:19 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行いが証明します。」
マル2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイ10:28-31「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」
「イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。」(マタイ十四章十四節)
イエス様が抱かれた感情、あわれみ。傷つくたましいに対する主の哀れみは大きい。イエス様が多くの群集を見られた際、「深くあわれんで」、その結果病気が癒される奇蹟がともなっています。
ギリシャ語でここに使われた「あわれみ」は「スプランクノン」で、身を引き裂くような断腸の思いです。本来は肝臓、腎臓、心臓のニュアンスを含んだ、張り裂けるような痛みの気持ちです。イエス様は病める人々を心底、痛み伴う感情のレベルまで激しく愛して癒しをなされました。