雨上がりの早春の奈良三輪山の麓にある日本最古の道と呼ばれている「山の辺の道」を三輪から柳本まで歩いた。
令和4年3月2日曇りの日である。
JR東海道線で京都に着き、近鉄に乗り換え天理からはJR桜井線で三輪駅に着く。
山の辺の道 地図
しかし当日は運悪くJRの故障や天理駅での乗り換えミスで、三輪駅からの出発が予定より1時間ほど遅くなった。
でも古代のロマンあふれる山の辺の道を歩けるならばと気を取り戻して歩くことにした。
額田王
山辺の道に入る前にまずは大神(おおみわ)神社に参拝する。この神社は三輪山がご神体なので本殿がなく拝殿のみとなっている珍しい神社だ。
大神神社
丹波大女娘
古来より酒の神様としても信仰を集め万葉集の枕詞にも味酒三輪(うまさけみわ)が使われいる。
この大神神社の祭神は三輪山に祀られている大物主神(おおものぬしのかみ)である。
狭井神社
薬井戸
次にすぐ北隣にある狭井神社にはぜひ立ち寄ってほしい。この神社は薬の神様として崇敬があり奥にある薬井戸と伝わる湧水は万病平癒のご利益があるようだ。
ここからは本格的な山の辺の道に入り幅2mもない土道や石畳が交互に登場する。
玄賓庵
次に謡曲「三輪」で有名な玄賓庵(げんぴんあん)が現れ、庭園を拝観することもできる。
遅れを出来るだけ取り戻そうと速足で歩き檜原神社(ひばらじんじゃ)に何とか12時に着く。
檜原神社
この檜原神社とは元伊勢とよばれ天照大神が伊勢に遷るまで奉斎された「笠縫の地」がここであったとされている。
柿本人麻呂歌集
ここからは西へ2kmほど先にある箸墓古墳を目指して下ってゆく。
振り返るとなだらかな三輪山の容姿が目にはいってくる。
三輪山
12時30分に箸墓古墳に着き広大な古墳の周辺をぐるりと眺めて古墳の写真を撮った。
箸墓古墳
箸墓古墳とは全長276mの巨大な前方後円墳であり日本書紀によれば第十代崇神天皇の姑(おば)である「ヤマトトトビモモソヒメ」の墓とされている。
日本書紀にある箸墓造営時の物語では二上山から手渡しで石を運んだと伝わる。
当時としても大変な工事であったようだ。
築造は西暦280~300年頃なので卑弥呼の墓との説があるが、邪馬台国・卑弥呼⇒九州説の私は否定したい。
(※ブログ「邪馬台国と卑弥呼」を参照のこと)
三輪そうめん山本 にゅう麺
お昼を過ぎてお腹が減ったので近くの「三輪そうめん山本」に入り奈良の冬の味覚である「にゅう麺」を食した。
しかしおじさんおばさんでやっている他の小さなお店の方が安くて美味しいと思う。
次の景行天皇陵に向かうのに山の辺の道に戻らずに国道169号を歩き古事記で「山辺の道の上に在り」とある景行天皇陵に着いたのは13時30分ころになっていた。
景行天皇陵
景行天皇陵は日本武尊の父といわれる第12代景行天皇の墓と伝わり、全長300mと大和古墳群の中でも最大の前方後円墳を誇る。
次の崇神天皇陵へは山の辺の道らしい両脇に草が繁る古道を歩いてゆくと、花をお供えしてもらったお地蔵さんが現れその優しさに癒される。
歩いてすぐ下に巨大な崇神天皇陵が現れて、あまりの大きさに圧倒される。
崇神天皇陵
この陵墓の主とされる第10代崇神天皇(すじんてんのう)は「ハツクニシラススメラミコト」と称される。
四世紀前半頃に巻向にあったヤマト王権の初代天皇で四道将軍を派遣するなど実在の天皇と云われている。
この陵墓は全長242mの前方後円墳である。
【長岳寺】
最後に天理トレイルセンターのすぐ奥にある長岳寺を訪ねた。
そこは824年に弘法大師が創建した真言宗のお寺で日本最古の鐘楼門や本尊の阿弥陀如来三像で有名である。また、奥の院には見事な石仏が建立されている。
鐘楼門
阿弥陀如来三像
石仏
長岳寺を見終えるとすでに14時20分頃になってあり、足に豆が出来て痛さが増してきたのでここから西へ2kmほどにある柳本駅まで歩きJRで山の辺の道を後にした。
【あとがき】
前に山の辺の道を歩いたのは12年前に関西に住んでいた頃だと思うが、歩いてみると記憶の無い所が多くて少し驚きました。しかし古代のロマンを感じられる道はいつ歩いても好きな場所である。
でもやはり桜の咲くような穏やかな頃に、時間に余裕を持ってゆっくりと歩きたいですね!