きっかけは5月27日BS日テレの「磯田道史の歴史をゆく」から「謎の4世紀ヤマト王権の真実」で放送された「富雄丸山古墳」でさっそく奈良へと向かった。
奈良拡大地図
この古墳は謎の4世紀と呼ばれ倭国の歴史を記した史料が少ない中、日本最大級の円墳から発掘された国宝級の[蛇行剣]や[鼉龍文盾形銅鏡]が発見され今話題の古墳でもある。
磯田テレビ
富雄丸山古墳
令和8年5月30日に近鉄天理駅で降りて長いアーケードを東に2㎞ほど歩くと広い敷地の中にある「天理参考館」に着く。ここを起点に富雄丸山古墳への初対面へと巡った。
【天理大学付属天理参考館】
天理周辺地図
天理参考館
天理参考館には富雄丸山古墳から出土した「三角縁神獣鏡」が展示されていることや全国の埴輪や土器が展示してあるのも楽しみであった。
この天理参考館とは天理教の創設者が海外にも布教を広めるために世界各地の生活文化資料や考古美術資料などを集めて信徒を育てる博物館として創設したものである。
武人埴輪(右)
3階にある「世界の考古美術」へ行くと見たことのある武人埴輪がいた。群馬の太田市で出土したあの有名な「桂甲の武人」(けいこうのぶじん)とそっくりの弟埴輪であった。久々の友人に会ったようで嬉しかった。
ここでの目的であった3面の三角縁神獣鏡に巡り合えた。銅鏡の真ん中にある鈕(ちゅう)が美しく光輝いて印象的であった。
三角縁神獣鏡(3面)
お昼前になったがここから東へ1㎞の近さにある石上神宮にお参りすることにした。
【石上神宮】(いそのかみ)
物部氏の氏神だったと伝わる石上神宮に伝わる死者をよみがえらせる「布留部由良由良」の祝詞とこの後巡る富雄丸山古墳の蛇行剣の曲がりくねった剣との繋がりを解く学者もいるようだ。
石上神宮
四世紀に百済王から倭王へ贈られた国宝「七支刀」が神社に保管されており、ぜひ拝見できないかと期待したが展示されていなかった。(年に数回公開されるようだ)
国宝「七支刀」
【富雄丸山古墳】
暑い日差しを避けアーケードを天理駅まで戻り駅前でお昼をとった。
午後は近鉄橿原線から奈良線の富雄駅で降り若草台団地までバスで移動したが便が悪くかなり時間をようした。
バス停からはすぐの所に古墳は表れるが、巡る前にこの古墳は関西地方の方なら電車でなく車で訪れたほうが便利だと思うので案内をしておきます。
古墳から歩いて5分のところに家族連れで遊べる公園付きの道の駅「クロスウエイなかまち」があり、そこでパンフレットを貰って歩いてゆくのも楽しみである。
クロスウエイなかまち
パンフレット
道の駅から古墳への案内
富雄丸山古墳と案内看板
ここで富雄丸山古墳の案内をしよう。四世紀に造られた直径109mの円墳で日本最大規模を誇る。
大発見だったのは造出し(つくりだし)から出土した国宝級の「蛇行剣」(だこうけん)と「鼉龍文盾形銅鏡」(だりゅうもんたてがたどうきょう)である。
円形の中央部にある被葬者のほかに造り出しという手前の四角い部分にもう一人の被葬者の棺がありその上に埋設されていたのは驚きである。
円墳拡大図
【蛇行剣】(だこうけん)
棺の上に発掘された蛇行剣
蛇行剣とは文字通り曲がりくねった鉄剣で日本でも多数発掘されているが285cmもの長さは日本最大のものである。
青銅鏡の金属イオンの効果で雑菌が抑えられきれいに残ったものとされている。
展示の様子
【鼉龍文盾形銅鏡】(だりゅうもんたてがたどうきょう)
この類例の無い特異な鏡は高さ64cm、幅31cmの銅鏡で日本で出土した6000面以上の銅鏡はすべて円形で楯の形をした鏡は類例がない。
盾形銅鏡
鏡には鼉龍文(だりゅうもん)と呼ばれる文様が描かれ隙間には呪術的な鋸歯文(きょしもん)が描かれている。
倭国の高い金属工芸技術がわかる一品でもある。
拡大模様
【富雄丸山古墳の被葬者】
磯田テレビ
書き物が無いので被葬者は特定できないが四世紀後半で国家統一に武功のあった人と主埋葬者を支えた巫女のような女性ではないかと磯田先生は考えたようだ。
【あとがき】
今回は富雄丸山古墳へ行き古墳とのご対面と被葬者にご挨拶することが目的であったのでまずそれが出来たのは成功でした。
次に行くとしたら「蛇行剣」や「鼉龍文盾形銅鏡」が保存可能な状態で展示され、古墳自体も整備されて人が登れる古墳に生まれ変わるようになることを奈良市や文化庁のご努力に期待して終わりにします。
古墳マニアの人は是非訪れてみてもらいたい古墳です!



















