初夏の明日香にて八角墳(天皇陵)を巡る | 日暮し三昧

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 令和6年の5月26日に明日からの雨の前にと思い立って明日香の古墳を見に出かけた。

 

 明日香の古墳は何度も来ているが今回はNHKテレビの「歴史探偵」で取り上げられていた飛鳥時代の古墳末期に作られた八角形古墳(天皇陵)をテーマに訪れてみた。

 

  明日香の古墳地図

   近鉄飛鳥駅

 

例によって岐阜の自宅からJR東海の京都で乗り換え近鉄橿原線から吉野線へ飛鳥駅には9時25分に着いた。

 

  今日の最高気温は26℃以上になることは分かっていたが、朝の風は気持ちよく暑さを忘れていた。

 

 さっそく駅前で借りた電動のレンタサイクルにスマホを固定してグーグルマップで古墳を目指した。

 

【牽牛子塚古墳】

 まず飛鳥駅の西の丘陵を800mほど行った所に牽牛子(けんごし)塚古墳があった。

 

電動サイクルでもかなりの暑さで汗びっしょりのままで小高い墳丘に登ると真っ白な八角形の古墳が現れた。

 

飛鳥時代の7世紀後半に築造された八角墳(天皇陵)は驚いたことに発掘調査の結果ここは日本書記に記された斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)の合葬墓であった。

 

さらにその下には斉明天皇の孫である太田皇女の「越塚御門古墳」(こしづかごもん)であることが判った。

 

牽牛子塚古墳

越塚御門古墳

斉明天皇

 

 斉明天皇系譜

 

斉明天皇とはご存じ天智・天武天皇の母であるが実権は皇太子の中大兄(なかのおおえ)に握られていて大きな活躍はなかった。

 

古墳の構造 

石室の中

 

ガイドの方の案内で、石室内には入れなっかったが凝灰岩をくり抜いて作られた石室や宮内庁治定の古墳でなかったために充分な調査ができたことも聞くことができた。

 

          古墳全景

 

【岩屋山古墳】

 次に訪れた岩屋山古墳は牽牛子塚古墳から東へ飛鳥駅近くにある住宅街の中に位置していて、うっかりすると見過ごしそうな小さな古墳(円墳)である。

 

史跡岩屋山古墳 

石室入口

 

 7世紀後半にできた古墳で石室内は意外と広い。被葬者は斉明天皇の母の吉備姫王(きびひめのみこ)とされるが詳細は不明である

石室内部

 

  石室構造

 

【マルコ山古墳】

 次のマルコ山古墳に行く前にお昼の時間になったので国道169号沿いにあるセブンに寄ってパンとお茶を買ったのだが暑いのと、中で食べさせてもらえなかったのでマルコ山古墳の日陰で食べることにした。

 

 コンビニから近鉄の踏切を渡り500m程度西に登ったところに古墳(円墳)はあった。

 

マルコ山古墳

 

石室の構造

 

 古墳に着いたらすぐ日陰で休憩をとり、カレーパンなどをゆっくりと食べたがとにかく暑くて汗が噴き出す。

 

 マルコ山古墳の被葬者天智天皇皇子である川島皇子との説があるが詳細は不明である。

 

【中尾山古墳】

 午後は近鉄駅から東に900mの位置にある高松塚周辺の丘陵を訪れ、最近の発掘調査により判った文武(もんむ)天皇陵の新たな陵墓とされる中尾山古墳を訪ねた。

 

明日香古墳地図2

 

 しかし次に行くには暑すぎたので道の駅「あすか夢販売店」でソフトクリームを食べて暫く休憩をとってからスタートすることにした。

中尾山古墳  

 

八角墳イメージ図

 

        発掘調査時

 

 発掘調査によると八角墳の石敷きが現れて古墳は天皇陵だと判った。

 

 しかもここから南へ200mのところにある宮内庁治定の文武天皇陵と同名の文武天皇の墳墓だということが判ってきた。

 

 

【文武天皇陵】

 さっそく宮内庁が治定する文武天皇陵を訪れてみると、こんもりした樹木に覆われた陵墓が現れ、白い石柱の遥拝所のある立派な天皇陵であった。

 

 もちろん古墳への立ち入りは禁止のため形状は不明である。

 

天武天皇陵

 

遥拝所

 

 ではもう一つの中尾山古墳が本当の天皇陵とするとこちらは誰の陵墓なのか疑問は尽きない。

 

 文武天皇とは天武・持統天皇の孫で持統の寵愛を受けて育てられた天皇であり、奈良の大仏を建造した聖武天皇の父でもある。

 

 主な功績は大宝律令の公布と、30年ぶりに遣唐使を派遣して唐との国交を再開したことで有名であるが、藤原不比等の後押しが大きかった天皇でもある。

 

文武天皇

 

系譜図

 

 文武天皇陵を見終えると暑さの限界に耐え切れずレンタサイクルを返却して橿原市にある涼しい「橿原考古学研究所付属博物館」の見学に切り替えた。

 

 

【八角墳調査の進展】

 天皇陵古墳は飛鳥時代の7世紀後半には前方後円墳から八角形墳に移ったようだがその核心の調査が出来ていなかった。

 

 しかし近年の調査器具(レーザーやマイクロスコープ等)の進歩や考古学者達の丹念な調査で古墳の調査が進み最近になって八角墳が確定された天皇陵が増えてきたのは素晴らしいことである。

 

     近年発掘された八角古墳(天皇陵)

 

 

【あとがき】

 今回の古墳巡りは明日香で近年に調査・確認された八角墳の天皇陵を中心として巡ることができた。

 

 目的は達成できたが暑さの認識が不十分で、やはり季節の良い春先や秋に実施するべきであった。

 

 さいごに古墳・埴輪好きが作った我が家のファミリーを紹介して終わりにします。

 

 我が家のファミリー